#26 戦禍、動かぬ身体
パルタ山の教会で療養を始めてから、一週間が過ぎた。
九人の怪我は、まだほとんど治っていなかった。傷口は塞がり始めているものの、ニーナは脇腹の痛みで長く歩けず、ジェマの左腕も固定されたまま。
ミラの腹部には深い傷が残り、ソフィ、デイジー、タリアは魔力を使いすぎた反動で、簡単な魔法さえ禁止されていた。
クロエは片脚を引きずり、マチルダも竜化した際に受けた傷が癒えていない。
「……治るの遅くない?」
ベッドの上でニーナがぼやくと、隣にいたジェマが答えた。
「歳じゃない?」
「一歳しか変わらないでしょ!」
「私は若いから」
「左腕動かないくせに、殴るよ?」
「右手あるから返り討ちにできるけど?」
「二人とも静かにしなさい!」
廊下からシスターの声が飛んできた。
二人は同時に口を閉じる。
「……怖っ」
ニーナが小声で呟く。
「昔より怖くなってる」
ジェマも頷いた。
「聞こえていますよ!」
二人は慌てて布団へ潜った。
そんな中、一人だけ回復の早い者がいた。レオナだった。
肩の傷はまだ痛み、強い魔法を使うこともできない。それでも、魔族の身体が持つ回復力のおかげで、ほかの八人よりずっと動けるようになっていた。
「……便利なんだか、なんなんだか」
鏡に映る赤い瞳を見つめ、レオナは呟いた。
人間だった頃とは違う身体。少しずつ慣れてきたつもりでも、鏡を見るたびに不思議な気分になる。
ただ、じっと寝ているのは性に合わなかった。
朝は薬草を運び、水を汲み、洗濯物を干す。修道女たちが止めても、気づけば別の仕事を見つけている。
「レオナ!」
薪を抱えて廊下を歩いていると、シスターに呼び止められた。
「……はい」
「何をしているの?」
「薪運び」
「見れば分かります。患者がそんな物を運ばない!」
「でも、もう普通に歩けるし」
「あなたの普通は信用できません」
「重くないよ」
「十本も抱えているでしょう!」
結局、薪を取り上げられたレオナは、しぶしぶ部屋へ戻された。
ところが三十分後。
シスターが様子を見に来ると、レオナは子どもたちに囲まれて本を読んでいた。
「……レオナ」
「今度は座ってるだけだよ」
確かに、椅子に座っているだけだった。
シスターは少し考えたあと、ため息をついた。
「それなら構いません。でも無理はしないこと」
「はーい」
シスターが去ると、目の前の女の子が笑った。
「レオナお姉ちゃん、いっつも怒られてるね」
「そうなの」
「悪い子なの?」
「多分ね」
「違うよ」
「え?」
女の子はレオナの顔をじっと見つめた。
「おめめ、かわいい」
「……何?」
「赤いの。宝石みたい」
レオナは思わず言葉を失った。
魔族になった証拠の赤い瞳。自分ではまだ見慣れないその色を、女の子は嬉しそうに眺めている。
別の子どもも顔を覗き込んできた。
「ほんとだ、きれい!」
「暗いところで光る?」
「……光らないと思うけど」
「光ってほしい!」
「無茶言わないでよ」
子どもたちが笑った。
レオナは少し困った顔をしてから、照れくさそうに笑った。
「……ありがと」
廊下では、その様子をソフィとミラが見ていた。
「めっちゃ照れてる」
ソフィが小声で笑う。
「かわいいって言われ慣れてないからね」
ミラも微笑んだ。
「聞こえてるよ!」
レオナが振り返る。
「聞かせてるんやもん」
「ソフィ、元気になったら覚えててよ」
「怖っ」
ミラが声を上げて笑った。
教会では、そんな穏やかな時間が少しずつ増えていた。
*
八日目の朝、物資を届けに来た商人が新聞を置いていった。
食堂でそれを受け取ったデイジーは、一面を開いた途端に表情を変えた。
「……みなさん」
朝食を取っていた仲間たちが顔を上げる。
「どうしたん?」
ソフィが尋ねた。
デイジーは新聞をテーブルへ広げた。
『ダズリン戦線、過去最大規模へ』
「……まだ戦ってるんだ」
ニーナが見出しの下にある日付を見た。
デイジーが記事を読み進める。
「魔族軍がさらに兵力を投入しています。周辺地域でも攻撃が始まっているそうです」
「ダズリンだけじゃないの?」
ミラが尋ねた。
「はい。複数の町で魔族の部隊が確認されています」
クロエが新聞を引き寄せた。
「……まずいな」
「何か分かるの?」
レオナが聞く。
「私、魔大臣にミラを追跡して居場所を知らせるって約束してたんだよね」
クロエは記事を指で押さえた。
「でも、戻ってない。それどころか、鉄の魔女までいなくなった」
「……私か」
「うん。向こうからしたら、私がミラかレオナを連れて逃げたようにも見える」
クロエは少し考え込んだ。
「ダズリンへの攻撃は、もともとミラを引っ張り出すためだった。規模を大きくしてるのも、私たちを動かすためかもしれない」
「……その可能性はありますね」
タリアが静かに頷いた。
「でも、確かなことは分からない」
クロエは新聞を置いた。
「うん。魔大臣が次に何をするつもりなのか、私にも分からない」
食堂に沈黙が落ちた。
デイジーが別の紙面を開く。
「……ほかにも記事があります」
「まだあるの?」
ニーナが聞いた。
「こちらは少し違う話ですが……」
その見出しを見た瞬間、ジェマの顔が引きつった。
『人気スター・サニー、突然の失踪』
「……」
全員がジェマを見る。
「見ないで」
ニーナが記事を覗き込んだ。
「予定されていた公演を欠席。その後も所属先事務所も連絡が取れず……」
「読まなくていい!」
「ファンからは安否を心配する声が相次いでおり――」
「ニーナ!」
マチルダが首を傾げた。
「ジェマ、行方不明なの?」
「ここにいるでしょ!」
ジェマは額を押さえた。
「……帰ったら怒られるな」
ソフィは別の記事を見つけた。
「あ、これマチルダちゃう?」
『ダズリン西方に巨大な赤い竜か』
マチルダが固まった。
「……」
「住民多数が目撃。真紅の鱗を持つ巨大な竜が戦場に現れ、その後、姿を消したという」
「マチルダやん」
「自分、ここにいるよ」
「知ってるって」
クロエが笑った。
「サニーに、ドラゴンに、鉄の魔女に、王女。みんな行方不明じゃん」
「いや、私は死亡扱い」
ミラが小さく手を上げる。
「何この集団」
ニーナが呆れると、ジェマが肩をすくめた。
「集めたのデイジーでしょ」
「私のせいですか?」
「だって、みんな探してきたじゃん」
「……否定できませんね」
デイジーも笑ったが、次の記事を見て表情を曇らせた。
国家軍が諜報部門の活動を強化しているという小さな記事だった。
「……私も探されているかもしれません」
「デイジーも?」
「鉄の魔女討伐の任務中に連絡を絶っていますから」
デイジーはレオナを見た。
「しかも、討伐対象を殺さずに連れて逃げました」
「……ごめん」
「先輩は謝らないでください」
「でも」
「それ、今は禁止です」
レオナが目を丸くする。
「何が?」
「何でも自分のせいにすることです」
「横暴じゃない?」
「採用!」
ニーナがすぐに手を上げた。
「私も賛成」
ジェマも続く。
「本人の意見は?」
「ありません」
デイジーが即答すると、食堂に笑いが起きた。
けれど、テーブルの真ん中にはダズリンの戦況を伝える新聞が広がったままだった。
*
それから数日、教会へ届く新聞の内容は悪くなる一方だった。
ダズリン周辺の街道が封鎖され、補給路が襲われた。兵士だけでなく、治癒術師や食料も不足し始めているという。
そして、紙面には毎日のように戦死者の名前が載るようになった。
ある朝、ニーナはその欄を読んでいる途中で新聞を閉じた。
「……知ってる人がいた?」
隣にいたジェマが尋ねる。
ニーナは少し黙ってから頷いた。
「昔、一緒に訓練してた人」
「……そっか」
「五年前も生き残ったのに」
ニーナはそれ以上何も言わなかった。
向かいに座っていたレオナも、閉じられた新聞へ視線を落とした。
かつて自分も兵士だった。名前を見れば思い出せる人がいるかもしれない。けれど、魔族になってからの記憶は、今もところどころ曖昧だった。
誰が生きていて、誰が死んだのか。
そのことすら、まだ分からない。
別の日には、スルバン大聖堂の後継者問題が大きく報じられた。
商人派と農村派の対立が激しくなり、各地の聖職者にも分裂が広がっているという。
タリアは記事を読み終えると、静かに新聞を畳んだ。
「……こんな時にまで」
ミラが尋ねる。
「大聖堂のこと?」
「はい。戦争で国が弱っているからこそ、自分たちの立場を強くしようとしている人たちがいるんだと思います」
「今は協力せなあかん時やのにな」
ソフィが顔をしかめた。
タリアは頷いたが、何も言わなかった。
*
やがて、新聞の中だけだった戦争が、パルタ山にも届き始めた。
最初に教会を訪れたのは、小さな子どもを連れた夫婦だった。
その翌日には、足を怪我した老人が来た。
さらに次の日には、荷物を背負った家族が何組も山を登ってきた。
「お願いします。村へ戻れないんです」
「子どもだけでも、休ませてもらえませんか」
シスターは誰も追い返さなかった。
空いている部屋を開け、食堂にも寝床を作った。修道士たちは倉庫から毛布を運び、修道女たちは食事の準備に追われた。
九人も、できる範囲で手伝った。
ミラはアイリスという名前で子どもたちの相手をし、クロエは壊れた荷車や道具を修理した。ジェマは片腕でもできる仕事を探していたが、難民の中にサニーのファンがいると分かると、少し困ったことになった。
「……サニーに似てません?」
若い女性が、ジェマの顔をじっと見つめていた。
「よく言われます」
「声もそっくり」
「他人です」
「でも、歌は歌えますか?」
ジェマは隣にいたニーナを見た。
ニーナは必死に笑いをこらえている。
「……ちょっとだけなら」
結局、ジェマは子どもたちの前で歌うことになった。
その歌声を聞きながら、マチルダは配膳を手伝っていた。ソフィとデイジーも休み休み働き、タリアはシスターの指示で軽い処置を受け持った。
レオナは、いつもサングラスをかけていた。
赤い瞳を見られれば、魔族だと気づかれるかもしれない。それでも、困っている人を前にするとじっとしていられなかった。
「この鍋、どこに持っていけばいい?」
大鍋を抱えて歩いていると、後ろから声が飛んできた。
「レオナ!」
「……はい」
「また重い物を持って!」
シスターだった。
「でも、人が足りないでしょ」
「だからって、まだ治っていない患者が無理をしない!」
近くにいた子どもたちが笑った。
「レオナお姉ちゃん、また怒られてる!」
「見てないで助けてよ」
「やだ!」
「なんで!」
「面白いから!」
レオナは困ったように笑った。
けれど、教会へ来た人々から聞こえてくる話は、笑えるものではなかった。
「ダズリンは、もう限界です」
ある男が、食堂でそう話した。
「城壁の一部が崩れたんです。家も随分壊されて……」
隣にいた女性が続ける。
「地面が沈んでいる場所まであるんですよ」
「……地面が?」
デイジーが聞き返した。
「はい。魔法の攻撃が続いて、町の下が壊れたんじゃないかって」
男が首を振る。
「でも、本当の原因は分かりません。とにかく、もう住めないと言われたんです」
クロエは少し考え込んだ。
「……地面が沈む、か」
「何か気になるの?」
ミラが尋ねた。
「ううん。魔法の影響ならあり得るけど、詳しく調べないと分からない」
レオナは黙って話を聞いていた。
ダズリン。
自分が鉄の魔女として現れた町。
今も多くの人が戦い、傷つき、家を失っている。
そして、その人たちが次々とこの教会へ逃げてきていた。
*
その日の夜、レオナは自分の部屋で荷物をまとめていた。
水、薬、保存食、包帯。必要な物だけを小さな鞄へ詰めていく。
肩の傷はまだ完全には治っていない。強く動かせば痛むし、長時間戦える自信もなかった。
それでも、ほかの八人よりは動ける。
机の上には、その日の新聞が置かれていた。
増え続ける戦死者。崩れかけたダズリン。避難する人々。
自分が鉄の魔女として始めた戦争が、今も続いている。
レオナは鞄の口を閉じた。
みんなは、自分を取り戻すために命を懸けてくれた。そのせいで、今も傷ついた身体を休めている。
これ以上、巻き込みたくなかった。
レオナはサングラスをかけ、鞄を肩へ掛けた。傷が痛んだが、構わなかった。
誰にも言わず、今夜のうちに山を下りるつもりだった。
教会の玄関まで来たところで、レオナは一度振り返った。
廊下には誰もいない。
扉へ手を伸ばした、そのときだった。
「どこ行くの?」
「……!」
レオナが振り返る。
廊下の奥に、ミラが立っていた。
「……ミラ」
ミラの視線が鞄へ落ちる。
「その荷物、どうしたの?」
「……ちょっと」
「ダズリンに行くつもり?」
レオナは答えなかった。
ミラがゆっくり近づいてくる。
「一人で?」
「……みんなはまだ動けないでしょ」
「だから?」
「私が行く」
ミラは立ち止まった。
「また、そうするんだ」
「何が?」
「自分一人で何とかしようとすること」
「違うよ。ちゃんと考えた」
「考えた結果が、誰にも言わずに出ていくこと?」
レオナは少し眉を寄せた。
「逃げるわけじゃない。助けに行くんだよ」
「分かってる」
ミラの声は静かだった。
「レオナが困っている人を放っておけないのは、知ってる」
「だったら……」
「でも、どうして一人なの?」
レオナは鞄の紐を握った。
「私が一番動けるから」
「それだけ?」
「……」
ミラは答えを待った。
レオナは視線を落とし、しばらく黙っていた。
「……私、あの戦争を始めた側にいたんだよ」
ミラの表情が変わる。
「魔族にされてたとしても、あそこにいたのは私なの。人を傷つけた。みんなのことも……」
レオナはミラの腹部を見た。
「その傷だって、私がやった」
「レオナ」
「だから、これ以上みんなを巻き込みたくない」
レオナは顔を上げた。
「今度は私が何とかしたいの」
ミラはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「……五年前も、そうだったね」
レオナの手が止まる。
「私を逃がすために、一人で残った」
「……」
「ニーナを助けたときも、そうだった」
ミラはレオナをまっすぐ見つめた。
「レオナはいつも、誰かを守ろうとして自分だけ危ないところへ行く」
「それは……」
「その優しさを、やめてほしいわけじゃないの」
ミラの声が震え始めた。
「でも、また一人で行って……帰ってこなかったら?」
レオナは何も言えなかった。
「次は何年待てばいい?」
ミラの目に涙が浮かぶ。
「五年も待ったんだよ。もう二度と会えないと思ってた。それなのに、やっと帰ってきたレオナが、また黙っていなくなるなんて……」
「……ミラ」
「もう嫌だよ」
ミラは首を振った。
「もう一回、レオナを失うのは嫌」
レオナは鞄を握りしめたまま、動けなくなった。
そのとき、廊下の奥から声がした。
「私も嫌」
二人が振り返る。
ニーナが壁に手をつきながら立っていた。
「……起きてたの?」
レオナが尋ねる。
「今の声で起きた」
ニーナはゆっくり近づき、レオナの鞄を見た。
「……本当に行く気だったんだ」
「ニーナ……」
「五年前もそうだったよね。私を助けるために、自分が残って」
ニーナはレオナを見つめた。
「それで、いなくなった」
「……」
「今度は絶対、一人で行かせない」
レオナは首を振った。
「でも、みんな今は戦えないでしょ」
「分かってる」
「だったら……」
「だからって、勝手に決めないでよ」
ニーナの声が強くなった。
「私たち、何のためにここまで来たと思ってるの?」
レオナは答えられなかった。
「一緒に帰るためでしょ。なのに、帰ってきた途端また一人で行くなんて、そんなの許せるわけないじゃん」
「……じゃあ、どうすればいいの」
レオナは苦しそうに言った。
「ミラはまだ腹の傷が治ってない。ニーナだって、歩くだけで痛そうにしてる」
二人は黙った。
「ジェマの腕も、ソフィの魔力も、みんなまだ元に戻ってない。そんな状態で一緒に行ったら、また誰かが傷つく」
レオナの声が小さくなる。
「……それは嫌なんだよ」
「分かるで」
廊下の奥から、ソフィの声がした。
振り返ると、ジェマとクロエが立っていた。その後ろにはデイジー、タリア、マチルダもいる。
「……全員いるじゃん」
レオナが呟く。
ジェマが笑った。
「声大きいんだよ、あんたたち」
ソフィはレオナの前まで来ると、少し困ったように笑った。
「レオナの気持ちは分かる。自分が関わった戦争やって思うなら、じっとしてられへんよな」
「……」
「責任感じるなって言われても、そら無理やと思う」
クロエも頷いた。
「私だって魔大臣と取引してたんだし、他人事じゃないよ」
レオナが顔を上げる。
「でも、一人で行くのは違う」
クロエは続けた。
「私にも責任があるなら、私にも何かさせてよ」
ジェマがレオナの肩を軽く小突こうとして、傷を思い出したのか手を止めた。
「あんたが何とかしたいのは分かった」
「……うん」
「でも、相談くらいしなよ。私たち、そんなに頼りない?」
「そんなことない!」
レオナがすぐに答えると、ジェマは笑った。
「じゃあ、勝手に決めないこと」
マチルダも頷いた。
「自分も、みんなと一緒がいい」
デイジーはまだ震えの残る手を見せた。
「私だって、今すぐダズリンへ戻りたいです。知っている人も、まだ戦っていますから」
「……」
「でも、今の私が行けば、助ける側じゃなくて治療される側になります」
タリアも静かに頷いた。
「私も同じです。無理に魔力を使えば、また倒れてしまうと思います」
レオナは仲間たちを見渡した。
みんな、行きたいと思っている。
けれど、今の身体では行けない。
そして、誰も自分を一人では行かせてくれない。
「……じゃあ」
レオナは小さく言った。
「どうすればいいの?」
誰もすぐには答えられなかった。
そのとき、廊下の奥から大きなため息が聞こえた。
「……いつまでそこで話しているつもりですか」
シスターだった。
九人が一斉に振り返る。
「シスター……」
レオナが気まずそうに鞄を隠そうとする。
「隠さなくていいわよ。昨日から準備していたでしょう」
「……気づいてたの?」
「当たり前です」
シスターはレオナを見た。
「あなたは昔から、誰かが困っていると自分のことを後回しにする子でしたね」
「……」
「その気持ちは大切にしなさい。でも、自分が倒れたら、助けられる人も助けられなくなるでしょう」
レオナは黙って頷いた。
シスターは残りの八人にも目を向けた。
「それから、あなたたちも」
「……はい」
タリアが答えた。
シスターは少し考えるように目を伏せた。
「本当なら、あと何週間でもここで休んでいてほしいわ」
誰も口を挟まなかった。
「でも、教会へ来る人は増える一方です。私たちだけでは、助けられない人もいる」
シスターは九人を見渡した。
「……一つ、方法があります」
全員の表情が変わった。
「ただし、とても危険な方法です」
シスターは礼拝堂の方へ歩き始めた。
「話を聞いてから、決めなさい」
*
真夜中の礼拝堂には、いくつもの蝋燭が灯されていた。
祭壇の前でシスターが床へ魔法陣を描き、九人をその周囲へ座らせた。
タリアは描かれていく複雑な術式を見て、表情を変えた。
「……シスター、これは」
「知っているのね」
「はい。でも、こんな大きな術を一人で使うなんて……」
シスターは頷いた。
「だから、普通は使わないのよ」
九人が静かになる。
「これは、身体が本来何週間、何か月とかけて行う回復を、短い時間で強制的に進める魔法です。傷ついた筋肉や骨を修復し、消耗した魔力の流れも整えます」
ニーナが脇腹へ触れた。
「じゃあ、動けるようになるの?」
「うまくいけばね。ただし、治癒のために必要な力を、身体から一度に引き出すことになります」
シスターは真剣な顔で続けた。
「術のあとには、強い疲労や発熱、痛みが出るでしょう。無茶をすれば傷が悪化することもあります。魔力を使いすぎれば、再び動けなくなるかもしれません」
「……どのくらい危険なの?」
ミラが尋ねた。
「最悪の場合、命に関わります」
礼拝堂が静まり返った。
「そして、九人を同時に治す私にも大きな負担がかかります」
タリアがすぐに顔を上げた。
「シスター、それなら……」
「最後まで聞きなさい」
「……はい」
シスターはタリアへ微笑んだ。
「あなたたちがここへ来たとき、私はこの魔法を使いませんでした。普通に治療すれば、時間はかかっても安全に回復できるからです」
そして、九人を見渡した。
「今でも、それが一番いいと思っています」
レオナは黙って聞いていた。
「でも、あなたたちは行くのでしょう?」
誰も目を逸らさなかった。
シスターは小さく息を吐いた。
「私は、あなたたちが戦場へ行くのを喜んで送り出すつもりはありません。ただ、今のままでは何もできないと分かっているあなたたちを、ここに閉じ込めておくこともできない」
シスターは魔法陣の中央へ手を置いた。
「危険を承知で、それでも行くというのなら……私にできることはあります」
少し間を置いてから、尋ねた。
「どうしますか?」
最初に答えたのはレオナだった。
「……お願いします」
その隣で、ミラも頷く。
「私も。レオナを一人では行かせない」
ニーナが続いた。
「私も行く」
ジェマはまだ動かない左腕を見てから、右手を上げた。
「ここまで来たんだから、最後まで付き合うよ」
クロエも頷く。
「私も。このままじゃ気持ち悪いし」
「私もお願いします」
ソフィがシスターを見た。
マチルダも手を上げる。
「自分も行くよ」
デイジーは静かに頷いた。
「ダズリンは、私の好きな町なんです」
最後に、タリアがシスターを見つめた。
「……私もお願いします」
「止めても?」
「行きます」
シスターは困ったように笑った。
「本当に、あなたはお母さんに似てきたわね」
タリアが少し驚いた顔をする。
「……そうですか?」
「ええ。自分で決めたことは、なかなか曲げないところが」
シスターは祭壇の前へ進んだ。
「では、始めます」
*
シスターが両手を組み、静かに祈り始めた。
その声に合わせるように、床の魔法陣が淡く輝き始める。
最初に感じたのは、柔らかな温かさだった。
足元から光が立ち上り、九人の身体を包んでいく。
「……気持ちいい」
ニーナが目を閉じる。
「まだですよ」
シスターが答えた。
その直後だった。
「っ……!」
ニーナの身体が大きく揺れた。
「痛っ……!」
脇腹の傷が、内側から強く引っ張られる。
ジェマも左腕を押さえ、ミラは腹部を抱えた。クロエの脚、マチルダの背中にも、焼けるような痛みが走る。
「これ……!」
ジェマが歯を食いしばる。
「身体が、一気に治ろうとしてるんです……!」
タリアも苦しそうに息を吐いた。
ソフィの額から汗が落ちる。
「聞いてたけど……思ったよりきついな……!」
「だから普通は使わないと言ったでしょう!」
シスターの声にも余裕がなかった。
魔法陣の光がさらに強くなる。
傷ついた筋肉や骨が、内側から熱を持つ。長い時間をかけて治るはずだった身体が、今この瞬間に無理やり修復されていく。
レオナも肩を押さえた。
魔族の身体はほかの八人より回復が早かったが、剣が貫いた肩の奥には、まだ傷が残っている。
「……っ!」
強烈な痛みに、思わず歯を食いしばった。
それでも、誰も魔法陣から離れなかった。
やがて、身体を貫いていた痛みが少しずつ弱くなっていく。
光が薄れ、シスターが大きく息を吐いた。
「……終わりです」
魔法陣が消えた。
真夜中の礼拝堂に、静けさが戻る。
*
しばらく誰も動かなかった。
最初に立ち上がったのはニーナだった。
「……」
恐る恐る脇腹へ触れ、身体を捻ってみる。
「……痛くない」
もう一度、少し大きく動かす。
「痛くない!」
その声を聞いて、ジェマも左腕を上げた。
肩も、肘も、手首も動く。
「……ほんとだ」
クロエも立ち上がり、傷めていた脚へ体重をかけた。
「普通に立てる……!」
ソフィは指先へ魔力を集めた。小さな光が灯り、すぐに消す。
「魔力も戻ってる……」
ミラも腹部を押さえながら立ち上がり、デイジーとタリアは互いの顔を見て微笑んだ。マチルダは嬉しそうに両腕を伸ばしている。
レオナは自分の肩をゆっくり回した。
腕が上がる。ほとんど痛みもない。
「……すご」
ニーナがすぐに近づいてきた。
「肩、大丈夫?」
「うん」
「よかった……」
ニーナがほっと息を吐いた。
さっきまで歩くことさえ難しかった九人が、自分の身体を確かめながら喜んでいる。
「喜ぶのはそこまで」
シスターの声で、全員が振り返った。
祭壇に片手をついたシスターは、明らかに顔色が悪かった。
タリアがすぐに駆け寄る。
「シスター!」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃありません」
タリアに支えられ、シスターは近くの椅子へ腰を下ろした。
「少し休めば平気よ。あなたのお母さんと一緒に修行した身ですもの。このくらい……」
そう言って笑おうとしたが、額には汗が浮かんでいた。
タリアはシスターの手を握った。
「……ありがとうございます」
シスターは小さく頷くと、九人を見上げた。
「さっき話したことを、忘れないでください」
全員が静かになる。
「今は動けます。でも、身体に無理をさせた代償は、必ずあとから来ます」
九人は頷いた。
「それから、一つだけ約束して」
シスターの視線が、一人ずつを辿っていく。
「必ず帰ってきなさい」
「……」
「九人で」
レオナが顔を上げた。
シスターはまっすぐ彼女を見ていた。
「目的を果たすことだけ考えて、自分の命を忘れないで。あなたたちが帰ってくることも、大切な約束です」
ジェマがレオナの肩を軽く叩いた。
「あんたが一番心配なんだよ。前科あるんだから」
「……何よ、それ」
レオナが困ったように笑う。
「事実でしょ?」
ニーナも頷いた。
「二回目は絶対許さないからね」
「分かってるって」
レオナは仲間たちを見渡した。
ミラも、ニーナも、ほかのみんなこちらを見ている。
一人で行こうとしていたときには、見えていなかった顔だった。
レオナはシスターへ向き直った。
「……帰ります」
今度は、迷わず答えた。
「九人で」
シスターも、ようやく笑った。
「約束ですよ」
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