パンアテナイア祭
イノが病院へ戻ったのは、日が沈みかけた頃だった。エリクトニオスさんからは、戻りが遅くなった事を謝罪された。
遅くなった事は問題無いのだが、私は戻ったイノに何となく違和感を感じる。どこがどうとハッキリ言えないのだけれど、何かがいつもと違っているのだ。
私はしばらくイノの様子を伺うが、違和感の正体はわからなかった。首を捻って唸っていると、イノからふと質問を受けた。
「お父様、街の様子がいつもと違います。何かあったのでしょうか?」
「町の様子が違う……?」
イノに問われて街を見る。すると、いつもに比べて通りに人が多い。それにどことなく、住人の皆が浮かれている様な雰囲気だった。
何があったのかと不思議に思っていると、入り口の外からペウロスさんが覗き込んで来た。
「あれ、知らないんすか? 今は街中がちょっとしたお祭り騒ぎっすよ。毒の治療法が見つかったお陰っすね!」
「「――えっ……?!」」
私とイノは驚きで顔を見合わせる。毒の治療法が見つかったからと、まさかお祭りにまでなるとは思っていなかった。
そして、驚く私達にマカーオーンさんは近寄って来ると、満面の笑みでこう補足してくれた。
「退院した患者達が、治療薬について広めたのでしょう。長く待ち望まれていた治療薬です。住人の皆が喜ぶのも当然だと思いますよ」
「当然、か……」
そういえば、アトランティスとの戦争は長く続いている。そして、このアテナイは毒によって多くの苦しみを味わって来ている。
住民男性の多くは兵役を課され、その多くが毒による被害を受けている。半数は命を落とし、もう半数は手足を失う重症となるのだ。
その状況が解毒薬によって解消するかもしれない。そう考えれば、住民の喜びも理解出来る。そう納得する私の側に、パナケイアさんが苦笑交じりに歩み寄って来た。
「とはいえ、ペウロスさんは任務中ですよね? 勤務時間の飲酒は問題ないんですか?」
「えっ……?」
パナケイアさんの言葉で、改めてペウロスさんを見る。すると、彼の右手にはワインの杯が握られ、その顔もほんのりと赤らんでいる。
私の護衛任務中だと言うのに、彼は平然と杯に口を付ける。そして、悪びれた様子もなく、へらへらと笑ってこう告げた。
「いやあ、ご厚意で奢られた物っすからね。断るのも悪いじゃないっすか? それに、少しぐらい酔っても、問題無く護衛出来るっすよ!」
「はぁ……。アストレウスさんも大変ですね……」
ペウロスさんの態度に、パナケイアさんは諦めた表情だった。マカーオーンさんも苦笑を浮かべており、ペウロスさんの態度は彼等の知る所のようだ。
まあ、実際の所、彼が酔っても問題は無い。街中で襲われた事はこれまでに無いし、今はイノも戻っているからね。彼が居なくても自衛で何とかなるだろう。
私もマカーオーンさん達と同様、ペウロスさんの事を諦める事にする。そして、街の様子を改めて確認してみる。
「……ふ~む。皆が女神アテナ様へ、感謝の言葉を口にしていますね。女神アテナ様を崇めるお祭りと言う所でしょうか?」
住人の多くがワイン片手に語り合っている。そして、頻繁にパルテノン神殿に向かって、感謝の言葉を口にしていた。
本格的なお祭りでも無く、神事と言えるものでは無い。それでも、神を祀ると言う意味では、これも一種のお祭りと言えるのだろうか?
そんな風に考えていると、パナケイアさんは私にそっと近寄る。私を見上げながら笑みを浮かべた。
「このアテナイでは毎年、アテナ様を崇めるパンアテナイア祭が行われます。更に四年に一度は大パンアテナイア祭が行われ、運動や芸術のコンテストが行われるのです。ですので、アテナイの市民はアテナ様を称えるのは日常的な事なのです」
「パンアテナイア祭?」
「はい、『全アテナイのお祭り』と言う意味です。パンアテナイア祭では街の皆が、パルテノン神殿への巡礼を行います。四年に一度のコンテストでは、オリーブ油の壺が優勝賞品で用意されるのですよ?」
長く続く戦争により、アテナイの生活は苦しい物だろう。それでも住民の皆が女神アテナ様を崇め、お祭りを楽しむ習慣を持っている。
いや、それは苦しい状況だからこそ必要なのだろう。皆が心を一つにして、生き抜いて行くの必要な楽しみなのだ。
誇らしそうなパナケイアさんの顔に、私はそう思わずにはいられなかった。アテナイに住まう人々は、苦しい状況でも誇りを胸に生きているのだろう。
マカーオーンさんもこちらに歩み寄る、楽しそうな笑みでこう告げた。
「パンアテナイア祭は夏の最も熱い時期です。ケンジ殿の滞在中は開催されませんが、機会があれば是非ご参加下さい。とても大規模なお祭りで、きっと楽しんで頂けるはずです」
「今すぐは難しいですが、機会があれば是非参加させて頂きますね」
マカーオーンさんのお誘いは嬉しいけど、私達はそう簡単に参加出来る状況ではない。イノは出来るだけ神々に見つからない様子にする必要があるからだ。
今回は女神アテナ様のお誘いでアテナイに来たけれど、それは例外的な事なのである。どうしても必要だから屋敷を出たけど、本来ならば私達はアポロンの聖域に引き籠っているべきだからね。
ただ、もしゼウスに対する警戒が必要無くなれば、その時は参加してみたい気持ちもある。その時は妻のセメレや末娘のエレクトラ。アスク達も一緒であれば嬉しいのだけど……。
そして、そんな私の考えを察したのだろう。イノは真っ白なフードから覗く口元を微かに緩めた。そして、私に同意するように小さく頷いていた。




