#25 戻る記憶と友情
「……レオナ?」
ニーナは目の前の顔を見つめた。赤い瞳も、掠れた声も、五年前とは違う。けれど、涙でぐしゃぐしゃになった自分を見て眉を寄せる、その表情だけは何も変わっていなかった。
「……ほんとに、レオナなの?」
「何よ。ほかの誰に見えるの?」
その言い方に、ニーナの顔がくしゃりと歪んだ。
「レオナ……!」
思わず抱きつこうとした、そのときだった。
「痛っ!」
「え?」
レオナが顔をしかめる。ニーナは慌てて身体を離した。
肩には、まだ自分の剣が深く刺さっている。
「……あ」
ニーナの顔から血の気が引いた。
「ご、ごめん!」
「何これ……剣?」
「ごめん!!」
「ニーナ、今は抜かないでください!」
タリアがすぐに止めた。
「分かってる! 分かってるけど!」
ニーナは泣きながら頭を抱えた。
「私が刺したの!」
レオナがゆっくり顔を向ける。
「……ニーナが?」
「そう!」
「なんで?」
「それは……」
ニーナは口をつぐんだ。仲間を守るためだったとはいえ、自分がレオナを殺そうとしたことに変わりはない。
「……あとで説明する」
「怖いんだけど」
その一言に、ソフィが吹き出した。
「……レオナや」
レオナがそちらを見る。
「ソフィ……?」
笑っていたソフィの目から、ぽろりと涙が落ちた。
「ほんまに、戻ってきたんやな」
「……何よ。ソフィまで泣いて」
「誰のせいやと思ってんねん!」
ソフィはレオナの腕を掴んだ。
「ほんまに、めちゃくちゃやったんやで」
「何が?」
「全部や!」
「分かんないって」
「そのうち思い出して!」
「無茶言わないでよ」
そのやり取りを聞いて、クロエも笑った。
「ほんとにレオナだ」
「クロエ……あんた、何その格好」
レオナの視線が、破れた服と傷だらけの脚に落ちる。
「誰のせいだと思う?」
「……私?」
「大体そう」
クロエは深緑のフードを直そうとして、腕の痛みに顔をしかめた。
「まあ、戻ってきたから半分許すけど」
「半分なんだ」
「残りは元気になってから」
レオナは困ったように笑った。しかし、周囲を見渡すうちに、その笑みが消えていった。
みんな、ひどい怪我をしている。
自分へ向かって走ってきたニーナ。鞭を振るジェマ。炎の中に立つソフィ。巨大なドラゴン。そして、倒れたミラ。
途切れ途切れの光景が頭をよぎる。
「……ミラ」
レオナは親友を見つけると、すぐに顔を向けた。
「生きてる?」
ミラはデイジーに支えられながら、ゆっくり頷いた。
「うん。ちゃんと生きてるよ」
レオナの視線が、その腹部へ落ちる。服には大きな血の染みが残っていた。
氷の槍を突き刺した。地面へ組み伏せた。そして、刃を振り下ろそうとした。
「……私が、やったの?」
ミラは少しだけ黙ってから、頷いた。
「うん」
レオナの顔が歪む。
「ごめ――」
「謝るのは、あとでいいよ」
「でも……」
「私、レオナと話したいことがいっぱいあるの」
ミラは傷の痛みをこらえながら、微笑んだ。
「五年分。だから、今ここで全部話そうとしなくていい」
レオナは何か言いかけたが、結局、小さく頷いた。
「……うん」
「ちなみに私にも謝ってよ」
横からジェマが口を挟んだ。
レオナが振り向くと、ジェマは動かない左腕を右手で支えていた。
「……その腕も?」
「正解」
「ごめん」
「早いな」
「だって明らかに私でしょ」
ジェマが吹き出した。
「そういうところ、ほんと変わんないね」
レオナもつられて笑った。その笑い声を聞いて、ニーナがまた鼻をすすった。
「ちょっと、もう泣かないでよ」
「うるさい。五年分なんだから仕方ないでしょ」
「私のせいにしないで」
「誰のせいだと思ってんの!」
今度はみんなが笑った。
そのとき、少し離れた場所から大きな顔が近づいてきた。
『ねえ、レオナ』
「……」
レオナが固まる。
真紅の鱗に覆われた巨大な竜が、傷ついた翼を引きずりながらこちらを覗き込んでいた。
「……マチルダ?」
『うん』
「何その姿」
『ドラゴン』
「それは見れば分かる!」
久しぶりに聞くレオナの大きな声に、ソフィが腹を抱えかけて、すぐに痛そうな顔をした。
「いたた……笑かさんといて」
『自分、元に戻れないんだ』
「え?」
『力使いすぎちゃった』
「あ、聖水!」
ソフィが思い出したように声を上げた。
クロエが荷物から小瓶を取り出す。
「これ?」
『それ!』
「じゃあ、誰か……」
クロエは立とうとして、脚の痛みにその場へ座り直した。タリアも手を伸ばしたが、膝に力が入らない。
「……誰も動けへんやん」
ソフィが呟いた。
結局、デイジーが小瓶を受け取った。
「私が行きます……」
「デイジー、大丈夫?」
「大丈夫じゃないですけど、行きます」
地面に手をつき、ゆっくりと竜の前脚へ近づいていく。
『自分がそっち行こうか?』
「来ないでください。踏まれます」
ようやく辿り着いたデイジーが、聖水を鱗へ振りかけた。
淡い光が広がり、巨大な身体が少しずつ縮んでいく。翼と角が消え、やがて傷だらけのマチルダが地面に横たわった。
「……マチルダ?」
ニーナが呼ぶ。
マチルダはゆっくり顔を上げた。
「お腹すいた」
「元気じゃん」
ニーナの即答に、また笑いが起きた。
「自分、お肉食べたい」
「帰ってからにしよな」
ソフィが答えると、マチルダは素直に頷いた。
レオナはそんな仲間たちを見つめていた。
みんな傷だらけで、まともに立つことすらできない。それでも、さっきから誰も自分を責めようとしない。
身体の奥には、今までと違う魔力が流れている。自分がもう人間ではないことも、はっきり分かった。
けれど、誰もそれを気にしていないようだった。
「……みんな」
声をかけると、八人の視線が集まった。
ありがとう。ごめん。久しぶり。
言いたいことはいくらでもあるのに、何から話せばいいのか分からない。
ソフィが笑った。
「ええよ。今は何も言わんで」
「……でも」
「五年分あるんやから、ゆっくり話そ」
「そうそう。長くなるしね」
クロエが頷く。
ニーナも目元を拭いながら言った。
「とりあえず、生きてればいいよ」
レオナは一人ずつ顔を見た。そして、ようやく小さく笑った。
「……うん」
そのときだった。
遠くから、低い爆発音が響いた。
ドォン――。
笑い声が止まる。
もう一度、地面が震えた。ダズリンの方角から、黒い煙が立ち上っている。
「……まだ戦ってる」
ミラが呟いた。
そうだった。レオナを取り戻しても、戦争が終わったわけではない。ダズリンでは今も人間軍と魔族軍が戦っている。
ニーナが地面に手をついた。
「……行かないと」
立ち上がろうとした瞬間、脇腹に激痛が走る。
「っ……!」
そのまま膝をついた。
「ニーナ!」
レオナも身体を起こしかけたが、肩に刺さった剣が動き、顔をしかめた。
「レオナは動いたらあかん!」
ソフィが慌てて止める。
「でも、あっちでまだ……」
「分かってる。せやけど、今の私らが行っても何もできへん」
レオナは唇を噛んだ。
遠くから、また爆発音が聞こえた。
戦場にいる人たちを助けたい。けれど、今は自分たちの命を守ることさえ難しい。
デイジーが静かに口を開いた。
「まず、治療できる場所へ行きましょう」
「……どこへ?」
ミラが尋ねる。
「普通の病院は難しいですね」
デイジーは九人を見回した。
ハート家、ロック家、竜人、半エルフ、生きていた王女…そして今度は、魔族の身体の元兵士長。
それぞれの事情を知られれば、軍や教会に通報されてもおかしくない。
「患者名簿、すごいことになりそう」
クロエが呟いた。
「受付で止まるやろなぁ」
ソフィも頷く。
レオナが困ったように聞いた。
「私、何て書けばいいの?」
「鉄の魔女」
ニーナが答える。
「絶対嫌」
「職業欄、魔族?」
「もっと嫌!」
ジェマが笑いながら左腕を押さえた。
「……笑わせないで。痛いから」
ミラは少し考えてから、顔を上げた。
「パルタはどうかな」
タリアがすぐに反応した。
「シスターの教会ですね」
「うん。あそこなら、きっと受け入れてくれる」
ソフィも頷いた。
「設備は大きないけど、普通の病院より安心やな」
「……シスター?」
レオナが顔を上げた。
タリアが微笑む。
「覚えていますか?」
「……うっすら」
懐かしいような、胸が苦しくなるような記憶が浮かんだ。
けれど、それ以上考える前に、ソフィが現実的な問題を口にした。
「で、どうやって行くん?」
全員が黙った。
パルタ山までは、歩いて行ける距離ではない。そもそも、今は誰も歩けない。
デイジーが自分の両手を見た。治癒魔法を使い続けたせいで、指先が小さく震えている。
それでも、彼女は顔を上げた。
「……私が馬車を探してきます」
「は?」
ニーナが目を丸くした。
「無理でしょ」
「無理ですね」
「じゃあやめてよ!」
「でも、誰かが行かないと」
デイジーはレオナの肩へ目を向けた。
「傷は今のところ落ち着いています。剣を動かさず、安静にしていれば、しばらくは持つはずです」
「でも、デイジーも限界でしょう?」
タリアが心配そうに尋ねる。
「少しだけ、自分を治療してみます」
「少しだけって……」
「本当に少しだけです。もう魔力がほとんどないので」
デイジーは胸へ手を当てた。淡い治癒の光が生まれ、すぐに消える。
痛みが消えたわけではない。それでも、重かった脚がわずかに動かせるようになった。
彼女は地面に手をつき、ゆっくり立ち上がる。
膝が震えた。
「……ほら」
「ほらちゃうわ!」
ソフィが声を上げた。
デイジーは荷物から金貨の袋を取り出した。
「馬車を買ってきます」
「借りるんじゃなくて?」
クロエが聞く。
「この人数を乗せてくれる人なんて、普通いませんから」
「なるほど」
「なので、金で解決します」
クロエが感心したように頷いた。
「軍人らしくなくて好き」
「吟遊詩人なので」
デイジーはいつものように笑ったが、顔色は真っ青だった。
「……必ず戻ってきます」
そう言って、一人で荒野を歩き始めた。
*
最初の十分で、デイジーは後悔していた。
「……きつい」
道らしい道もない荒野を、街道へ向かって歩いていく。
一歩進むたびに脚が重くなる。自分へかけた治癒魔法は、傷を治したというより、痛みを少し和らげただけだった。
遠くでは、まだ戦争の音がしている。
デイジーは一度立ち止まり、後ろを振り返った。仲間たちの姿はもう見えない。
「……大丈夫かな」
レオナの肩には、まだ剣が刺さっている。ミラの腹の傷も深い。ジェマの腕も心配だった。
考え始めると、戻りたくなる。
けれど、戻ったところで自分にできる治療は、もうほとんどない。
「……行かなきゃ」
デイジーは再び歩き出した。
こんなとき、いつもの自分ならどうするだろう。
まず周辺の地形を調べ、街道を通る商人の数を確認する。必要なら近くの集落へ向かい、交渉相手を探す。
そうやって、情報を集めてから動くはずだった。
今は、頭がまるで働かない。
分かっているのは、馬車が必要だということだけ。
「……情報屋、失格ですね」
自分で呟いて、少し笑った。
ふと、旅の始まりを思い出す。
最初は一人だった。
鉄の魔女の正体を知り、どうすればレオナを助けられるのか考え続けた。
ニーナを見つけ、ソフィやクロエと会って、少しずつ仲間が増えていった。
誰一人として、簡単に集められたわけではない。
それでも、今日。
ようやく九人がそろった。
「……やったんですよね」
デイジーは小さく呟いた。
五年間、死んだと思われていた人を。
魔族に変えられ、記憶も人格も奪われた人を。
八人で、連れて帰った。
あのレオナが、また笑った。
「……ふふ」
思わず笑みがこぼれる。
その瞬間、足がもつれた。
「痛っ!」
地面へ倒れ込み、手のひらを擦りむいた。
「……最悪」
しばらくそのまま動けなかった。
でも、レオナの顔を思い出すと、不思議とまた立ち上がる気になった。
「……帰ったら、褒めてもらおう」
訓練生だった頃、どんなに失敗しても最後まで付き合ってくれた先輩。
今度は自分が助けたのだ。
少しくらい、自慢してもいいだろう。
「……先輩、絶対驚くだろうな」
デイジーは笑いながら、また歩き始めた。
*
ようやく街道へ出た頃、遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
「……!」
荷馬車だった。
御者台には、商人らしい男が一人座っている。
「止まって……!」
声が掠れる。
デイジーは大きく息を吸った。
「止まってくださーい!」
馬車がゆっくり止まった。
「何だ?」
男はデイジーを見るなり、顔をしかめた。
血と泥で汚れた服。青白い顔。今にも倒れそうな足取り。
「おい、あんた大丈夫か?」
デイジーは金貨の袋を取り出した。
「この馬車、買います」
「……は?」
「馬も」
「いや、ちょっと待て」
「これで」
袋を差し出すと、男は中を覗いて目を見開いた。
「多すぎるだろ!」
「売ってください」
「何なんだ、あんた」
「吟遊詩人です」
「絶対違うだろ」
いつもなら、もっと上手に説明できるのに。
デイジーは自分でもそう思った。しかし、もう余計なことを考える余裕がなかった。
「人が……九人、死にかけてるんです」
男の表情が変わった。
「九人!?」
「まだ生きてます。でも、早く治療しないと……」
デイジーは頭を下げた。
「お願いします」
男はしばらく彼女を見つめていた。
やがて、深くため息をつく。
「……分かったよ」
「ありがとうございます!」
「ただし、俺が運転する」
「え?」
「あんた、その状態で御者なんかやったら、九人まとめて死ぬぞ」
「……助かります」
デイジーはその場へ座り込みそうになった。
男が慌てて腕を掴む。
「おい!」
「大丈夫です……」
「全然大丈夫じゃねえよ!」
男は彼女を御者台へ座らせると、馬を走らせた。
「場所は?」
「この先の荒野です」
「何でそんなところに九人もいるんだ?」
「……色々ありまして」
「色々って何だよ!」
「説明すると長いので……」
デイジーは荷台にもたれ、目を閉じた。
「……とにかく、急いでください」
男は何か言いかけたが、彼女の顔を見て口をつぐんだ。
そして、馬をさらに速く走らせた。
*
馬車がパルタ山へ着いた頃には、空が夕方の色へ変わり始めていた。
荒野へ戻ったデイジーは、仲間たちが無事であることを確かめると、商人の手を借りて九人を荷台へ乗せた。誰も自力ではまともに動けず、出発までに随分と時間がかかった。
それでも、ようやく辿り着いた。
山道の先に、小さな教会が見える。
古い石壁と鐘楼。その前には、薬草を干すための木枠が並んでいた。
レオナは荷台の奥から、その景色をじっと見つめていた。
懐かしい。
ジェマと二人で山を走り回り、怪我をしてはここへ来た。シスターに叱られ、傷を治してもらい、次の日にはまた遊びに出かけた。
けれど、別の記憶も浮かんでくる。
冷たい魔力。壊れた教会の壁。そして、自分の手から放たれた攻撃。
シスターを殺そうとした。
そのことを思い出した途端、胸が苦しくなった。
「……レオナ?」
隣のミラが声をかける。
レオナは答えられなかった。
馬車が止まった。
「タリア!?」
外から聞き覚えのある声がした。
「何ですか、この馬車……まさか、また怪我を――」
荷台を覗き込んだシスターが、言葉を失った。
中には、血と泥にまみれた九人がいた。
ミラは腹部を押さえ、ジェマの左腕は動かない。ニーナもクロエもソフィも、まともに身体を起こせずにいる。デイジーとタリアは顔色が悪く、マチルダは荷台の隅で横になっていた。
そして、一番奥。
肩に剣が刺さったままのレオナが、シスターを見つめていた。
「……シスター」
その声に、シスターの表情が変わった。
「……レオナ?」
レオナは頷こうとしたが、うまく動けなかった。
「……ごめんなさい」
声が震える。
シスターは何も言わなかった。
「私、覚えてるんです。ここに来て……シスターを……」
レオナは俯いた。
「殺そうとした」
あのとき、目の前の人が死んでいてもおかしくなかった。
「本当に……ごめんなさい」
シスターはしばらく黙っていた。
やがて、荷台へ一歩近づいた。
「レオナ。顔を上げなさい」
昔と同じ声だった。
怪我をして帰ってきたときも、いたずらが見つかったときも、シスターはいつもそう言った。
レオナはゆっくり顔を上げた。
シスターは赤い瞳をじっと見つめた。
「私を殺そうとしたこと、覚えているのね」
「……はい」
「教会を壊しかけたことも?」
「はい……」
「謝ったから、なかったことにはならないわよ」
レオナは唇を噛んだ。
「……はい」
「でも、今ここで全部話す必要はありません」
「……え?」
シスターは肩に刺さった剣へ目を向けた。
「まずは、その傷を治さないと」
「でも、私……」
「話はあと。謝罪もあとです」
きっぱりと言い切ると、シスターは荷台の中を見渡した。
「まったく……何があったら九人そろってこんな状態になるの」
タリアが小さく答えた。
「色々ありまして……」
「便利な言葉ね、それ」
ソフィが弱々しく笑った。
「説明したら朝になるで」
「じゃあ、今は聞きません」
シスターはすぐに教会へ向き直り、鐘を鳴らした。
奥から修道士と修道女たちが駆け出してくる。
「担架を持ってきて! 治療室を全部開けなさい! お湯と包帯も!」
指示を飛ばしながら、シスターは再び荷台へ戻った。
「全員、中へ運びます」
デイジーが顔を上げた。
「……大丈夫ですか?」
「何が?」
「私たちを、ここに入れても」
シスターが怪訝な顔をする。
「負傷者を教会へ入れるのに、何か問題がありますか?」
「……色々、身分が」
「知りません」
「え?」
「ここでは、怪我をしているなら全員患者です」
デイジーは口を閉じた。
シスターは修道士たちへ向き直る。
「まずは出血の多い人から。急いで!」
教会の前が一気に慌ただしくなった。
ミラが最初に担架へ乗せられ、続いてジェマとニーナが運ばれていく。クロエも「自分はあとでいい」と言ったが、シスターに無視された。
ソフィは治癒魔法を使おうとして止められ、タリアとデイジーも強制的に座らされた。
マチルダは二人がかりで担架へ乗せられた。
「お腹すいた」
「あとで!」
「お肉ある?」
「あとで!」
「はーい」
ようやく荷台が空いてきた頃、レオナの前へシスターが戻ってきた。
「肩を見せなさい」
「……はい」
シスターは剣の刺さった傷を慎重に確かめた。
「深いわね。抜くときは処置が必要だわ」
レオナは少しだけニーナの方を見た。
「結構本気で刺したんだね」
担架へ乗せられたニーナが叫ぶ。
「ごめんって! あとでちゃんと説明するから!」
「何で私、目が覚めたら刺されてるのよ!」
「だからごめん!」
シスターが呆れたように二人を見た。
「……何だか元気そうね」
「違います!」
二人の声が重なった。
シスターは思わず笑った。
その笑顔を見て、レオナの胸が熱くなった。
「さあ、あなたも行きましょう」
シスターが手を差し出す。
レオナはその手を見つめた。
「……シスター」
「何?」
「私、入っていいんですか?」
「どこに?」
「……教会」
シスターが首を傾げる。
レオナは自分の手を見た。人間だった頃とは違う、強い魔力が身体の中を流れている。
「私、魔族だから」
シスターはしばらくレオナを見つめていた。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「昔も言ったでしょう」
「……?」
「怪我をしたら来なさいって」
レオナの目が揺れる。
「種族の話なんて、そのあとで十分です」
シスターはレオナの手を取った。
「ほら。あなたも患者です」
レオナはその手を握り返した。
「……はい」
シスターに支えられながら、ゆっくりと教会へ入っていった。
*
夜になる頃、九人全員がようやく治療室へ収まっていた。
ミラの腹部は処置され、ジェマの左腕もしっかり固定された。ニーナとクロエは包帯だらけになり、ソフィ、タリア、デイジーは魔力を使わないよう言い渡された。
マチルダは治療を終えるなり眠ってしまった。
レオナの肩からも、ニーナの剣が無事に抜かれた。傷は深かったが、デイジーが荒野で治癒魔法を維持していたおかげで、命に関わる状態にはならずに済んだ。
九人が、全員生きている。
シスターは治療室の入口に立ち、並んだベッドを見渡した。
「今日は、もう何も考えないこと」
誰も口を開かなかった。
「戦争も、軍も、魔族も。あなたたちがこれからどうなるかも、全部明日以降です」
レオナは静かに頷いた。
「……はい」
「今は、ちゃんと治ることだけ考えなさい」
シスターは少しだけ笑い、扉を閉めようとした。
けれど、そこで一度振り返った。
「……おかえりなさい」
レオナは目を見開いた。
幼い頃、泥だらけになって帰ってくるたびに聞いた言葉。
五年前、もう二度と聞けないと思っていた言葉。
レオナは布団を握りしめた。
「……ただいま」
声が震えた。
シスターは優しく頷き、静かに扉を閉めた。
レオナはしばらくその扉を見つめていた。
そして、布団の中で小さく泣いた。
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