エリクトニオスの問い(イノ視点)
目覚めると私はベッドの上だった。そして、エリクトニオスが少し離れた場所で、椅子に座って私の様子を伺っている。私と目が合うと、彼はホッとした表情で声を掛けて来ます。
「お目覚めになられましたね、イノ殿。何か体調で気になる事はありますか?」
私はベッドで身を起こし、自らの体を確認する。軽く体を動かしてみるけど、特に体に違和感は無い。ただ、魔力とは違う力が、体から溢れているのを感じはするが。
これが神の力だと納得した所で、私は不意に気付く。私の着ている服が真っ赤に染まっているのだ。腕を切り落とされた際に、借り物の服が血で染まってしまったらしい。
私は申し訳ない気持ちで、エリクトニオスさんへと頭を下げた。
「申し訳ありません。借り物の服を血で染めてしまって……」
「いえいえ、お気になさらず。そのつもりで用意した物ですので」
エリクトニオスさんは軽く目を瞬いた後、苦笑を浮かべた。そこを謝られるとは思っていなかったらしい。
彼は椅子から立つと、白のローブを手にやって来る。それは私が来ていた服で、お父様の元に帰る際には着替えておく必要がある。
私はエリクトニオスさんから服を受け取る。しかし、彼は少し眉を寄せて、私へと忠告をして来た。
「イノ殿のローブにも、フードと同様の魔法を付与しました。お気付きかわかりませんが、今のイノ殿はその……。神の気配が色濃く、とても目立つのです……」
「え……?」
漲る力は感じていたけど、神の気配には自覚が無かった。ただ、どういう状況かは理解出来る。アポロン様やアテナ様から感じた、あの強い気配を私は纏っているのだろう。
「……これで、どうでしょうか?」
「おや、気配が消えましたね……」
エリクトニオスさんは不思議そうに私を見つめる。どうやら、神の気配を抑える事に成功したらしい。魔力同様の感覚で抑えられて良かった……。
私はほっと胸を撫で下ろします。けれど、じっと見つめるエリクトニオスさんの視線に、私は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
私の問い掛けに、エリクトニオスさんが視線を逸らす。何か躊躇う気配を感じさせています。
私が静かに待っていると、彼はそっと息を吐いた後、こう問いかけて来た。
「イノ殿はその力に、思う所は無いのでしょうか?」
その力と言うのは、神の血についてだろう。それも、先程手に入れたネクタルの力では無い。私の父親である、ゼウスの力についてである。
そして、それを彼が問うと言う事は、彼は私の出自を知っていると言う事だ。母と共に放浪の旅を続け、私達が苦難の人生を歩んだ事を……。
――私がゼウスを恨む事を、彼は知っているのだ……。
「……アテナ様より聞いたのですか?」
私の問いに、エリクトニオスさんは頷く。やはりと思う私に対し、彼は静かに語り始めた。
「大神ゼウスに恨みを持つ者は多い。息子を殺されたアポロン様。母を殺されたアテナ様も同じです」
「母を殺された……?」
私が反応を示すと、エリクトニオスさんは頷く。彼は悲しそうな顔で話を続ける。
「ゼウスは父クロノスから王権を奪った際に、祖父ウラノスより予言されたのです。『最初の配偶者、知恵の神メーティスの間に生まれる子が、男児であれば汝もまた同じ運命を辿る』と……」
私はゴクリと喉を鳴らす。ゼウスは父から王権を奪った。そして、そのクロノスも、父であるウラノスより王権を奪ったのだ。
歴史は再び繰り返される。そう予言されたゼウスが、その未来を恐れないはずが無い……。
「ゼウスはメーティスの妊娠を知り、慌てて彼女を飲み込みました。メーティスの子さえ産まれなければ、ゼウスの王権は守られると考えたのでしょう」
「そんな……」
愛したからこそ配偶者にしたのではないのか? なのにその妻を、保身の為に殺すと言うのか?
私は強く拳を握りしめる。怒りに身を震わせる私に、エリクトニオスさんは静かに語り続けた。
「しかし、女神メーティスは只では死にませんでした。死に際に子を守る鎧――アイギスをアテナ様に与えたのです。アテナ様はアイギスの力により生かされ、ゼウスの体内で成長し続けました」
「――アイギス……」
私は女神アテナの姿を思い出す。彼女は黄金の鎧を身に纏っていた。あの鎧こそがアイギスだろう。我が子を守る為に、母が命と引き換えに与えた鎧……。
「女神アテナはゼウスの体内で成長し、ゼウスは激痛を感じて体を割りました。そして、成人した姿で生まれたのがアテナ様です。ゼウス様はその姿を見て、メーティスの子が男で無かったと大層喜んだそうです」
「――はっ……?」
私はポカンと口を開く。何を言われたのか一瞬理解が出来なかった。
妻を殺しておいて、子も殺そうとしておいて、生れたのが男で無かったと喜んだ?
「娘の誕生が自らの王権を確固たる物にした。王権を保証する存在だとして、ゼウスはアテナ様を溺愛しています。当の本人であるアテナ様に、内心で恨まれているとは知らず……」
私は頭を抱える。ゼウスの頭はどこまでめでたいのだろう? どこまで自己中心的な存在なのだ?
どう考えても、権力を手にして良い存在では無い。ゼウスが絶対的な力を持つ事になったのが、この世界にとっての悲運ではないだろうか?
「アテナ様は生まれながらの復讐者です。母の愛を身に纏い、父への復讐心を胸に生き続けています。ゼウスへ復讐を果たす事こそが、我が主の悲願なのです」
その気持ちはわからなくはない。私もゼウスへの恨みを胸に秘めている。母に苦難の人生を与えた彼を、私は決して許す事は無いだろう。
「アテナ様はゼウスから受け継いだ力を、復讐に必要な物と受け入れています。より強い力を得る為に、恭順の姿勢を見せてネクタルを授かっています。――イノ殿も、同じなのでしょうか?」
「私も同じ、とは……?」
エリクトニオスさんが真剣な眼差しで私を見つめる。その答えによって、私を見極めようとしている。
「イノ殿はアテナ様の同志なのですか? その悲願の為に、呪われた血を受け入れたのですか?」
その瞳が訴えていた。私も同じであると、その答えを求めているがわかる。
けれど、私はゆっくりと首を振る。驚きを滲ませる彼に、私はキッパリと意思を示す。
「私は復讐者ではありません。アテナ様と違い、私には母も父も居ます。私は大切な家族を、守る為に戦うのです」
「…………」
エリクトニオスさんは悲しそうに目を伏せる。私に拒絶されたと感じたのだろう。けれど、私は彼の勘違いを正す。
「そして、それは貴方も同じはずです。貴方は父ヘパイストスへの復讐の為に生きてはいないでしょう? 女神アテナへの報恩の為に生きているのでしょう?」
「――っ……」
エリクトニオスさんは目を見開き、息を飲んだ。私はそんな彼に、微笑みながら告げた。
「アテナ様も同じです。今の彼女にとって、復讐が全てとは限りません。だって、こんなにも思ってくれる家族が居るのですから」
女神アテナと会話したのは二度だけ。けれど、その纏う空気感はひり付くものでは無かった。
その瞳には慈愛が含まれていた。ならば、それを向けるべき存在が、彼女には確かに居るはずなのだ。
「ですので、私達は復讐者ではありません。けれど、大切な家族を守りたいと言う意味では同士です。この答えで納得頂けますか?」
「……はい、納得致しました」
エリクトニオスさんは微笑みを浮かべる。纏う空気からは緊張感が消え、とても柔らかな表情となっていた。
彼の持つコンプレックスが、これで少しは和らいだだろう。そう考えた私も、満足して笑みを返すのだった。




