#8 空腹は路地裏で響く
「あー……おなかすいたなぁ」
人通りの少ない街の裏路地で、一人の女が石壁にもたれて座っていた。頭からすっぽりとかぶった赤いフードが顔を隠し、その隣では、小さな動物のような生き物が丸くなっている。
女はその背中をそっと撫えた。
「ごめん、モグ。前みたいに、おいしいものいっぱい食べさせてあげられなくて」
「クゥン……」
「もうちょっとだけ我慢して」
フードの奥から覗く大きな目には疲れがにじんでいた。それでも、隣の小さな相棒に向ける声は優しかった。
路地の向こうから、市場の賑わいが聞こえてくる。昼食時なのだろう。焼きたての肉の香ばしい匂いが風に乗って流れてきた。
ぐううぅ。
女のお腹が盛大に鳴った。
「…………」
モグが顔を上げた。
「今の、聞いた?」
「クゥン」
「聞こえたよねぇ……」
女は壁に頭を預け、深いため息をついた。
「もうやだぁ……」
そのとき、路地の入口から風に吹かれた新聞が転がってきた。石畳の上を滑り、女の足元に引っかかる。
「ん? なにこれ」
拾い上げてみると、少し汚れてはいるものの、記事はまだ読めそうだった。女は暇つぶしに新聞を広げた。
『港町ダズリンに魔族艦隊出現――鉄の魔女、人間側へ宣戦布告』
「へぇ……」
その下には、決戦まで三か月という期限と、国家軍が対応を協議していることが書かれていた。
「大変そう」
女は他人事のようにつぶやき、次の記事へ目を移した。
『ムチ使いのスーパースター、サニー。七日間連続公演すべて完売』
「おお、すごい」
さらに読み進めようとして、ある文字が目に留まった。
『次なる舞台はグランドール大劇場か――関係者が出演交渉中』
「……グランドール」
新聞を持つ手が止まった。
グランドール大劇場。五年前まで、女もあの舞台に立っていた。華やかな衣装を着て、モグと一緒に芸を披露した。舞台袖では仲間たちが出番を待ち、幕が上がれば大勢の観客が拍手を送ってくれた。
何度も立った舞台なのに、もうずいぶん遠い場所のように思えた。
「……懐かしいなぁ」
女は新聞に載った劇場の名前を指でなぞった。
「あの頃、楽しかったよね」
「クゥン」
「みんな、どうしてるかなぁ」
サーカスの仲間たち。舞台を支えてくれた人たち。そして、あの頃いつも一緒に笑っていた友達。
戦争が終わってから五年。誰とも会っていなかった。
会いたくないわけではない。むしろ、何度も会いに行こうと思った。けれど、自分は今、お尋ね者だ。捕まれば、もう二度と自由にはなれないかもしれない。
誰かを訪ねて、その人まで巻き込んでしまうのも怖かった。
「……元気だったらいいな」
女は小さくつぶやいた。
「みんな、生きてるかなぁ」
モグが身体を寄せてきた。女はその小さな頭を撫で、少しだけ笑った。
「モグはずっと一緒にいてくれるもんね」
「クゥン!」
「ありがと」
そう言って新聞を畳みかけたところで、モグが女の鞄に鼻先を突っ込んだ。
「……ん?」
モグは鞄の中を懸命に探り始めた。
「あ、こら。何してる?」
「クゥン,クゥン!」
「お腹すいたの?」
モグが勢いよく顔を上げる。
「自分もだよ!」
女は思わず声を上げた。
「でも、もう何もないの。昨日のパンだって全部食べちゃったじゃん」
モグは諦めきれない様子で鞄を覗き込んでいる。
「ないってばぁ。そんな顔されたって、出てこない」
女は鞄を抱え込んだ。
「はぁ……お肉食べたい。焼いたお肉。あったかくて、脂がじゅわってするやつ……」
ぐううぅ。
また腹が鳴った。
モグがじっと女を見る。
「……今のは無視して」
女は新聞を畳み、路地の端へ置こうとした。
そのときだった。
「……あれ?」
紙面の隅に、小さな見出しが見えた。
『戦闘員募集。西の岩山周辺に棲みついた凶暴なドラゴンの討伐』
女は新聞を広げ直した。
『近隣農地への被害拡大につき、討伐協力者を募集中』
「ドラゴン……?」
記事には、数週間前から巨大なドラゴンの目撃情報が相次いでいることや、周辺の畑で作物の盗難が続いていることが書かれていた。
そして、その下にはひときわ大きな文字が並んでいた。
『高額報酬あり』
「……!」
女は思わず身を乗り出した。
「高額報酬……!」
その途端、隣にいたモグが飛び起きた。
「ガウッ!」
「うわっ! びっくりした!」
「ガウ! ガウガウ!」
モグは新聞に向かって必死に吠えている。
「ちょっと、モグ。どうしたの?」
「ガウッ!」
女はもう一度記事を眺めた。
「……そっかぁ」
モグが女を見上げる。
「これだけお金があったら、お肉いっぱい買えるな」
「ガウ!」
「パンも買えるし、果物も、お魚も……」
女が指を折りながら数え始めると、モグの尻尾が激しく動き出した。
「ふふっ。そんなに食べたい?」
「ガウッ!」
「自分も!」
二人はしばらく顔を見合わせていたが、女はやがて新聞へ視線を戻した。
「……ドラゴンかぁ」
その声を聞いたモグが、今度は小さく鳴いた。
「クゥン……」
女は相棒の頭を撫でた。
「大丈夫」
「クゥン」
「自分がなんとかするから」
女は新聞を丁寧に折り畳み、鞄の中へしまった。
「よし、行こっか!」
立ち上がると、モグもその後を追って歩き出す。女は赤いフードを深くかぶり直し、路地の奥へ足を向けた。
「帰ったら、何食べようか」
「ガウ!」
「やっぱりお肉?」
「ガウガウ!」
「だよねぇ。自分もお肉がいい」
楽しそうに食べ物の話をしながら、女と小さな相棒は街を後にした。
向かう先は、西の岩山。凶暴なドラゴンが棲むと噂される場所だった。
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本作はすでに最終回まで完成してます。引き続きお楽しみください!




