エリクトニオス
女神アテナの使者としてやって来たエリクトニオス。彼はハキハキとした口調で、私への説明を開始した。
「まず、我が主はケンジ殿及びイノ殿の味方です。そこはご理解頂きたい」
エリクトニオスの言葉に私は頷く。女神アテナの目的は、イノをゼウスへの抑止力とすること。その為に、成長まではイノの存在を隠し、密かに力を付けさせたいのだ。
私は親として、イノをゼウスと対峙させたくない。けれど、それは難しいのだろうと予想も出来ている。アポロン様やその他の神々が、イノの成長に期待しているからだ。
ならば、私としては少しでも多くの味方を作っておきたい。女神アテナ様がその味方になるなら、是非とも友好的な関係を気付いておきたかった。
「そして、イノ様が魔女である事は、アテナイの中でも極少数の者しか知りません。基本、我が主が知らせているのは、アテナイ王と私のみとお考え下さい」
その説明にも納得が出来る。知る者が増えれば、情報が洩れる危険性が増える。イノの存在を隠すなら、人数は抑えるべきだろう。
しかし、そこで私の腕に巻き付く、アスクが口を挟んだ。
「確か、今のアテナイ王はテセウスだったよね? 彼ならば知っていても問題無いだろう。けれど、君はどういう立ち位置なんだい? テセウスと並ぶ程に、アテナ様より信頼されているのかな?」
テセウス王ならば問題無い? その言葉に驚いたが、隣のセメレに驚きは無かった。どうやら、その辺りはセメレも知る事情があるのだろう。
そうなると、今はアスクの問うエリクトニオスの立ち位置だ。そこに興味を引かれる私に、彼は小さな息と共にこう漏らした。
「やはり、説明せねばなりませんか。まあ、それは想定の範囲内です。特に隠す程の事でも無いのですがね……」
何となく気乗りしない様子のエリクトニオス。けれど、彼は淡々とした口調でこう告げた。
「我が主、女神アテナ様は私の養母なのです。そして、私の父は鍛冶神へパイトスです」
「鍛冶神、へパイトス……?」
その名を私は知っている。その神もまた、オリュンポス十二神の一柱だからだ。
ゼウスとヘラの子にして、様々な宝具を作り出す神。そんな神の息子は、憎々し気な顔で続ける。
「我が父は美しい女神アテナ様に惚れ、女神アフロディーテと言う妻がいながら襲い掛かったのです。しかし、我が主は戦女神。鍛冶神如きが押し倒せる相手ではありませんでした」
「ははは。まあ、神々には良くある話だね」
アスクは軽い口調で笑う。その子であるエリクトニオスからすれば、笑える話では無いはずだ。けれど、彼は苦笑交じりに話を続けた。
「我が父は無様にも精液を大地に零れ落とし、大地神ガイア様の一部と混じり合いました。その結果、私は誕生したのです。そして、それに気付いた我が主は、生れた子に罪は無いと、大地より私を拾い上げたのです」
「それで、女神アテナ様が養母に……」
何と言えば良いか、言葉が見つからない。経緯が経緯なので、どう接するべきか悩む所だ。
しかし、私の内心を他所に、エリクトニオスはニコリと笑みを浮かべた。
「我が体には汚らわしい神の血が流れております。けれど、そんな私を拾い上げ、一人前に育ててくれたのです。我が主は素晴らしい女神だと思いませんか?」
「えっ……? あ、ああ、その通りですね……」
急なトーンの変化に私は戸惑う。しかし、エリクトニオスはそれをまったく気にしない。
「お姿が美しいのは当然。むしろ、この世で最も美しい女神と言っても過言では無いでしょう。そして、その魂までもが美しい。私の様な醜き者にまで慈愛を注いで下さるのです。更には戦女神でもあり、その強さも戦神アレク様に匹敵する程。海神ポセイドン様の軍隊からアテナイを守り抜き、多くの人々を守り続けているのです。これ程に素晴らしい神が他に存在するでしょうか?」
「お、おお……? それは、素晴らしいですね……」
エリクトニオスの熱量が凄い。口調もとても早くなり、その顔もキラキラと輝いている。好きな話題を語る、オタクみたいな感じだろうか?
エリクトニオスの言葉はまだまだ続き、私はその圧力に圧倒される。しかし、そんな彼に対して、アスクはいつも通りの口調で問い掛ける。
「それで、その素晴らしい女神様の指示は何だい? 君の目的はもう終わったのかな?」
その言葉でエリクトニオスはハッとなる。正気に戻ったらしく、咳払いを一つすると小さく頷く。
「失礼、少々興奮してしまいました。我が主からは最高の持て成しで迎えたいそうです。全てはこちらで手配しますので、出来るだけ急いでアテナイまでお越し頂きたいとの事です」
「ふむ、出来るだけ急いでかい……?」
アスクの呟きで私も気付く。確かに只の顔合わせなら、それ程急ぐ必要は無いはずだ。
そうなると、顔合わせだけが目的では無い? 他にも急がなくてはならない事情があるのだろうか?
色々と聞きたい所ではあるが、エリクトニオスはニコリと微笑むだけ。続きは直接会って、女神アテナ様より聞けと言う事らしい。
私とアスクは視線を合わせて頷き合う。何か事情があるみたいだけど、それはこちらにとって不利益な物では無いはずである。
女神アテナ様を味方に付ける為にも、私はアテナイへと向かう事を決めるのだった。




