#6 行き場のない天才錬金術師
「うぇーーー!? こんだけ!?」
ダズリンの裏路地にある、小さな骨董屋。
店先には古い時計や燭台、絵画が並んでいるが、常連客の目当ては別にあった。出所を知られたくない宝石や武器、正規の市場では扱えない魔道具を、ひそかに売買する店なのだ。
そのカウンターで、深緑のフードを被った小柄な女が声を上げていた。
「200ゴールド!? ちょっと、もう一回よく見てよ!」
女が店主へ突きつけたのは、半透明の紫色をした小さな石だった。
「これ、妖魔石の原石だよ? しかもこんなに透明度が高いの、めったにないんだから!」
窓から差し込む光に石をかざすと、内部の結晶が美しく輝いた。
「ほら、濁りもほとんどないでしょ?」
「そうだな。だが、最近は似たような石が大量に出回ってるんだ。前ほど高値はつかない」
「似たようなのじゃないってば! これ、本物だよ?」
「本物なのは分かってる。だが、買う客にそこまで見分けられるか?」
女は口を尖らせた。
「……もういい。他の店に行く」
「うちだって商売なんだよ。オリーブさんには世話になってるから、できればもう少し出したいんだがな」
「じゃあ出して」
「無理だ」
「ケチ!」
オリーブは石を布に包んで鞄へしまい、ぶつぶつ文句を言いながら店を出た。
「またいい物が入ったら持ってきてくれよ」
「今度はちゃんと高く買ってよね!」
裏路地へ出ても、オリーブの怒りは収まらなかった。
「200ゴールドって……パン一個買ったら終わりじゃん」
裏路地には食べ物を求める子どもや、怪しい品物を並べる行商人がいた。オリーブもその間を歩きながら財布を開いたが、残っているのはわずかな小銭だけだった。
「ご飯、どうしよ……」
しばらく考えた末、顔を上げる。
「……そうだ」
向かった先は、いつもの酒場だった。
*
「いらっしゃいませ〜!」
扉を開けると、聞き慣れた明るい声が迎えてくれた。
「……って、なんや。オリーブちゃんか」
昼の忙しい時間が過ぎ、店内には数人の客が残っているだけだった。カウンターの奥で食器を片づけていたリリーは、オリーブの顔を見ると少し拍子抜けしたように笑った。
「なんやって何よ」
オリーブはフードを外した。顎のあたりで切りそろえた金髪が、ふわりと揺れる。そして彼女はカウンターの椅子に腰を下ろした。
「……ねぇ」
「ん?」
「お腹すいた」
「お金は?」
「ない」
「また?」
「もう限界。お腹すいて死んじゃう」
「死なへん、死なへん!」
「力が出ない。指一本動かせない」
「大げさやなぁ……もう」
リリーは呆れながらも店内を見回し、壁際に置かれた壊れた椅子を指さした。
「……ほんなら、あれ直して」
「椅子?」
「この前、魔族が暴れたときに壊したやろ」
椅子は脚が一本外れ、座面にもひびが入っていた。
「あれは魔族が悪いじゃん」
「最後に爆発させたん、オリーブちゃんやろ?」
「だって、あいつらが暴れるから!」
「はいはい。で、直せるん?」
オリーブは椅子へ近づき、壊れた部分を確かめた。
「こんなの簡単だけど……直したらご飯くれる?」
「ええよ」
「やった!」
さっきまで指一本動かせないと言っていたオリーブが、早速鞄から工具を取り出す。
「ほんま、調子ええんやから……」
リリーは笑いながら厨房へ戻っていった。
*
「できた!」
しばらくして、修理を終えたオリーブが椅子を運んできた。外れていた脚も座面のひびも綺麗に直り、脚の付け根には新しい金具まで取り付けられている。
「補強もした。前より丈夫になったよ。ちょっとくらい乱暴に座っても壊れないはず」
「相変わらず上手いなぁ。壊すんも上手いけど」
「余計なこと言わないで」
リリーは椅子の具合を確かめ、満足そうに頷いた。
「ありがと。ほな、今日は特別に好きなもん食べてええよ」
「ほんと!?」
「ただし、普通の一食分やで」
「分かってるって!」
オリーブは嬉しそうにメニューを広げ、次々と料理を指さしていく。
「……待ってや。何人分食べるつもりなん!?」
「好きなもの食べていいって言ったじゃん」
「普通の一食分って言うたやろ!」
結局、リリーが根負けし、オリーブの前には一人分にしてはずいぶん多い料理が並んだ。
「いただきまーす!」
「ほんま、よう食べるなぁ……」
オリーブは早速料理を頬張り、リリーはその様子を眺めながらカウンターを拭いた。昔から、食べ物を前にしたときのこの子は変わらない。
「そういえば、最近どうなん? 仕事、ちゃんと稼げてるん?」
オリーブは食べる手を止めた。
「……今それ聞く?」
「お金ない言うてたやん」
「仕事はしてるよ。今日だって、いい素材を手に入れたんだから」
「売れたん?」
「……売ってない」
「なんで?」
「値段が気に入らなかったの!」
リリーは思わず笑った。
「相変わらずやなぁ」
「だって、いいものはいいものなんだよ。分かんない人に安く売るくらいなら、自分で使った方がいいじゃん」
「そら、そうかもしれへんけど……それでご飯食べられへんかったら困るやろ?」
「……だから今、椅子直したじゃん」
「それはそうやな」
リリーは笑いながら空いた皿を片づけた。
「でも、ほんまに腕はええんやから。ちゃんと仕事選んだら、もっと稼げるんちゃう?」
「簡単に言わないでよ」
オリーブはフォークを置いた。
「今の私に、そんな仕事頼んでくれる人なんて、そうそういないんだから」
リリーの笑みが少し薄れた。
「……そっか」
「ま、しょうがないよ」
オリーブは何でもないことのように肩をすくめた。
オリーブ。それは、彼女が五年前から使っている名前だった。
本当の名前は、クロエ・ロック。
*
かつて王国には、「王の猿」と呼ばれる技術者たちの組織があった。農具や薬、武器に魔道具。人々の暮らしを支える技術を生み出し、王家からも厚い信頼を寄せられていた。
その組織を率いていたのが、ロック家だった。
クロエは貧しい家に生まれた。幼い頃から壊れたものを直すのが好きだった。時計も鍋も、何でも分解しては組み立てる。そんな彼女の才能を見つけ、養子として迎え入れたのがロック家だった。
新しい家では食べ物にも勉強にも困らなかった。錬金術や魔道具の知識を身につけ、やがて王宮へ出入りする技術者にまでなった。
けれど、クロエは血のつながらない家族の中で、ずっと不安を抱えていた。
役に立たなくなったら、ここにはいられないかもしれない。
だから、頼まれた仕事はできるだけ断らなかった。褒められるのが嬉しくて、必要だと言われると、もっと頑張ろうと思った。
それが、どんな仕事であっても。
*
「……あのさぁ」
「どしたん、オリーブちゃん?」
「自分さ、たまに考えるんだよね。五年前のこと」
オリーブは皿に残った料理を、フォークでつついた。
「ロック家がやってたこと、全部知らなかったわけじゃないんだ」
リリーは何も言わず、続きを待った。
王の猿を率いるロック家には、表に出せない仕事があった。魔族や賊との取引、武器や魔道具の売買、王宮内部の情報の受け渡し。クロエもその一部を任されていた。
「魔族と取引してることも、王宮には内緒の仕事があることも、知ってた。でも、それがどういうことなのか、ちゃんと考えてなかった」
「……うん」
「家の人たちも、取引先の人たちも、みんな普通に話してくれたし。魔族だからって、悪い人ばっかりじゃなかったんだよ」
「せやな」
「王宮の人たちだって好きだった。だから……誰が敵で、誰の味方をすればいいのか、分かんなかった」
五年前の戦争が終わり、ロック家の裏切りは明るみに出た。
魔族へ渡された武器や技術、王宮の構造に関する情報。それらが王宮の陥落に利用されていたのだ。一族の多くは捕らえられて処刑され、逃げ延びた者も追われる身となった。
クロエも、ロックの名を捨てなければ生きられなくなった。
「私、あの家のこと……嫌いじゃなかったんだよ」
オリーブはぽつりと言った。
「嫌なこともあったし、今考えたら許せないことだっていっぱいある。でも、家族だったから」
リリーは静かに聞いていた。
「ご飯も食べさせてくれたし、勉強もさせてくれた。私が作ったものを褒めてくれた人だっていたんだよ」
「うん」
「だから、全部悪かったって思うのも……なんか、違う気がして」
オリーブは困ったように笑った。
「変だよね」
「変やないよ」
リリーはすぐに答えた。
「大事にしてもらったことまで、嘘になるわけちゃうやろ」
「……でも、あの人たちがしたことは、本当なんだよ」
「うん。せやな」
オリーブはフォークを置き、しばらく黙り込んだ。
「あの日も、私、王宮にいたんだ」
リリーの手が止まった。
「……うん」
「今でも覚えてる」
あの日、何度も歩いた王宮の廊下には炎が広がっていた。人々が悲鳴を上げながら逃げ、クロエも必死に出口を探していた。
その途中で、見てしまったのだ。
「王様と……王妃様が……殺されるところ」
リリーは何も言わなかった。
「王子と王女は、兵士たちが逃がそうとしてた。でも、そのあとどうなったのか分からなくて……」
戦争が終わったあと、新聞には王子と王女も亡くなったと書かれていた。王子の遺体は見せしめとして晒され、王女も捕らえられた末に殺されたという。
クロエは、その記事を何度も読み返した。
王宮で笑い合った日々も、一緒に過ごした友人たちも、もう戻ってこないのだと思った。
「……自分がさ」
オリーブはゆっくりと言った。
「何か違うことしてたら、誰か一人くらい助かったのかな」
リリーはすぐには答えなかった。
「……分からへん。私にも、分からへんよ」
「だよね」
オリーブは小さく笑った。
「でもな」
リリーはカウンターに両肘をつき、オリーブの顔を覗き込んだ。
「オリーブちゃんが、あの家で一生懸命やってたことは知ってるで」
「……うん」
「褒めてもらいたくて、認めてもらいたくて、よう頑張ってたやん」
オリーブは目を伏せた。
「……役に立てたら、嬉しかったんだよ」
「せやろな」
「必要って言われるの、好きだった」
「うん」
リリーはそれ以上、慰めの言葉を重ねなかった。
あの頃のオリーブが何を思っていたのかは知っている。それでも、彼女が関わった仕事や、その結果までなかったことにはできない。
「……ごめんね」
「何が?」
「五年も経ってるのに、いつまでもこんな話して」
リリーは少し考えてから、笑った。
「五年経ったら、全部平気にならなあかんなんて決まり、ないやろ?」
オリーブが顔を上げた。
「私だって、似たようなもんやし」
しばらくの間、酒場には客たちの話し声と、食器の触れ合う音だけが響いていた。
やがて、オリーブが口を開いた。
「……ねぇ」
「ん?」
「もう一皿食べていい?」
リリーの顔が一瞬で変わった。
「まだ食べるん!?」
「だって、お腹すいてたんだもん」
「さっきからめっちゃ食べてるやん!」
「椅子、綺麗に直したよ?」
「一脚やろ!」
「前より丈夫になったし」
「だからって食べ放題ちゃうねん!」
オリーブはにやりと笑った。
「じゃあ、これ半分だけ」
「……」
「半分! 半分でいいから!」
リリーは呆れたようにため息をついた。
「ほんま、今日だけやで」
「やった!」
オリーブは嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
「はいはい。ちょっと待っとき」
リリーが厨房へ向かうと、オリーブは残っていた料理を食べ始めた。
五年前、自分が何をすればよかったのか。これから、どこへ帰ればいいのか。
答えは、まだ見つかっていない。
それでも、壊れた椅子を直せば今日のご飯は食べられる。そして、ここには自分の話を聞いてくれる人がいる。それだけだった。
オリーブは、もう一口料理を頬張った。




