#18 生かされ、逃げのびて
ミラとの再会を喜び合ったあと、一行は宿の部屋に集まり、彼女が過ごしてきた五年間について話を聞いていた。
王宮を脱出したミラは、王女という身分を隠し、アイリスと名乗って各地を旅していたという。占い師として人々と関わりながら、かつて王宮の中にいた頃には知らなかった世界を見てきたのだ。
「それで、どうして闘技大会に出ようと思ったの?」
ニーナが尋ねると、ミラは膝の上に置いたタロットカードへ目を向けた。
「鉄の魔女の宣戦布告を聞いてから、ずっと考えていたの。私に何ができるんだろうって。でも、なかなか答えが出なくて」
「そこで占い?」
「うん。何か手がかりがないかと思ってカードを並べたら、闘技大会へ行くようにって」
「それで本当に出場したの!?」
「だって、行くだけじゃ何も分からないでしょう?」
ミラは不思議そうに首を傾げた。
「いや、だからって優勝までしなくても……」
「おかげで、みんなに会えたよ」
そう言って微笑むミラに、ニーナは返す言葉をなくした。
「ほんま、昔から行動力あるよなぁ」
ソフィが笑うと、クロエも頷いた。
「しかも、あんなに強くなってるなんて思わなかった。学校でカード並べてた頃とは大違いじゃん」
「ずっと旅をしていたから。危ないこともあったし、少しは強くならないとね」
ミラは穏やかに答えた。けれど、その五年間が決して平穏ではなかったことは、彼女の言葉の端々から伝わってきた。
やがて話題は、王宮が陥落したあの日のことへ移った。
「……五年前」
ミラは両手で包んでいた紅茶のカップへ視線を落とした。
「王宮が燃えた日、私は死ぬつもりだったの」
さっきまで賑やかだった部屋が静まり返る。マチルダも菓子の袋へ伸ばしていた手を止めた。
「というより、逃げるっていう選択肢が、自分の中になかったんだと思う」
ミラはしばらくカップの中を見つめていた。
「あの日、レオナが来てくれなかったら、私はきっと……」
その先を言わず、ミラは五年前の出来事を語り始めた。
*
――五年前。
王都。王宮。
ドォォォォォン――!!
凄まじい爆発音が響き、夜空を巨大な炎が赤く染めていた。
「逃げろ!」
「西棟が突破されたぞ!」
「王族を守れ!」
王宮のいたるところで剣戟の音と悲鳴が上がり、魔法による爆発が建物を揺らしていた。廊下を駆け抜ける兵士たちの怒号に混じって、魔族の叫び声まで聞こえてくる。
ミラは自室の窓辺に立ち、燃え上がる王宮を呆然と見つめていた。
「……なんで」
魔族が王都まで攻め込んできた。それだけでも信じられないことだった。
だが、それ以上に異常なのは、敵が王宮の内部へ侵入する速さだった。
東側の警備配置。地下の通路。使用人たちが使う移動経路。外部の人間なら簡単には知るはずのない場所から、次々と敵が現れているという報告が届いていた。
「どうして……こんなに王宮の中を知ってるの……」
その瞬間だった。
バァン!
扉が勢いよく開いた。
「ミラ!」
「……!」
振り返ると、そこにはレオナが立っていた。
顔には血が付着し、軍服はところどころ裂けている。左腕からも血が流れていたが、そんなことを気にする様子もなく、レオナはまっすぐミラのもとへ駆け寄った。
「行くよ」
「え?」
「早く!」
レオナが腕を掴む。
「待って」
「時間ない!」
「待って!」
ミラはその手を振りほどいた。
「お父様は?」
レオナの動きが止まる。
「お母様は? お兄様たちは? みんなは?」
「……ミラ」
レオナは答えなかった。その沈黙だけで、ミラにはある程度分かってしまった。
「……嫌」
「ミラ」
「行かない」
首を振る。
「私はここに残る」
「何言ってんの!」
「私は王女よ!」
ミラは叫んだ。
「国の人たちが戦ってる。兵士も、宮殿の人たちも、みんなここで戦ってるのに、私だけ逃げるなんてできない!」
声が震える。
「王女なら最後までここにいなきゃ。みんなを置いて逃げるなんて、できないよ」
レオナはしばらくミラを見つめていた。そして、彼女の肩を掴んだ。
「……ミラ」
「なに」
「王女って、死ぬことなの?」
ミラが顔を上げた。
「国のために、みんなと一緒に死ぬことが王女の仕事?」
「……」
「違うでしょ」
「でも……」
「じゃあ聞くけど」
レオナはミラの目をまっすぐ見た。
「王様も、王妃様も、兵士も、私たちも、何のために戦ってると思ってる?」
ミラは答えられなかった。
「生き残らせるためだよ」
レオナは続けた。
「一人でも多く、この国の人間を未来に残すために戦ってる。その中には、ミラも入ってる」
ミラの目に涙が溜まる。
「でも、私だけ……」
「だけじゃない」
レオナは強く言った。
「あんたが生きることで、生き残れるものがある。王家も、国も、みんなが守ってきたものも」
そして、少しだけ笑った。
「王女なら、最後まで生きなよ」
「……」
「死ぬ方が簡単だから」
ミラの頬を涙が伝った。
「生きる方が、ずっと大変なんだから」
その直後、遠くで再び爆発が起きた。
ドォォォォン!
天井が揺れ、石片が落ちてくる。レオナは反射的にミラを自分の身体で庇った。
「時間ない」
もう一度、ミラの手を握る。
「行くよ」
今度は、ミラはその手を振りほどかなかった。
*
二人は王宮の裏側へ向かって走った。
煙の充満した廊下を駆け抜け、角を曲がったところで、三体の魔族が行く手を塞いだ。
「いたぞ! 王女だ!」
「下がってて!」
レオナはミラを背後へ押しやり、槍を構えた。
一体目が斧を振り下ろす。レオナは槍の柄で受け流し、そのまま鋭く突き出した穂先で敵を倒した。横から迫る二体目の爪を身を沈めてかわし、足を払って転ばせる。
「レオナ!」
「先に行って!」
「でも!」
「いいから!」
最後の一体を槍の柄で壁へ叩きつけると、レオナはミラの手を掴んだ。
「走るよ!」
二人は地下へ続く階段を駆け下りた。
そこは王族専用の避難通路だった。王家と、ごく一部の側近しか知らないはずの道である。
ところが、しばらく進んだところで、レオナが足を止めた。
「……おかしい」
「どうしたの?」
通路の奥から、金属の擦れる音が聞こえてきた。
レオナはミラを壁際へ寄せた。やがて暗闇の向こうに、武器を持った魔族たちの姿が現れた。
「……どうして?」
ミラの顔から血の気が引く。
「ここは、王家の人間しか知らないはずなのに……」
「誰かが内部の情報を流した」
レオナは槍を握り直した。
「ミラ、私から離れないで」
「……うん」
その先も、敵は二人の行く手を阻んだ。地下の物置を抜けても、庭園の裏側へ続く通路に入っても、逃走経路を知っているかのように魔族が現れた。
レオナはミラを守りながら戦い続けた。槍を握る手は血で滑り、左腕の傷からも出血が止まらない。
それでも足を止めなかった。
「はぁ……っ」
「レオナ……」
「平気」
「血、いっぱい出てる」
「これくらい平気!」
「でも……」
レオナは振り返り、無理やり笑ってみせた。
「私、めちゃくちゃ強いから」
「……」
「知ってるでしょ?」
ミラは泣きそうな顔のまま頷いた。
「……うん」
「じゃあ信じて」
*
ようやく、王宮の外へ続く最後の通路に辿り着いた。
レオナが古い石扉へ手をかける。
ゴゴゴ……。
重い音を立てて扉が開くと、その向こうには暗い森が広がっていた。
「この先、森に繋がってる」
レオナが言う。
「そこまで行けば、追手を撒ける」
ミラは扉の向こうを見た。そして、レオナを振り返る。
「レオナも一緒だよね?」
「もちろん」
レオナはすぐに答えた。
その直後だった。
ズガァァァン!
後方の通路が吹き飛んだ。
「見つけたぞ!」
「王女だ!」
「殺せ!」
崩れた壁の向こうから、大量の魔族が雪崩れ込んでくる。
レオナの表情が一変した。
「ミラ」
「……」
「走って」
「一緒に」
「走って!」
「レオナも!」
「あとで行く!」
ミラは首を振った。
「嘘」
「……」
「嘘だよ」
レオナを見つめる。
「一緒に来て」
「ミラ」
「嫌だ」
「行って」
「嫌!」
「行って!」
レオナがミラの肩を強く掴んだ。
「言ったでしょ! 生きるの!」
「でも!」
「お願い!」
その声が、初めて震えた。
ミラが息を止める。レオナは必死に感情を押し込めるようにして、もう一度言った。
「お願いだから、生きて」
「……」
「みんなが命かけて、あんたを守ってきた意味をなくさないで」
ミラの瞳から涙が落ちる。
「レオナ……」
「大丈夫」
レオナは笑った。
「絶対、あとで行くから」
「……本当に?」
「うん」
「約束?」
「約束」
それでもミラの足は動かなかった。
レオナは一瞬だけ苦しそうな顔をしたあと、その背中を思い切り押した。
「行って!」
ミラは走った。泣きながら森へ飛び出し、何度も何度も振り返った。
レオナは通路の出口に一人で立ち、槍を構えて大量の魔族と向き合っていた。
「レオナ!!!!」
ミラが叫ぶ。
レオナが一度だけこちらを見る。
そして、笑った。
次の瞬間。
ゴォォォォン――。
石扉が閉じた。
*
「……それが、私が知ってる最後」
ミラの声で、全員の意識が現在の部屋へ戻ってきた。
「私はずっと、レオナが私を逃がすために死んだんだと思ってた」
誰もすぐには何も言わなかった。
「……違うよ」
ニーナが静かに口を開いた。
ミラが顔を上げる。
「え?」
「ミラを逃がしたあと、レオナは私のところへ来た」
ミラの目が大きくなる。
「ニーナのところに?」
「うん。私、魔族に捕まってたから」
ニーナは小さく笑った。
「助けに来たの。自分だってボロボロだったくせに」
指先でカップの縁をなぞる。
「ほんと馬鹿よね。昔から、自分のことは全部後回しで、人のことばっかり」
「レオナらしいね」
ジェマが呟くと、ニーナも頷いた。
「そうなのよ」
けれど、その笑みは長く続かなかった。
「……レオナは死んだと思ってた。だから、ずっと考えてたの」
ニーナの指が止まる。
「私を助けに戻ってこなかったら、生きてたんじゃないかって」
「ニーナ……」
ソフィがそっと声をかけた。
「別に、今さらなんだけどね」
ニーナは苦笑した。
その隣で、マチルダが食べかけの菓子を置いた。
「ニーナ」
「何?」
「レオナは、自分で行ったんでしょ」
「……うん」
「なら、ニーナのせいじゃないじゃん」
あまりにも当たり前のことのようにマチルダは言った。
ニーナは少しだけ目を伏せた。
「知ってる」
しばらくして付け加える。
「頭ではね」
マチルダはそれ以上何も言わず、ニーナの隣に座っていた。
*
その間、クロエだけはずっと黙っていた。
ミラの話が頭の中を巡っている。
王宮内部の構造。地下通路。警備の経路。
敵は、それらを知っていた。
『誰かが内部の情報を流した』
ミラから聞いたレオナの言葉が胸に突き刺さる。
クロエはかつて、王の猿を率いるロック家の養女として、王宮の構造に関する情報を扱ったことがあった。家に命じられるまま資料を整理し、必要な情報を渡していた。
それがどこへ流れ、何に使われるのか。当時のクロエは、すべてを理解していたわけではなかった。
けれど今は、その情報が何を引き起こしたのかを知っている。
「……クロエ?」
隣からソフィが覗き込んだ。
「大丈夫? 顔色悪いで」
「うん。平気」
クロエは笑ってみせたが、テーブルの下で握った拳は震えていた。
レオナは、ミラを逃がすために何度も戦った。傷ついた身体でニーナを助けに戻り、最後には魔族に奪われた。
もし、あの情報が敵に渡っていなかったら。
クロエは顔を上げられなかった。
そのとき、ミラがぽつりと言った。
「でも、レオナってそういう人だったね」
ニーナが頷く。
「うん」
「誰かが危ないと、絶対戻る」
「ほんま、アホやなぁ」
ソフィが苦笑した。
「学校抜け出してた頃から変わってないよ」
ジェマも笑う。
「タリア、覚えてる? レオナが怪我して教会に来てたこと」
「覚えていますよ。ジェマも一緒によく怒られていましたよね」
「え? 私も?」
「シスターがいつも「また二人で何をしたんですか」って」
「ちょっと、タリア!」
ジェマが抗議すると、タリアは澄ました顔で紅茶を飲んだ。
久しぶりに笑い声が広がり、マチルダも安心したように菓子を一枚口へ入れた。
けれど、クロエの胸の中にあるものだけは消えなかった。
このまま黙っていることはできない。
クロエはゆっくり息を吸った。
「……ねえ」
「ん?」
ソフィが振り向く。
「私、みんなに話さないといけないことがある」
笑い声が止まった。
ミラもクロエを見る。
「何?」
クロエは数秒、言葉を探した。
ここで話せば、今までと同じようにはいられなくなるかもしれない。
それでも、もう逃げたくなかった。
「少し前、私……魔王城に行った」
ニーナが眉を寄せる。
「……は?」
「魔王城?」
ソフィも聞き返した。
クロエは頷いた。
「うん。そこで、魔大臣と話してきた」
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