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討伐対象は、かつて私を救ってくれた恩人でした 〜殺せと命じられたので最強仲間たちと連れ戻します〜  作者: 真鈴マリン
Part.1 帰還編

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24/27

#23 殺せなかった理由

 決戦の日の朝。


 空は、嫌になるくらい晴れていた。


 ダズリンの城壁に立つ兵士は、地平線の向こうに広がる黒い影を見つめていた。


 最初は雲かと思った。しかし、影は地面を這うように広がり、その上空には無数の翼が見える。


「……魔族軍だ」


 兵士の叫びと同時に、警鐘が鳴り響いた。


 街の門が閉ざされ、住民たちは避難所へ走る。城壁には弓兵が並び、魔術部隊が障壁を展開し始めた。


 黒い鎧の軍勢、巨大な獣、空を覆う魔物の群れ。その数は、城壁の上からでは数えきれない。


 五年前の悪夢が、再びダズリンへ迫っていた。


 *


 魔族軍の本陣では、魔大臣が遠くの城壁を眺めていた。


「始まったか」


 その少し後ろに、深緑のフードをかぶったクロエが立っている。


「随分と静かだな。怖じ気づいたか?」


「まさか。ほんとに戦争始めるんだなって思っただけ」


「今さら何を言う。人間どもには、五年前の続きを思い知らせてやらねばならん」


 クロエは答えなかった。


 そのとき、腰の魔導具が短く震えた。


 合図だ。


「大臣」


「何だ?」


「ミラが動いた」


 魔大臣が振り返る。


「どこだ?」


「ちょっと待って」


 クロエは魔導具を手に取り、しばらく黙った。やがて地図を広げ、ダズリンから西へ離れた荒野を指す。


「ここ。途中で進路を変えたみたい」


「ダズリンへ向かうのではなかったのか?」


「今朝まではね。でも、仲間と別れて一人で西へ向かった」


 魔大臣は地図を覗き込んだ。


「なぜ、こんな何もない場所へ?」


「知らない。逃げたんじゃない?」


「罠ではないのか?」


「かもね」


 あっさり答えると、魔大臣が眉をひそめた。


「否定しないのか」


「できないから。私が絶対に罠じゃないなんて言ったら、そっちの方が怪しいでしょ」


 クロエは地図を指先で叩いた。


「ただ、ミラがそこにいるのは確か。どうするかは大臣が決めて」


 魔大臣はしばらく考え込んだ。


 ダズリンにはすでに十分な戦力を投入している。王女一人を討つために軍全体を動かす必要はない。


「……鉄の魔女を呼べ」


 側近の魔族が顔を上げた。


「よろしいのですか? ダズリンの攻略は――」


「鉄の魔女がいなくとも落とせる。それより、王女を逃がすわけにはいかん」


 魔大臣は地図から顔を上げた。


「必ず仕留めろと伝えろ」


「はっ!」


 側近が駆け出していく。


 クロエはフードの奥で、小さく息を吐いた。


 かかった。


 *


 ダズリンから遠く離れた荒野には、強い風が吹いていた。


 草木もほとんど生えていない平地。その中央に、黒いローブをまとったミラが一人で立っている。


 足元には、何枚ものタロットカードが円を描くように並べられていた。


 ミラは空を見上げた。


 五年前、燃える王宮の中で自分の手を引いて走ってくれた人。


 逃げろと言われ、振り返ることもできずに走った。


 あの日から、ずっと会いたかった。


「……レオナ」


 胸元に手を置く。鼓動が速い。


 怖くないわけではない。それでも、今度は逃げるつもりはなかった。


 少し離れた岩場には、残る七人が身を隠していた。


「魔大臣は完全に信じたよ」


 先に戻っていたクロエが報告する。


「レオナをこっちに向かわせた。もうすぐ来るはず」


「本当に一人で来るの?」


 ジェマが尋ねる。


「命令を出したところまでは確認した。でも、絶対とは言い切れない」


「分かった。周囲の警戒も続けよう」


 デイジーが全員を見た。


「予定どおり、まずはミラに任せます。ただし、危なくなったらすぐに入ってください。無理に倒そうとしないこと」


 ニーナが腰の剣を確かめた。


「分かってる」


「特にニーナ」


「なんで私だけ?」


「一番先に飛び出しそうなので」


「失礼ね。ちゃんと考えて動くわよ」


 そのとき、タリアが顔を上げた。


「……来ます」


 全員の視線が北へ向く。


 地平線に、黒い人影が現れていた。


 *


 黒い鎧。長い髪。顔を覆う鉄の仮面。


 一人の女が、荒野を歩いてくる。


 その足元では薄い霜が広がり、周囲の空気が冷たくなっていった。


 ミラは正面を見つめたまま動かなかった。


 やがて女は二十メートルほど手前で立ち止まる。


 仮面の奥から、赤い瞳がミラを捉えた。


「お前がミラ王女」


 ミラはゆっくりとフードを外した。続いて占い師の仮面に手をかける。


 顔を隠していた仮面が外れ、黒い髪が風に揺れた。


「久しぶり、レオナ」


 鉄の魔女は黙っていた。


「……その呼び方、やめろ」


「嫌」


 ミラは即答した。


「話を聞かない女ね」


「それ、レオナに言われたくないな」


「何?」


「昔から人の話を聞かなかったでしょ」


「……知らない」


「そっか」


 ミラは少し笑った。


「でも、怒り方は変わってないね」


 鉄の魔女の周囲に冷気が集まり始める。


「くだらない。私はお前の知っている人間じゃない」


「今はね」


「随分と自信があるのね」


「五年間、占い師をやってたから。少しは強くなったんだよ」


 ミラは足元のカードを一枚拾った。


「なら、占ってみれば?」


 鉄の魔女が片手を上げる。


「今日、自分がどこで死ぬのか」


 ミラはカードを見た。


「それは出てないよ」


「そう」


「代わりにね」


 カードを正面へ向ける。


「帰ってくる人がいるみたい」


 次の瞬間、鉄の魔女の魔力が爆発した。


 *


 冷気が荒野を走り、大地が白く凍りつく。


 地面から無数の氷柱が突き出し、ミラへ迫った。


「星!」


 カードが光り、ミラの姿がその場から消える。直後、氷柱が地面を貫いた。


 数メートル離れた場所に現れたミラへ、今度は空から氷の槍が降り注ぐ。


「戦車!」


 半透明の盾が現れ、槍を受け止めた。


 激しい衝撃に盾が揺れる。ミラはその陰から次のカードを投げた。


「太陽!」


 まばゆい光が氷を包み、白い蒸気が広がる。


 その中をミラは走った。


「魔術師!」


 炎、風、雷、光。異なる魔法が次々と鉄の魔女へ放たれ、荒野に爆発が起きた。


 岩陰から見ていたニーナが目を見開く。


「ミラ、あんなに戦えるようになったんだ」


「五年もあれば変わるよね」


 ジェマが答える。


 ソフィは杖を握ったまま、煙の向こうを見つめていた。


「……まだや」


 煙が晴れる。


 鉄の魔女は立っていた。鎧の一部が焼け、腕には傷ができている。


 だが、その足取りは揺らがない。


「少しはやるようになったのね」


 ミラが息を整えながら笑う。


「褒めてくれた?」


「褒めてない」


 鉄の魔女が地面を踏み込んだ。


 その足元に巨大な魔法陣が広がる。


「……塔!」


 ミラの前に石壁がせり上がった。直後、大地が爆発する。


 石壁は砕け、ミラの身体が吹き飛ばされた。


 地面を転がったミラが顔を上げたとき、すでに鉄の魔女が目の前にいた。


 速い。


 振り下ろされる腕を防ごうと、ミラがカードを抜く。


 しかし、間に合わない。


 甲高い金属音が響いた。


 鉄の魔女の攻撃を、横から差し込まれた剣が受け止めていた。


「王女様いじめるの、そこまで」


 ニーナだった。


 鉄の魔女の赤い瞳が動く。


「……お前」


「久しぶり、レオナ」


 ニーナが剣を押し返す。


「五年ぶりに会ったんだから、もう少し歓迎してくれてもいいんじゃない?」


 反対側から鞭が飛んだ。


 鉄の魔女が身を引くと、鞭は地面を叩き、岩を砕いた。


「一対一は終わり」


 ジェマが歩いてくる。


「今度は私たちが相手」


 鉄の魔女は二人を見た。


「……ニーナ・ベル。ジェマ・ハート」


「覚えてるじゃん」


 ニーナが笑う。


「だったら話が早いね」


「邪魔をするなら、お前たちから殺す」


 ジェマは鞭を構えた。


「そう簡単にはいかないよ」


 二人が同時に地面を蹴った。


 *


 ニーナが正面から斬り込む。


 鉄の魔女は氷の刃を作り、剣を受け止めた。横から迫ったジェマの鞭を避けると、そのままニーナへ反撃する。


 だが、ニーナはすでに横へ回っていた。


 二人はレオナの戦い方を知っている。


 踏み込みの速さ。攻撃を避ける方向。次に狙う場所。


 五年前まで、何度も見てきた動きだった。


 ニーナが低い姿勢で懐へ入る。


 鉄の魔女が剣を受け止めた瞬間、ジェマの鞭が足首に絡んだ。


「取った!」


「甘い!」


 鉄の魔女が鞭を掴み、ジェマを引き寄せる。


 空いた手に黒い魔力が集まった。


「ジェマ!」


 ニーナが叫んだ瞬間、横から炎が飛んできた。


 鉄の魔女が腕を上げて防ぐ。


 その隙にジェマが鞭を引き戻し、後ろへ跳んだ。


 大地を揺らしながら、マチルダが降り立つ。


 腕には真紅の鱗が浮かんでいた。


「レオナ」


 マチルダが拳を握る。


「帰ったら、ご飯食べよう」


「……竜人か」


「うん。自分のこと、覚えてなくてもいいよ」


 マチルダは少し笑った。


「自分が覚えてるから」


 炎をまとった拳が、鉄の魔女へ叩き込まれた。


 その身体が後方へ押し飛ばされる。


 だが、鉄の魔女はすぐに立ち上がり、空中へ無数の氷塊を生み出した。


「鬱陶しい……!」


 氷塊が三人へ降り注ぐ。


 逃げ場はない。


 その前に、巨大な炎の壁が立ち上がった。


「ほんま、すぐ怒るんやから」


 白い蒸気の向こうから、ソフィが歩いてくる。


 鉄の魔女の動きが止まった。


「……お前」


「また会ったなぁ」


 ソフィが杖を構える。


「今度は、ちゃんと最後まで付き合ってもらうで」


「生意気な魔女」


「知ってる。昔から言われてたもん」


 鉄の魔女の赤い瞳が揺れた。


「……黙れ!」


 黒い魔力が広がり、ソフィの炎を押し返す。


 ソフィはすぐに障壁を張った。しかし、魔力の波は想像以上に重い。


「っ……!」


 横から複数の魔石が飛び、障壁へ吸い込まれる。


「一人で頑張らないでよ」


 クロエだった。


「……またお前か」


 鉄の魔女が睨む。


「うん。また私」


 クロエは腰から武器を抜いた。


「今日は逃げに来たんじゃないよ」


「何をしに来た?」


「直しに来た」


 クロエはまっすぐに鉄の魔女を見た。


「壊れたもの、直すの得意だから」


 障壁が大きく軋んだ。


 そのとき、一本の矢が鉄の魔女の足元へ突き刺さる。


 光の陣が広がり、黒い魔力を押し返した。


「レオナ」


 タリアが弓を下ろす。


「今日は、あなた自身を治しに来ました」


「くだらない」


「帰るまで諦めません」


 鉄の魔女が地面を蹴った。


 一瞬でタリアとの距離が縮まる。


「タリア!」


 ニーナが叫ぶ。


 鉄の魔女の腕が振り下ろされる直前、光の壁が二人の間に現れた。


 攻撃が弾かれる。


「危なかったですね!」


 デイジーが駆け込んできた。


「怪我は?」


「大丈夫です」


「よかった」


 デイジーは鉄の魔女へ向き直る。


「レオナ先輩」


「……お前は?」


「昔、訓練場でよく怒られていた後輩です」


「知らない」


「でしょうね」


 デイジーは杖を握り直した。


「でも、私は覚えてます。あの日、助けてもらったことも」


 その声から、いつもの軽さが消える。


「だから、今日は私が連れて帰ります」


 鉄の魔女が八人を見渡した。


 いつの間にか、全員がその前に立っていた。


「八人で来れば、私を倒せるとでも?」


 ニーナが剣を構える。


「違うよ」


 ジェマも鞭を持ち上げた。


「連れて帰りに来たの」


 ミラの周囲に、タロットカードが浮かび上がる。


 鉄の魔女はしばらく八人を見ていた。


 やがて、仮面の下で口元を歪める。


「……やってみなさい」


 荒野を揺るがす魔力が放たれた。


 *


 そのとき、遠くから地響きが聞こえた。


 タリアが振り返る。


「……魔物が来ます」


 岩山の向こうから、獣型の魔物と黒い鎧の兵士たちが現れた。上空には翼を持つ魔物もいる。


 クロエが舌打ちする。


「やっぱり、完全には切り離せなかったか」


「こっちはレオナだけで精一杯なのに!」


 ジェマが叫ぶ。


 マチルダが一歩前へ出た。


「じゃあ、そっちは自分がやる」


「マチルダ?」


 ニーナが振り返る。


「みんなはレオナをお願い」


 マチルダの身体から炎が噴き出した。


 その背中から大きな翼が伸び、全身を真紅の鱗が覆っていく。


 炎が消えたとき、そこには巨大な竜が立っていた。


「……でっか」


 ジェマが呟く。


 マチルダが首を向けた。


「かわいい?」


「今それ聞く!?」


 ニーナの声を背に、マチルダは魔物の群れへ飛び出した。


 巨大な尾が魔物たちを薙ぎ払い、口から吐かれた炎が地面を走る。


 空から迫る魔物には、タリアの矢が飛んだ。


「マチルダ、右です!」


「ありがと!」


「こちらは任せてください!」


 マチルダとタリアが増援を食い止める間に、残る六人は再び鉄の魔女へ向き直った。


 *


 戦いは、簡単には終わらなかった。


 ニーナとジェマが前へ出るたび、鉄の魔女は二人の動きを読み、氷の刃で迎え撃った。


 ソフィとミラの魔法は確実に傷を増やしていたが、魔族の身体は人間よりも頑丈だった。


 クロエの仕掛けも、同じ手は二度と通じない。


 そして、鉄の魔女は八人の中で誰を先に倒すべきか、すぐに見抜いていた。


「デイジー!」


 ニーナが叫ぶ。


 黒い魔力が、後方で治療を続けるデイジーへ伸びた。


 障壁を張る暇はない。


 ジェマの鞭がデイジーの腰へ絡み、横へ引き寄せた。


 魔力の塊が、二人のすぐ横を通り抜けて地面を砕く。


「助かりました!」


「あとでお礼よろしく!」


「何が欲しいですか!」


「無事に帰れたら考える!」


 デイジーはすぐにニーナへ治癒魔法をかけた。


 先ほど受けた打撃で、ニーナは脇腹を押さえていた。


「肋骨が折れてます。しばらく動かないでください」


「無理!」


「ですよね!」


 傷が塞がりきる前に、ニーナは再び剣を構えた。


 だが、デイジーの顔色は明らかに悪くなっていた。


 治療を続けるほど、魔力が減っていく。


 ソフィも額から汗を流し、ミラのカードは残り少ない。


 このまま長引けば、先に倒れるのは自分たちだ。


「……次で決めたい」


 ミラが言った。


 ソフィが頷く。


「せやな。せめて動きを止められたら……」


 その言葉が終わる前に、鉄の魔女が動いた。


 狙いは、ミラだった。


「まずは、お前からよ」


 鉄の魔女の手に、長い氷の槍が生まれた。


「ミラ!」


 ニーナが叫ぶ。


 ミラはカードを引いた。


「正義!」


 薄い光の膜が身体の前に現れる。


 しかし、氷の槍はその膜を突き破った。


「っ――!」


 腹に鋭い痛みが走る。


 防御膜が槍の軌道をずらしたため、急所は外れた。それでも深く傷ついたミラは、その場に膝をついた。


 鉄の魔女が槍を引き抜く。


 ニーナが駆け寄ろうとした瞬間、衝撃波が放たれた。


「くっ!」


 ニーナとジェマが吹き飛ばされる。


 ソフィもデイジーも、すぐには近づけない。


 鉄の魔女はミラの胸元を掴み、そのまま地面へ押し倒した。


「……終わりよ」


 片手でミラの両手首を押さえ、空いた手に細い氷の刃を作る。


 ミラは必死に腕を動かした。


 しかし、びくともしない。


 目の前には、鉄の仮面。


 その奥に、赤い瞳が見える。


 五年前、自分を守るために残った人。


 今、その人が自分を殺そうとしている。


「……レオナ」


 ミラが小さく呼んだ。


 氷の刃が振り下ろされる。


 ……はずだった。


「……?」


 刃が止まった。


 ミラの胸の、ほんの少し上で。


 鉄の魔女が眉を寄せる。


 もう一度、腕に力を込めた。


 ……だが、動かない。


「……何?」


 ミラも異変に気づいた。


 鉄の魔女の腕は震えている。


 まるで、自分の身体と争っているようだった。


「レオナ……?」


「黙れ!」


 鉄の魔女が怒鳴る。


 それでも、刃は下りなかった。


「何なのよ……!」


 その声には、明らかな狼狽が混じっていた。


「いい加減にしぃや!!」


 ソフィが駆け込んできた。


 杖を投げ捨て、そのまま鉄の魔女へ体当たりする。


 二人が地面を転がった。


 ソフィはすぐに起き上がり、鉄の魔女の胸ぐらを掴んだ。


「何してんねん!」


「離せ!」


「離すか!」


 ソフィの目には涙が浮かんでいた。


「五年前、命かけてミラを逃がしたんやろ!」


「……」


「ニーナも助けた! みんなのこと、ずっと守ってたやん!」


「黙れ」


「黙らへん!」


 ソフィは鉄の魔女の顔を見据えた。


「何が鉄の魔女や! 自分でミラを殺されへんくせに!」


 赤い瞳が大きく揺れた。


「……生意気ね」


 鉄の魔女がソフィを突き飛ばす。


 ソフィは地面を転がったが、すぐに顔を上げた。


 鉄の魔女は、まだ動かなかった。


 自分の腕が止まった理由も、ソフィの言葉に心が乱れた理由も、理解できない。


「……鬱陶しい」


 その声とともに、周囲の魔力が膨れ上がった。


 空が暗くなる。


「まずい!」


 デイジーが叫んだ。


 鉄の魔女の頭上に、巨大な魔法陣が幾重にも重なっていく。


 無数の氷と黒い魔力の塊が生まれ、荒野の上空を覆った。


「全員、集まって!」


 デイジーが障壁を張る。


 ソフィも立ち上がり、残った魔力を流し込んだ。


 ミラがカードを投げる。


「世界!」


 三人の魔力が重なり、大きな防御壁が現れた。


 しかし、あまりにも薄い。


「……持たない!」


 ソフィが歯を食いしばる。


 鉄の魔女が手を振り下ろした。


 無数の氷が一斉に降り注ぐ。


 その瞬間、巨大な影が仲間たちの前へ飛び込んだ。


 マチルダだった。


「みんな、下がって!」


 真紅の竜が翼を広げ、八人を覆うように背中を向ける。


 氷が鱗へ突き刺さり、黒い魔力が身体を焼いた。


「マチルダ!!」


 ニーナが叫ぶ。


 それでも、マチルダは動かなかった。


 最後の一撃が背中へ直撃し、巨体が大きく沈む。


 やがて攻撃が止んだ。


 マチルダの背中には無数の傷が走り、片方の翼は力なく垂れていた。


「……みんな、無事?」


「マチルダ!」


 タリアが駆け寄り、すぐに治癒魔法をかける。


 しかし、傷が多すぎる。


「全部は治せません。もう動かないでください」


「まだだよ……」


 マチルダは苦しそうに息を吐いた。


「まだ終わってないから」


 ニーナはその姿を見て、剣を握り直した。


 もう、誰にも傷ついてほしくなかった。


 *


 鉄の魔女も、無傷ではなかった。


 全身に傷を負い、鎧は割れ、呼吸が荒くなっている。


 だが、まだ倒れない。


 クロエは工具袋を開いた。


 魔石はほとんど残っていなかった。


「……しょうがない」


 腰から短い武器を抜き、地面を蹴る。


 鉄の魔女が腕を振った。


 クロエは身を低くして避け、懐へ飛び込んだ。


 肘、膝、短い連撃。


 鉄の魔女が一歩下がる。


「お前……!」


「道具だけじゃないよ」


 クロエは相手の腕を受け流し、そのまま身体をひねった。


 狙いは一つ。鉄の仮面。


「これ、邪魔なんだよね!」


 指が仮面の縁へかかる。


 鉄の魔女が振り払おうとする。


 しかし、クロエは離さなかった。


 金具が砕けた。仮面が外れ、地面へ落ちる。


 乾いた音が響いた。


 その瞬間、ジェマの動きが止まった。


 五年ぶりに見る、レオナの顔。


 頬には傷があり、額から血が流れている。


 瞳は赤い。


 それでも、顔そのものはあの頃と変わらなかった。


「……レオナ」


 クロエは鉄の魔女に振り払われ、地面を転がった。


 だが、ジェマは動かなかった。


 昔、山で何度も喧嘩した。


 一緒に笑い、魔物から逃げ回った。


 王の犬と盗賊。本来なら敵同士だったのに、いつの間にか友達になっていた。


 その顔が、今、自分たちを殺そうとしている。


「……いい加減にしなよ」


 ジェマが一歩前へ出た。


 鉄の魔女が顔を向ける。


「何?」


「何が鉄の魔女だよ」


 ジェマの手が震えていた。


「何が知らないだよ」


 鞭を強く握る。


「その顔で、そんなこと言わないでよ!」


 鉄の魔女の目が細くなる。


「……黙れ」


「思い出してよ!」


 ジェマが地面を蹴った。


 鞭が鋭く走る。


 鉄の魔女は氷の刃で受け止めた。しかし、ジェマは攻撃を緩めない。


 一撃、二撃。


 鞭が腕に絡み、体勢を崩す。


 そこへジェマが踏み込み、腹へ拳を叩き込んだ。


「っ……!」


 続けて膝を入れ、鞭を引き戻す。


「私の目を見ろ!!」


 全力で振り抜いた鞭が、鉄の魔女の身体を地面へ叩きつけた。


 激しい衝撃に、大地が割れる。


 鉄の魔女が血を吐いた。


 今までとは違う。


 明らかに大きな一撃だった。


「ジェマ……」


 ニーナが目を見開く。


 しかし、倒れた鉄の魔女の手が動いた。


「……鬱陶しい!」


 黒い魔力が至近距離で弾けた。


「ジェマ、下がって!」


 ニーナの声は間に合わなかった。


 衝撃がジェマの左肩を直撃する。


 嫌な音が響いた。


 ジェマの身体が吹き飛び、地面へ転がる。


 鞭が手から離れた。


「ジェマ!」


 ニーナが駆け寄る。


 ジェマは起き上がろうとしたが、左腕が動かなかった。


「……あーあ」


 痛みに顔を歪めながら、右手で肩を押さえる。


「これは、ちょっと無理かも」


「動かないで!」


 ニーナが叫ぶ。


 ジェマは苦笑した。


「……レオナは?」


 ニーナが振り返る。


 鉄の魔女は、倒れたままだった。


 荒い呼吸を繰り返し、片手を地面についたまま動かない。


「……今なら」


 ニーナが呟いた。


 捕らえられるかもしれない。


 ニーナは剣を握り、ゆっくりと近づいた。


「レオナ」


 返事はない。


 もう少しで手が届く。


 そのときだった。


 鉄の魔女の指が、わずかに動いた。


 *


「……!」


 ニーナは足を止めた。


 倒れたレオナの周囲に、黒い魔力が集まり始めている。


 最初は小さな光だった。


 しかし、それはすぐに大きく膨れ上がり、空中へ広がっていった。


「まだ、やるの……?」


 ニーナが息を呑む。


 魔力の塊は、離れた場所にいる仲間たちの頭上へ移動していた。


 ソフィとミラは立っているのがやっとだった。


 デイジーは治療を続けており、タリアもマチルダの傷に手を当てている。


 ジェマは左腕を動かせない。


 クロエにも、もう仕掛けに使える道具は残っていなかった。


「みんな、逃げて!」


 ニーナが叫ぶ。


 デイジーが顔を上げた。


 頭上の魔力を見て、すぐに障壁を張ろうとする。


 しかし、光は弱かった。


「……だめ、魔力が……!」


 ソフィも杖を持ち上げる。


 その手が震えていた。


「くそっ……!」


 鉄の魔女は倒れたまま、ゆっくりと腕を上げていた。


 まだ意識がある。


 まだ、魔法を使おうとしている。


 ニーナはレオナを見た。


 このままでは、仲間が死ぬ。


 魔法が放たれるまで、もう時間がない。


 剣で腕を止めるか。


 いや、魔族の力なら、腕を傷つけた程度では止まらないかもしれない。


 ここまで追い詰めても、レオナは立ち上がろうとした。


 今度こそ、確実に止めなければ。


 ニーナは剣を握り直した。


 狙うのは、心臓。


「……ごめん」


 声が震えた。


 五年前。


 捕らわれた自分を助けるため、レオナは敵の前へ戻ってきた。


 そのせいで、レオナは帰ってこなかった。


 今度こそ連れて帰ると決めたのに。


 そのレオナを、自分の手で殺そうとしている。


 それでも、後ろには仲間たちがいる。


 ニーナは剣を両手で握った。


 目を開けていたら、できなくなる。


 だから、目を閉じた。


「……っ!」


 剣を突き下ろす。


 鈍い手応えが、両手に伝わった。


 レオナの身体が大きく跳ねる。


 その瞬間、頭上に集まっていた黒い魔力が乱れた。


 形を失い、風に散るように消えていく。


 魔法は、放たれなかった。


 *


 静寂が訪れた。


 ニーナは剣を握ったまま、動けなかった。


 ゆっくりと目を開ける。


 レオナは倒れている。


 もう、動かない。


「……レオナ?」


 返事はなかった。


 ニーナの指先が震え始める。


「……ごめん」


 剣から手を離した。


 ごめん、レオナ……」


 自分がやった。


 自分の手で、レオナを殺した。


 そう思った瞬間、足から力が抜けた。


 ニーナはその場に膝をついた。


 後ろから、誰かが名前を呼んでいる。


 しかし、耳に入らなかった。


「……ごめん」


 ニーナは震える手を伸ばし、レオナの首筋に触れた。


「……あれ?」


 指先に、かすかな動きを感じた。


 もう一度、確かめる。


 弱い。


 けれど、確かに脈がある。


「……生きてる」


 ニーナが顔を上げた。


「生きてる!」


 デイジーが駆け寄ってくる。


「何ですか?」


「レオナ、生きてる!」


 ニーナは慌てて剣の位置を見た。


 刃は心臓を貫いていなかった。


 胸の中心から逸れ、肩に近い位置へ深く突き刺さっている。


「……」


 目を閉じていたから、狙いがずれたのか。


 それとも、最後の瞬間に自分の手が動いたのか。


 ニーナには分からなかった。


 ただ、レオナは生きている。


「……殺せなかった」


 声が掠れた。


 デイジーはすぐにレオナの状態を確かめる。


「呼吸があります。傷は深いですけど、まだ間に合います」


「……うん」


 ニーナは頷いた。


「私、殺そうとしたのに……」


 デイジーはニーナを見た。


「仲間を守ってくれたんですよ」


「でも……」


 ニーナは倒れたレオナへ目を向けた。


「レオナも、仲間なのに……」


 それ以上、言葉が続かなかった。


 *


 少し離れた場所で、タリアは倒れたレオナを見つめていた。


 生きている。魔族の身体のまま。


 そして、先ほどミラを殺そうとしたとき、レオナの腕は確かに止まった。


 クロエが話していた、ソフィを攻撃しなかった理由。


 今、目の前で起きたこと。


 それらが、タリアの頭の中でつながっていく。


 エウテルペ研究所で見つけた、古い記録。


 身体には作用しない。


 対象は、魂、人格、記憶。


 崩れた魂の構造を、再び組み立てる魔法。


 あのときは、人間の身体に戻せないから意味がないと思った。


 けれど、もし。


 魔族となった身体を変えられなくても。


 レオナの中に、まだ彼女自身が残っているのなら。


「……あ」


 タリアが小さく声を漏らした。


 ソフィが振り返る。


「タリア?」


 タリアは答えなかった。


 倒れているレオナを、じっと見つめている。


 やがて、ゆっくりと顔を上げた。


「……もしかして」


 その目に、かすかな希望が宿っていた。

毎日お疲れ様です。大切な時間を使って読んでくださり、大変嬉しく思います!


楽しんでいただけたでしょうか?読みにくいところはございませんか?率直な『☆』評価(★1〜5個)おまちしております。ポチッといただけるだけで励みになります!


本作はすでに最終回まで完成してます。朝6時、昼12時、夜22時の1日3回投稿してますのでよかったらブックマーク登録もお願いします!

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