#16 運命の僧侶がここに
翌日。
「……ひどい戦いの跡だな」
ジェマは一人、パルタ山の山道を歩いていた。
辺りには焼け焦げた木々が立ち並び、折れた剣や槍が地面に散らばっている。道の脇には魔物の死骸が転がり、崩れた岩の隙間からは、まだ細い煙が上がっていた。
「こんなことになってたのか……」
昔は何度も遊びに来た山だった。レオナたちと走り回り、魔物に喧嘩を売っては、怪我をして教会へ駆け込んだ。シスターにはそのたびに叱られたものだ。
そんな懐かしい場所が、今では見る影もない。
ジェマはしばらく焼け跡を眺めていたが、ふと足を止めた。
「……で、私はなんでここにいるんだ?」
完全に迷っていた。
そもそも、パルタ山へ来るつもりなどなかった。
探しているのは、先日、盗賊に襲われた村で出会った長身の女性だ。弓を使い、傷ついた人々を癒し、死んだはずの少女まで蘇らせた、あの美しい僧侶。
食事の誘いを断られ、名前すら教えてもらえなかった。あれからずっと、彼女のことが頭から離れない。
ソフィから聞く限り、レオナの魔族化解除のカギになるかもしれないと思い、まずは自分で見つけ出し今度こそ名前を聞いてやろうと思ったのだ。
ところが、別れ際に女性が歩いていった方角を頼りに進んでいるうちに、いつの間にかこんな場所まで来てしまった。
「まあ、こっちだったはずなんだけどなぁ……」
ジェマが頭を掻きながら歩いていると、背後から声がした。
「あれ? ジェマ?」
「ん?」
振り返ると、そこにはソフィとクロエがいた。
「ソフィ? クロエ? なんでこんなところに?」
「それ、こっちのセリフだよ!」
クロエが呆れた顔で返した。
二人は朝から、教会の周辺にまだ魔物が残っていないか確かめていたらしい。服には泥がつき、どちらの顔にも疲れが残っていた。
「ジェマこそ何してんの?」
「いやぁ、ちょっと気になる人がいてさ」
「気になる人?」
「うん。追いかけてきたら、ここまで迷い込んじゃった」
クロエが眉をひそめた。
「……追いかけてきた?」
「そう」
「それ、ストーカーじゃない?」
「こわっ」
ソフィまで一歩引いた。
「違う違う! そういうんじゃないって!」
「じゃあ何なん?」
「事情があるんだよ。すっごく綺麗な人でさ、前に会ったとき――」
そこでジェマの言葉が止まった。
少し離れた山道を、一人の女性が歩いていた。深くフードを被っている。
「あっ!」
「なに?」
「あの人だ!」
ジェマは勢いよく指を差した。
「見つけた! ちょっと行ってくる!」
「え、ちょっと!」
「また追いかけるん!?」
ジェマは二人の声も聞かずに走り出した。ソフィとクロエも慌ててその後を追う。
女性は迷う様子もなく山道を進み、やがて一軒の小さな教会の前で立ち止まった。
「あ……」
ソフィの足が止まった。
昨日、シスターが命を落とした場所だった。
女性は焼け跡の残る教会を見上げていた。やがてフードへ手をかけ、ゆっくりと下ろす。
長い髪が肩に落ち、その間から、横へ伸びた尖った耳が現れた。
「ねえ!」
ジェマが呼びかける。
女性が振り返った。
「やっと見つけた! この前は名前も聞けなかったからさ。今度こそ――」
そこまで言って、ジェマは口を開けたまま固まった。
見覚えがあった。
整った顔立ちも、優しそうな大きな瞳も。背はずいぶん伸びていたが、幼い頃の面影が残っている。
「……タリア?」
女性は少し驚いたあと、柔らかく笑った。
「ジェマさん。やっぱり、ここまで来てたんですね」
「タリア!? えっ、タリアなの!?」
ジェマは思わず女性の顔を覗き込んだ。
「ちょっと待って! あのタリア!? 教会にいた!?」
「はい」
「嘘でしょ……!」
あのとき振られた美しい僧侶が、昔から知っている女の子だったなんて。
ジェマが言葉を失っている横で、ソフィが声を上げた。
「タリア……?」
女性がそちらを向く。
「ソフィだ」
「ほんまにタリアや!」
ソフィが駆け寄ると、クロエも後に続いた。
「タリア! 久しぶり!」
「わっ」
二人に勢いよく抱きつかれ、タリアが少しよろける。それでも両腕を広げ、嬉しそうに二人を抱き返した。
「久しぶり。二人とも元気だった?」
「元気やったよ! タリアこそ、めっちゃ大人になってるやん!」
「ソフィは変わらないね」
「えっ、ほんま? 若く見える?」
「そういう意味じゃないと思うよ」
クロエが笑った。
タリアもつられて笑う。だが、二人の顔を見比べるうちに、少し心配そうな表情になった。
「……何かあったの?」
ソフィの笑顔が消えた。
「タリア……」
クロエも口を開きかけたが、言葉が出てこない。
「どうしたの?」
「シスターがな……」
ソフィは教会へ目を向けた。
「昨日、ここが魔族に襲われて……」
タリアの顔色が変わった。
「シスターは? 無事なの?」
「……会ってほしい」
ソフィの目に涙が浮かんだ。
「お願い。シスターに会ってあげて」
タリアはしばらく二人を見つめていたが、何も聞かずに頷いた。
*
教会の奥にある小さな部屋には、朝の光が差し込んでいた。
ベッドの上には、シスターが横たわっている。血に染まっていた修道服は着替えさせられ、胸元も綺麗に整えられていた。
その傍らで、デイジーが花瓶に花を生けている。
「ソフィさん、クロエさん。おかえりなさ――」
振り返ったデイジーの手が止まった。
二人の後ろに、長い耳を持つ女性が立っている。
「……タリアさん?」
昨日、シスターが最期に口にした名前だった。タリアは小さく頭を下げると、ベッドへ歩み寄った。
「……シスター」
そっと手を伸ばし、シスターの頬に触れる。
冷たかった。
タリアはそのまましばらく動かなかった。
「昨日のことやねん」
ソフィが後ろから話し始めた。
「私らが来たときには、もう魔族が山を襲ってて……シスターも捕まってた」
タリアは黙って聞いている。
「助けようとしたんやけど……間に合わへんかった」
ソフィの声が震えた。
「目の前におったのに、何もできんかった。ごめんな、タリア……」
タリアはシスターの手を握ったまま、ゆっくりと首を振った。そして、荷物から一本のステッキを取り出した。
「……少し、時間をもらってもいい?」
「え?」
「シスターのそばにいたいの」
ソフィは頷いた。
タリアはベッドの横に膝をつき、ステッキを胸元へ抱えた。目を閉じ、静かに息を整える。
やがて、その唇が小さく動き始めた。
聞き取れないほどの声で、長い祈りの言葉を唱えている。
ソフィはその背中を見つめていたが、こらえていた涙がまた頬を伝った。
「ソフィ」
クロエが肩を抱く。
「昨日、すごかったよ」
「……何が?」
「ソフィが結界を張ってくれなかったら、もっとたくさんの人が死んでた」
「でも、シスターは……」
「うん」
クロエも唇を噛んだ。
「でも、みんなを守ったのは本当だよ。この前、スライムに襲われて泣いてた人とは思えないくらい」
「……今それ言わんで」
ソフィが涙を拭うと、クロエは泣きながら笑った。その間も、タリアは祈り続けていた。
「シスターは、最期にタリアさんのことを話してくれました」
デイジーはタリアのそばに寄った。
「大司教様の娘だということも、エルフとの間に生まれた子供だということも。それから、あなたを守ると約束していたことも……」
そしてデイジーはベッドを見た。
「私たちに、あなたを守ってほしいって。そう言い残して……」
最後まで言えなかった。
昨日、何度も治癒魔法をかけた。傷を塞ごうとしても、失われていく命を引き止められなかった。それでも諦められず、魔力が尽きるまで治療を続けた。
あのときのシスターの顔が、まだ頭から離れない。
ジェマもベッドへ近づいた。
「タリア」
祈りを続ける彼女の背中へ、優しく声をかける。
「いろいろあったんだね」
返事はなかった。
「今まで、ずっと頑張ってきたんでしょ?」
タリアの肩がわずかに動いた。
「もう無理しなくていいよ。私もいるしさ」
ジェマは少し笑った。
「これからは私も頑張るから。今はゆっくり休んで……」
「……そうね」
「うん?」
「私も、もっとタリアを守らないとね……」
「……え?」
ジェマが振り返った。
ベッドの上で、シスターがゆっくりと目を開けていた。
「……シスター?」
ソフィが呟く。
シスターは小さく息を吸い、上半身を起こそうとした。
「ちょ、ちょっと待って……」
クロエが後ずさる。
デイジーの手から、持っていた花が一本落ちた。
「……え?」
四人が固まっている間に、タリアがステッキを下ろした。
その額には汗が浮かび、呼吸も少し乱れている。それでも、シスターが目を開けたのを見て、ほっと笑った。
「よかった。間に合った……」
「タリア……?」
シスターはまだ状況が分からない様子で、彼女を見つめた。
「身体はどう? 痛いところはない?」
「胸が少し……でも、どうしてあなたがここに?」
「山が襲われたって噂を聞いたの。急いで来たんだけど、遅くなってごめんね」
「そんなこと……」
シスターはタリアの頬に手を添えた。
「来てくれてありがとう」
「うん」
タリアは嬉しそうに笑った。
四人は、二人の会話を呆然と眺めていた。やがて、ソフィが恐る恐る口を開いた。
「……シスター?」
「どうしたの、ソフィ?」
「生きてる……?」
「ええ?」
シスターが不思議そうに首を傾げる。
「そりゃ、生きてるけど……」
「うそやろおおおお!?」
ソフィの叫び声が教会中に響いた。
「シスター! シスタぁぁー!」
ソフィはベッドへ駆け寄り、シスターに抱きついた。
「ちょっと、ソフィ! まだ胸が痛いのよ!」
「あっ、ごめん! でも、でも……!」
涙が止まらなかった。
クロエも反対側からシスターの手を握る。
「ほんとに生きてる……! あったかい!」
「クロエまで。いったいどうしたの?」
「どうしたのじゃないよ!」
ジェマは口を開けたまま、タリアを見つめていた。ようやく、あの村で見た光景を思い出す。
「……タリア」
「はい?」
「今、何した?」
「何って……蘇生魔法」
「やっぱり!?」
ジェマが叫ぶと同時にソフィとクロエが振り返る。
「蘇生魔法!?」
「タリアが!?」
「うん。そうだけど……」
タリアは少し驚いたように瞬きをした。
「そんなに驚く?」
「驚くに決まってるやろ!」
ソフィが叫んだ。
「私ら、それ使える人をずっと探してたんやで!」
「えっ、そうなの?」
デイジーが慌ててベッドへ近づいた。
「タリアさん、本当に蘇生魔法なんですか?」
「はい」
「でも、昨日亡くなって……もう一晩経ってるんですよ?」
「うん。だから、難しいかもしれないと思ったんだけど……」
タリアはシスターの胸元へ目を向けた。
「傷が、思ったよりずっと綺麗だったの」
「傷……?」
「亡くなってから時間が経ちすぎたり、身体がひどく傷ついていたりすると、蘇生魔法でも助けられないことがあるんです。でも、シスターの傷は、かなり治っていました」
タリアはデイジーを見た。
「誰かが治療してくれたんですね」
「……私です」
「あなたが?」
デイジーは頷いた。
「でも、助けられなくて……。昨日、ずっと魔法をかけてたんです。もう亡くなってるって分かってたのに、どうしても諦められなくて……」
タリアはそっとデイジーの手を取った。
「ありがとう」
「……え?」
「あなたが傷を治してくれていたから、助けられたんです」
デイジーの目に涙が浮かんだ。
「私の魔法が……?」
「無駄じゃなかったんです」
デイジーは口元を押さえた。
「……よかった」
声が震える。
「本当に……よかった……」
ソフィもクロエも、もう一度シスターを見た。
昨日、目の前で命を落とした人が、今こうして笑っている。何度確かめても、夢ではなかった。
「それにしても……」
ソフィがタリアへ向き直る。
「昔、シスターの横で手当てを手伝ってた、あのタリアが……」
「私たちが探してた蘇生魔法の使い手だったなんて」
クロエも驚きを隠せない。タリアは少し照れたように笑った。
「私も、こんなところでみんなに会えると思わなかった」
「ほんま、びっくりやわ……」
ソフィは笑いながら涙を拭った。
だが、ふと昨日の光景が頭をよぎり、その笑顔が消えた。
「……タリア。ひとつ、話さなあかんことがある」
タリアはソフィを見た。
「シスターを襲ったのはな……レオナやねん」
「……え?」
タリアの表情が止まった。
「レオナが?」
クロエが頷く。
「鉄の魔女って呼ばれてる魔族、知ってる?」
「……聞いたことはある」
「あれが、レオナなの」
タリアは何も言わなかった。シスターへ目を向けると、静かに頷いた。
「本当よ、タリア」
「……どうして?」
タリアの声が小さく震えた。
「レオナが、そんなこと……」
「魔族に変えられてるんです」
デイジーが説明した。
「五年前に亡くなったと思われていたレオナ先輩は、呪術で魔族にされていました。今は、以前の人格もほとんど失われている可能性があります」
「……」
「私たちは、その呪術を解く方法を探しているんです」
ソフィが一歩前へ出た。
「シスターにしたことは、許されへん」
昨日、レオナが槍を突き出した瞬間が蘇る。あのときの怒りは、まだ胸の中に残っていた。
「正直、今でも腹立ってる。シスターが助かったからって、なかったことにはできへん」
ソフィは拳を握った。
「でもな、あの子がほんまに自分の意思でこんなことしてるとは思われへんねん」
タリアが顔を上げる。
「せやから、まず元のレオナに戻したい。戻してから、いっぱい怒ったる」
「……ソフィ」
「勝手に一人で何もかも背負って、こんなことになって。言いたいこと、山ほどあるんやから」
クロエも頷いた。
「私もレオナを取り戻したい。昔みたいに、みんなで笑いたいよ」
「そうそう」
ジェマが腕を組んだ。
「あいつ、昔から無茶ばっかりするんだよね。勝手に魔物に喧嘩売って、私たちまで巻き込んでさ」
「ジェマも一緒になって喧嘩してたやん」
「……まあ、そうだけど」
ジェマは少し笑った。
「だからさ、またみんなで文句言ってやろうよ。今度は絶対、逃がさないから」
タリアは三人の顔を見つめた。
幼い頃、教会の庭で遊んだ日々が思い浮かぶ。
魔法がうまく使えずに困っていると、レオナはいつもそばに来てくれた。怪我をした子がいれば、真っ先に抱えてシスターのところへ連れてきた。
あの優しい人が、シスターを傷つけた。
信じたくなかった。
けれど、目の前のシスターの胸には、まだ傷が残っている。
「……私、怖かった」
タリアが口を開いた。
「山が襲われたって聞いて、シスターに何かあったらどうしようって。そればかり考えてた」
シスターがタリアの手を握った。
「タリア……」
「もし、もう少し遅かったら……」
タリアはその手を握り返した。
「シスターを助けられなかったかもしれない」
少しの間、誰も口を開かなかった。
「でも、レオナも……」
タリアは顔を上げた。
「誰かに助けてほしいのかもしれないよね」
ソフィが頷く。
「……うん」
「昔のレオナは、困っている人を放っておけない人だったでしょう?」
「そうやな」
「だから、今度は私たちが助けたい」
タリアはシスターへ向き直った。
「シスター。私、みんなと行ってもいい?」
シスターはしばらくタリアを見つめていた。
幼い頃から、ずっと守ってきた少女だった。その少女が今、自分の意思で誰かを守ろうとしている。
「……ええ」
シスターは微笑んだ。
「あなたがそう決めたのなら、行ってらっしゃい」
「ありがとう」
タリアは立ち上がり、ソフィたちへ向き直った。
「私も一緒に行く。シスターを守りたいし、レオナのことも助けたい」
その声には、もう迷いがなかった。
デイジーが一歩前へ出る。
「タリアさん」
「はい」
「私たちには、どうしてもあなたの力が必要なんです」
デイジーはまっすぐにタリアを見た。
「レオナさんを救うために、仲間としてよろしくお願いします」
タリアは微笑んだ。
「うん。よろしくね」
ソフィが嬉しそうに笑い、クロエは両手を上げた。ジェマも満足そうに頷く。
デイジーは胸の前で両手を握りしめた。
ずっと探していた蘇生魔法の使い手が、ようやく見つかった。
しかも、その人は、仲間たちが幼い頃から大切にしてきた友人だった。
窓から差し込む朝の光が、五人の顔を明るく照らしていた。
毎日お疲れ様です。大切な時間を使って読んでくださり、大変嬉しく思います!
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