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ジジイ、異世界で魔女の師になる  作者: 秀文
第2部:アテナイ戦争
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父娘の夜

 アテナイで宛がわれた家には、寝室に二つのベッドが並べられている。ただ、ベッドはクリネと呼ばれる物で、日中はソファーとして扱われる物でもある。


 クリネはどこの家にもあるが、この家に用意された物は高級品らしい。木のフレームには美しい装飾が施され、マットレスは藁では無く羊毛が敷き詰められている。


 そのクリネを日中はダイニングへ運び、夜になると寝室へと運んでいる。それもイノがいそいそと運び、夜はピタリと引っ付けて並べるのだ。


 十歳頃の娘ってこんなものだろうか? 普通は父親と寝るのを嫌がる年頃じゃないかな?


 そう思いはするが、そもそもイノとは一緒に寝た事が無い。私は妻のセメレとベッドを共にし、イノは妹のエレクトラと寝ているからね。


 まあ、それらは余談だが、ここでは私とイノが並んで寝ている。そして、今晩はそのイノが、隣のベッドで私をじっと見つめていた。


「……えっと、イノ? そんなに見つめて、どうしたの?」


 明かりの無い部屋は真っ暗だが、イノが息を飲む気配を感じる。私から声を掛けられるとは思っていなかったらしい。


 恐らくイノに自覚は無いが、イノの黄金の瞳は特別なのだ。今はフードも被っていないし、彼女の視線は相手に強い圧力プレッシャーを与えてしまう。


 私に問われて戸惑うイノは、少ししてから私にこう問いかけて来た。


「……お父様はどうお考えでしょうか? 私はゼウスと戦うべきだと思いますか?」


 これまでイノが、私にそれを問い掛けた事は無い。私からは、将来ゼウスと対峙する可能性がある。私はその為に、イノへと雷対策を施すと伝えた程度である。


 そして、イノは私が戦いを望んでいない事を知っている。それでも尚、私にそれを問うと言う事は、彼女の中で心境の変化があった証だろう。


「……今日、マカーオーンさんの話を聞いたからかな?」


 ゼウスの意思によりトロイア戦争が起きた。そして、多くの命が失われる事となった。その事を聞いたイノが、ゼウスを止める事に使命感を抱いたのかと私は考えた。


 しかし、イノはキッパリと否定の言葉を口にする。


「それだけではありません。元々、それが必要なのではと、考えてはいたのです」


 この五年間、屋敷では穏やかな日々を過ごしていた。幸せそうなイノの姿に、私はイノが未来への憂いを抱いていないと思い込んでいた。


 しかし、そうでは無かったのだ。私やセメレに不安な顔を見せず、彼女は一人でそれを思い悩んでいたのだろう。


「ゼウスが居る限り、同じ悲劇が繰り返されます。――母と同じ悲劇に会う者も、また……」


「それは……」


 静かに告げるイノだったが、その言葉には怒りが滲んでいた。抑えきれない怒りが、黄金の瞳により一層強い輝きを与えていた。


「ゼウスを討つ、とまでは言いません。しかし、その傲慢な振舞を諫める者が必要では無いでしょうか? 私にそれを為せると言うなら、それは私の使命なのだと思うのです」


 その言葉に私は何も返せなかった。イノと共に過ごす日々で、いずれはイノがそう言いだすのではと予感があったからだ。


 イノは好奇心が強くて賢い。様々な事に挑戦し、その才を遺憾なく発揮する。そして、その求める結果は、常に戦う事を念頭に置いていた。


 イノは決して荒事が好きなタイプでは無い。かつての英雄達の様に、冒険に憧れる訳でもない。それでも彼女は、いつだって力を求め続けていた。



 ――それは彼女の怒りなのだ……。



 愛する母に不幸な人生を歩ませた存在。人間を家畜同然に扱うゼウスを、イノは心の底から憎み続けている。


 その憎しみを笑顔の裏に隠し、ずっと力を蓄え続けて来た。そう考えると、私の胸は張り裂けそうな程の苦しみを感じる。


 私はそっと腕を伸ばし、隣のイノを抱き寄せる。彼女の頭を胸内で包み込み、努めて優しい声で彼女に告げた。


「賢いイノならわかるだろう? 私やセメレが娘に何を望むのか。いつだって私達が望むのは、我が子が幸せに生き続ける事だけだよ?」


「――っ……」


 イノの息を飲む気配を感じる。そして、彼女の体は微かに震え、彼女もまた私の体に腕を回す。私を強く抱き返す彼女は、震える事で小さく呟いた。


「はい……。お父様……」


 驚くべき事に、イノは私の胸の中で泣いていた。声を殺そうとしても殺しきれず、嗚咽を漏らす彼女の背を優しく撫でる。


 イノが涙を見せるのは、魔女メディアと対峙した時。母のセメレが殺されて以来だ。それ以降に、彼女が無く所を誰も見ていない。


 イノがここまで思い詰めているとは思っていなかった。賢い彼女は上手に感情を隠し、ずっと一人でその重荷を背負い続けていたのだろう。



 ――私はその事を悔しく思う……。



 実の子として大切に育てたつもりだった。それでも彼女の事を、本当の意味でわかってあげられなかった。


 けれど、そう後悔する私に対して、イノはそっと顔を離してこう告げた。


「お父様の娘で、私は幸せです……。私の父となって下さり、ありがとう御座います……」


「イノ……」


 どこかスッキリした声だと感じ、私は少しばかり安堵する。内側に溜めていた物を吐き出し、少しは彼女の心が楽になったのだろう。


 私はイノの額にそっとキスをする。そして、優しく頭を撫でながら、彼女に向かって笑みを向けた。


「愛している、イノ。どうか、幸せに生きておくれ」


「はい、お父様。私もお父様の事を愛しております」


 イノの黄金の瞳から圧力プレッシャーが消えて行く。それは彼女の心から、怒りが溶けて行くかの様であった。


 そうであって欲しい。私はそう望みながら、娘の体を優しく抱きしめる。それに応える様に、イノも私を抱く腕に力を込める。


 その晩、私達は互いを思う様にして抱き合って眠った。娘に対する親愛の情を深めながら、私はそのまま眠りに落ちた。

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