#10 スーパースターの憂鬱
港町ダズリンから東へしばらく進んだところに、山々に囲まれた街、ロッキンリー。
街の中心に建つ古い劇場は、今夜も大勢の観客で埋め尽くされていた。
「サニー!」
「こっち見てー!」
「きゃああああ!」
舞台に立つ一人の女性へ、客席から歓声が飛ぶ。
長い手足に、鋭く美しい切れ長の目。華やかな衣装をまとった彼女が片手を上げるだけで、客席のあちこちから悲鳴にも似た歓声が上がった。
彼女の名はサニー。今、この国で最も人気のあるスターの一人だ。
美しい歌声と軽やかなダンス。そして何より、彼女を有名にしたのは鞭を使った演舞だった。
サニーが腕を振ると、長い鞭が舞台を走った。
パァン!
頭上に吊るされた花が、一輪だけ切り落とされる。続けて鞭が客席へ伸び、最前列に座っていた女性の帽子から、飾りのリボンだけをさらっていった。
「きゃあああ!」
女性は驚いて帽子を押さえたが、サニーにウインクされると、顔を真っ赤にして両手を振り返した。
サニーはそのまま歌い続ける。鞭を自在に操りながら舞台を駆け、客席の隅々まで視線を送る。そのたびに歓声が大きくなった。
公演が終わっても、熱気はなかなか収まらなかった。
劇場の外にはサニーを一目見ようとするファンが押し寄せ、警備員たちが声を張り上げていた。
*
「サニー! 今日もお疲れ!」
楽屋の扉を開けて入ってきたマネージャーに、サニーは鏡の前から片手だけ上げて応えた。
「ん。お疲れ」
舞台衣装のまま椅子に深く腰掛け、水を一口飲む。つい先ほどまで客席を沸かせていたとは思えないほど、疲れきった顔をしていた。
「いやあ、今日もすごかったな。外なんかまだ大騒ぎだぞ」
「毎回やめてほしいんだけど」
「無理だろ。お前の公演なんだから」
マネージャーは窓の外を見て笑った。
「歌も踊りも鞭も一流。あれだけ客を夢中にできる奴、ほかにいないぞ。間違いなく国一番のスターだ」
サニーは鏡を見ながら化粧を落としていたが、その言葉に手を止めた。
「へえ。私が国一番?」
「そうとも!」
「じゃあ、なんでグランドール大劇場からオファーが来ないの?」
マネージャーの笑顔が消えた。
「……またその話か」
「国で一番大きな舞台でしょ? 私、まだ一度も立ってないんだけど」
「今月は別の一座が押さえてるんだよ」
「そこを取ってくるのがマネージャーの仕事じゃない?」
「無茶言うな!」
「毎日何公演もして、こんなに働いてるのにさあ」
「おい、ロッキンリーの劇場に失礼だぞ」
「冗談だって」
サニーは笑ったが、すぐに鏡へ目を戻した。
「……でも、疲れたのは本当」
「そりゃあ、これだけ公演が続けばな」
「そういうことじゃなくて」
サニーは化粧を落とした自分の顔を眺めた。
「最近、何のために歌ってるんだろうって思うんだよね」
マネージャーは首をかしげた。
「何のためって、客を楽しませるためだろ。今日だって泣いて喜んでた客がいたぞ」
「うん。それは嬉しいよ」
サニーは小さく頷いた。
「でもさ、戦争で家をなくした人も、家族を失った人も、食べるものがなくて困ってる人も、まだいっぱいいるでしょ」
「……ああ」
「私が歌ったところで、その人たちの暮らしが変わるわけじゃない」
マネージャーは返事に困ったようだった。
「そんなこと言い出したら、誰だってそうだろ」
「分かってるんだけどね」
サニーは椅子の背にもたれた。
「せっかくこんなに有名になったんだから、もっと何かできないかなって」
「お前は十分やってるよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。第一、こんなご時世に劇場を満員にできるんだぞ。もっと自信持て」
サニーは少し考えたあと、ふっと笑った。
「じゃあさ。私が魔王の前で歌ったら、戦争やめてくれるかな」
「は?」
「戦うのやめてくださーい、って」
両手を広げて歌う真似をすると、マネージャーは吹き出した。
「そんなので止まったら苦労しないだろ!」
「でも、止まったらすごくない?」
「そりゃすごいけど」
「歌一つで戦争を止めるスター。かっこいいじゃん」
サニーは笑っていたが、その目は真剣だった。
マネージャーはしばらく彼女を見つめ、やがて手帳を開いた。
「……お前、少し休んだほうがいいな」
「休ませてくれるの?」
「明後日から七日連続ツアーだ」
「休ませる気ないじゃん!」
「そのあとはまとまった休みを取ってある!」
「最初からそっちを言ってよ!」
マネージャーは呆れながら手帳を閉じた。
「まったく。何がそんなに不満なんだ。お前、昔からスターになりたかったんだろ?」
サニーは少しだけ目を丸くした。
「……あれ。私がなんでスターになったか、話したことなかったっけ?」
「ないな」
「恋だよ」
「……何?」
「恋」
マネージャーは手帳を落としかけた。
「お前、そんな理由でこの仕事始めたのか!?」
「悪い?」
「いや、悪くはないが……誰に惚れたんだ?」
「王女様」
「……王女様?」
「そう」
「お前、王女様とそういう関係だったのか!?」
「違う違う! ほとんど話したこともないよ」
サニーは笑いながら首を振った。
「昔、王族のパレードを見に行ったことがあってさ。たまたま、すごく近くで王女様を見られたの」
「ああ、あの方か。綺麗な人だったな」
「でしょ? でも、私が好きになったのはそこじゃないんだよね」
サニーは鏡の横に置いてあった化粧道具を片づけながら続けた。
「沿道に小さな子がいて、王女様に花を振ってたの。そしたら王女様、その子を見て笑ったんだ」
「へえ」
「ほんの一瞬だったけど、すっごく綺麗でさ」
あの日の光景を思い出したのか、サニーの表情が柔らかくなった。
「もう、ズッキュンだった!」
「……なんだよ、その安っぽい言い方」
「真面目に言ってんの! それまでの私はさ、ほんとろくでもない奴だったから。あんな人の近くに立てるような人間になりたいって思ったんだよね」
「それでスターに?」
「うん。有名になれば、王宮の催しに呼ばれるかもしれないでしょ。そしたら、もう一度会えるかなって」
「ずいぶん不純な動機だな」
「うるさいなあ」
サニーは笑った。しかし、その笑顔は長く続かなかった。
「……結局、会えなかったけどね」
マネージャーも黙った。
五年前の大戦で王国は滅び、王家の人々は全員命を落としたと報道された。
「もう少し早く有名になれてたら、会えたのかな」
サニーは鏡の中の自分を見つめた。
「今でもさ、あの人みたいに、誰かの希望になれたらって思うんだよ」
「サニー……」
「でも、私にはまだまだ遠いみたい」
マネージャーは彼女の肩を軽く叩いた。
「お前はお前だろ。王女様と同じになる必要なんかないさ」
サニーは少し驚いたように振り返った。
「……たまにはいいこと言うじゃん」
「たまには余計だ!」
二人は笑った。
マネージャーはもう一度手帳を開くと、明後日の集合時間を確認し始めた。
「とにかく、今日は早く寝ろよ。ツアー前に体調を崩されたら困るからな」
「はいはい」
サニーは立ち上がり、帽子を手に取った。
「じゃ、行ってくる」
「どこへ?」
「飲みに」
「今から!?」
「明日は休みなんでしょ?」
「そうだが、ほどほどにしろよ。最近は週刊誌の連中もうろついてるんだから」
サニーは帽子を深くかぶり、にやりと笑った。
「今日はどんな子に声かけよっかなあ」
「お前、さっきまで人々の希望になりたいとか言ってなかったか!?」
「それとこれとは別!」
「別にするな!」
サニーは笑いながら扉を開けた。
「じゃ、ごきげんよう!」
「待て! 明後日の集合時間、まだ言ってないぞ!」
「あとで聞くー!」
返事だけを残し、サニーは楽屋を飛び出していった。
*
劇場から少し離れた酒場で、サニーはカウンターに頬杖をついていた。
「……つまんない」
空になったグラスを置き、店内を見渡す。
今夜は気の合う女性を見つけて、楽しく飲むつもりだった。ところが、なかなかいい相手が見つからない。
少し前まで目をつけていた色っぽい女性には、待ち合わせの相手がいたらしい。さっきやってきた男性と、向こうの席で楽しそうに話している。
「あの男のどこがいいんだろ……」
別に嫉妬ではない。せっかくの休みを前に、一人で飲んでいるのがつまらないだけだ。
「もう一杯。強いやつ」
店員に注文した、そのときだった。
「お隣、よろしいでしょうか?」
顔を上げると、若い女性が立っていた。
白い肌に、愛嬌のある細い目。人懐っこそうな笑顔を向けられ、サニーはすぐに姿勢を正した。
「もちろん。どうぞ」
女性は礼を言って隣に座った。
「もしかして、サニー様でいらっしゃいますか?」
「そうだけど」
「わあ、本物だ! やっぱり格好いいですね」
サニーは得意げに笑った。
「ありがと。サイン? それとも握手?」
「いえ、そういうのは大丈夫です」
「……あ、そう?」
少し拍子抜けしたが、すぐに気を取り直した。
「じゃあ、私と飲みたかった?」
「実は、お願いしたいことがありまして」
「仕事?」
サニーは鞄から一枚のカードを取り出した。
「悪いけど、仕事の話はマネージャーを通してもらってるんだ。連絡先はここね」
「いえ! そういうお仕事ではないんです」
「じゃあ何?」
女性は少し姿勢を正した。
「サニー様ご本人に、お話ししたいことがあるんです」
「へえ。もしかして私のファン?」
「いえ、違います」
「……はっきり言うね」
サニーは苦笑した。
「だったら、今度のツアーに招待してあげようか? 特別にいい席を取ってあげる」
「お気持ちだけで十分です」
「……そっか」
今日の自分は、どうも調子が悪いらしい。
サニーがグラスを傾けると、女性は周囲を確かめてから声を落とした。
「サニー様ではなく、ジェマ・ハート様として、会っていただきたい方がいるんです」
サニーの手が止まった。
さっきまでの笑顔が消え、女性を鋭く見つめる。
「……あんた、誰?」
「申し遅れました。デイジー・ウォーカーと申します。今は旅をしながら、吟遊詩人をしています」
「吟遊詩人が、どうしてその名前を知ってるの?」
「以前、国家軍の隠密部隊に所属していました」
その瞬間、サニーは椅子から立ち上がった。
「人違いだね。私はサニー。ジェマ・ハートなんて知らない」
「待ってください」
「軍の人間と話すこともない。帰ってくれる?」
デイジーは席を立たず、静かに言った。
「レオナ・ジョーンズ」
サニーの足が止まった。
「……何?」
「その名前に、心当たりはありませんか?」
「……知らない」
「レオナ先輩は、あなたのことをよく話していました」
サニーはゆっくり振り返った。
「……あんた、レオナを知ってるの?」
「はい。私の先輩です」
「……」
「五年前の戦争で亡くなったと聞いていました。でも、最近になって生きていることが分かったんです」
サニーはしばらくデイジーを見つめていたが、やがて椅子に戻った。
「……続けて」
デイジーは頷いた。
「ただ、今は普通の状態ではありません。魔族の軍勢を率いて、鉄の魔女と呼ばれています」
「鉄の魔女?」
「はい」
「ダズリンで宣戦布告した、あの?」
「その本人です」
サニーは口を開きかけ、何も言わずに閉じた。
「……あいつ、何やってんの」
「私にも、まだ分からないことが多いんです」
デイジーは真剣な顔になった。
「でも、私はレオナ先輩を助けたい。だから、あなたにも力を貸してほしいんです」
「断る」
返事は早かった。
「……」
「あんたが軍とどういう関係か知らないけど、私は関わる気ないよ」
「軍の命令で来たわけではありません」
「元軍人でしょ? 同じことじゃない」
「違います。私は、私の意思で来ました」
サニーはグラスを置いた。
「ねえ。そこまで私のことを調べてるなら、分かるでしょ」
デイジーは黙って聞いた。
「ハート家は十年前に壊滅した。生き残った連中だって、今も軍に追われてる」
「……はい」
「私は名前を捨てた。顔も変えた。何年もかけて、やっとここまで来たんだよ」
サニーは自分の帽子に触れた。
「今さら昔の名前を持ち出されて、全部壊されたら困るの」
「……」
「私はサニーとして生きてる。ジェマ・ハートは、もういないんだよ」
デイジーはしばらく考え、静かに頷いた。
「分かりました」
サニーは意外そうに顔を上げた。
「……分かった?」
「はい。無理に連れていくつもりはありません」
デイジーは席を立とうとしたが、ふと思い出したように振り返った。
「ただ、一つだけお伝えしてもいいですか?」
「……何?」
「レオナ先輩が、あなたの正体に気づいたときの話です」
サニーの眉が動いた。
「……どういうこと?」
「戦争が始まる前、レオナ先輩が地方の査察に出かけたことがあったんです。そのとき、小さなサーカスの公演を見たそうです」
サニーは黙った。
「そこで鞭を使う芸人を見つけたんです。名前はサニー。今ほど有名になる前の、あなたでした」
「……」
「レオナ先輩、一目で分かったそうですよ」
サニーは鼻で笑った。
「そんなわけないでしょ。顔も名前も違うのに」
「鞭です」
「……え?」
「鞭の使い方を見て、分かったそうです」
デイジーは少し笑った。
「『あんな動きする奴、あいつしかいない』って」
サニーは何も言わなかった。
「レオナ先輩、すごく喜んでました。私の相棒が生きてたって」
「……相棒?」
「はい。昔、山で一緒に魔物と戦ったり、喧嘩したりしたって」
サニーはグラスを見つめた。
「……余計なことばっか喋って」
「レオナ先輩、唯一喧嘩して負けた相手だと言ってました」
「一回だけでしょ」
思わず答えたサニーは、しまったという顔をした。
デイジーはにっこり笑った。
「やっぱり、覚えてるんですね」
「……うるさいな」
「先輩、その話をするとき、本当に楽しそうだったんです」
サニーは返事をしなかった。
幼いころ、山の中で何度も顔を合わせた少女がいた。軍の訓練を抜け出しては魔物と戦い、負けず嫌いで、いつも自分に勝負を挑んできた。
あのころのレオナは、ジェマが盗賊の娘だと知っても態度を変えなかった。喧嘩をしても、翌日にはまた山へやってきた。
最後に会ってから、もう何年も経つ。
自分は名前も顔も変えた。それなのに、あいつは鞭の動きだけで見つけたという。
「……馬鹿じゃん」
サニーは小さく呟いた。
「ほんと、昔からめんどくさい奴」
デイジーは何も言わずに待っていた。
サニーはグラスを持ち上げたが、中身はもうほとんど残っていなかった。
「……ねえ。あいつ、どうして声かけてこなかったの?」
「え?」
「サーカスで私を見つけたんでしょ? だったら、会いに来ればよかったじゃん」
デイジーは少し考えた。
「そこまでは聞いていません。でも、先輩はあなたが元気にしていることを、とても喜んでいました」
「……そっか」
サニーは空のグラスを置いた。
「勝手だよね。見つけたなら、声くらいかけてくれたっていいのに」
そう言いながら、自分だってレオナを探そうとしなかったことを思い出した。
サニーとしての生活が軌道に乗ってからは、毎日のように仕事が入った。公演を重ねるうちに名前が売れ、今では街を歩くだけでも騒ぎになる。
苦労して手に入れた生活だった。
昔の名前を知る人間とは、できるだけ関わらないようにしてきた。レオナのことも、思い出さないわけではなかったが、会いに行こうとはしなかった。
五年前、彼女が戦死したと聞いたときには、もう二度と会えないのだと思った。
それが今になって、生きていたと言われても。
「……本当に、レオナなの?」
サニーはデイジーを見た。
「鉄の魔女って、あの恐ろしい魔族が?」
「はい。私が調べました。間違いありません」
「でも、どうしてそんなことになったの?」
「それを確かめるためにも、会いに行きたいんです」
サニーは眉を寄せた。
「……あんたさ。簡単に言うけど、相手は魔族でしょ? 会いに行って、どうするつもり?」
「元のレオナ先輩に戻す方法を探しています」
「方法は見つかったの?」
「まだです」
「……無茶苦茶じゃん」
「そうかもしれません」
デイジーは否定しなかった。
「でも、先輩が生きていると分かったのに、何もしないで諦めることはできません」
サニーは黙った。
デイジーの言っていることは分かる。自分だって、レオナが苦しんでいるなら助けたい。
だが、もし鉄の魔女と戦うことになったらどうするのか。昔の仲間だからといって、手加減してもらえる保証などない。
それに、戦いに加われば、軍との関係も避けられなくなる。
ハート家の娘だと知られれば、今まで築いてきたものを失うかもしれない。
「……私には無理だよ」
ようやく出てきたのは、その一言だった。
デイジーは静かに頷いた。
「分かりました」
「……」
「お話を聞いてくださって、ありがとうございました」
デイジーは椅子から立ち上がった。
サニーは何も言わなかった。
「それでは、失礼します」
デイジーが背を向ける。
その姿を見送りながら、サニーはカウンターに置いた帽子を手に取った。
これでいい。
自分には自分の人生がある。レオナだって、きっとそれを分かってくれる。
そう思おうとした。
だが、どうしても先ほどの言葉が頭から離れなかった。
――私の相棒が生きてた。
サニーは帽子のつばを指でなぞった。
レオナは、自分が生きていると知って喜んでくれた。では、自分は……
サニーは顔を上げた。
デイジーはもう店の出口に差しかかっていた。
「……待って!」
デイジーが振り返る。
「はい?」
サニーは口を開いたが、すぐには言葉が出なかった。
自分から呼び止めておいて、何を言えばいいのか分からない。
「……あのさ」
「はい」
「三か月後、ダズリンに来るんだよね。レオナ」
「はい。満月の夜です」
「そう……」
サニーは少し考え、帽子をカウンターへ戻した。
「その日って、お祭りがあるんでしょ?」
「ええ。大きなお祭りになる予定です」
「……ふうん」
サニーは指先でグラスを回した。
デイジーは何も言わずに待っている。
「ねえ。あんた、吟遊詩人なんだよね?」
「はい」
「だったら、祭りの関係者とか、知り合いいない?」
デイジーは少し目を丸くした。
「……いますけど」
サニーは一度息を吐いた。
「私、そのお祭りに出演してあげてもいいよ」
「……え?」
デイジーの顔がぱっと明るくなった。
「それって、協力してくださるということですか!?」
「違う!」
サニーはすぐに否定した。
「私はサニーとして歌いに行くだけ。ジェマ・ハートとして戦いに行くわけじゃないからね」
「……はい!」
「レオナに会えるかどうかも分からないし、会えたところで何ができるかも分からない」
サニーはデイジーをまっすぐ見た。
「だから、今はそれ以上約束できない。それでもいい?」
デイジーは少しだけ表情を引き締めた。
「もちろんです」
「……そう」
サニーはようやく笑った。
「じゃあ、仕事の話をしようか。私の出演料、高いよ?」
「承知しています!」
デイジーは嬉しそうに鞄を開いた。
ドン、と重い音がして、金貨の袋がカウンターに置かれた。
「一千万ゴールド。前払いです!」
「……は?」
サニーは袋を見つめた。
「ちょっと待って。今、何て?」
「一千万ゴールドです」
「現金?」
「はい!」
サニーは袋を持ち上げた。ずっしりとした重みが腕に伝わる。
「……あんた、随分景気がいいね」
「経費ですから!」
「軍ってそんなに金持ってるんだ」
「まあ、いろいろありまして」
サニーは袋を開き、金貨を一枚取り出した。
「……これ、受け取ったら軍の仕事ってことにならないよね?」
「これはサニー様への出演料です」
「へえ……」
先ほどまで警戒していたのが嘘のように、サニーの機嫌が良くなった。
「三か月後、ダズリンで一公演ね?」
「はい。できれば、それまでに装備も整えておいてください」
「装備?」
「鞭や防具など、必要なものを」
サニーは目を細めた。
「……要するに、戦える格好で来いってこと?」
デイジーはにっこり笑った。
「私はステージへの出演をお願いしているだけですよ?」
「言い方うまいね」
「吟遊詩人ですから!」
サニーは呆れたように笑った。
しかし、しばらく金貨を眺めたあと、ふと真剣な顔になった。
「……ねえ」
「はい?」
「レオナ、本当に来るんだよね」
デイジーも笑顔を消した。
「はい。ただ、あなたが覚えている姿とは違うと思います」
「……そっか」
サニーは静かに頷いた。
そして金貨の袋を自分の方へ引き寄せた。
「まあ、どんな姿になってるか、この目で確かめてやろうじゃん」
「ありがとうございます!」
「でも、ジェマは行かないからね」
「もちろんです」
「それから、もう一つ条件」
「何でしょう?」
サニーは得意げに笑った。
「そのお祭り、当然私がメインだよね?」
デイジーの笑顔が固まった。
「……え?」
「私、グランドール大劇場でもまだメイン取れてないんだよね。だから、そこは譲れないんだけど」
デイジーは困ったように視線を泳がせた。
「……調整します」
「調整?」
「最大限、努力します!」
「努力じゃなくて、約束してよ」
デイジーはしばらく黙ったあと、深く息を吐いた。
「……交渉します!」
サニーは満足そうに笑った。
「よし! じゃあ決まりね」
デイジーは笑顔を作って頷いた。
「はい! 三か月後、ダズリンでお待ちしています!」
サニーは金貨の袋を鞄にしまい、残っていた酒を飲み干した。
「それじゃ、私はそろそろ帰るね」
「はい。今日はありがとうございました!」
サニーは立ち上がり、帽子を深くかぶった。
「……あ、それと」
「何ですか?」
「レオナに会ったら、伝えといて」
デイジーが顔を上げる。
サニーは少しだけ笑った。
「昔のこと、よく覚えてたねって」
そう言い残し、サニーは酒場を出ていった。
デイジーはその背中を見送り、ようやく肩の力を抜いた。
「……よかったぁ」
無事に出演の約束を取りつけられた。
ただ、一つ問題がある。
デイジーはカウンターに肘をつき、頭を抱えた。
「……メイン、二人になっちゃった」
先に約束したニーナも、絶対に自分がメインだと言っていた。そして今度はサニーまで。
デイジーはしばらく考えたあと、もう一杯酒を注文した。
「……まあ、何とかなるでしょ!」
読んでいただきありがとうございました!
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本作はすでに最終回まで完成してます。引き続きお楽しみください!




