2─1 2026年 防波堤の再会
2026年
西暦は二〇二六年。かつて苦悩を抱えながら過ごしていた少女は、卒業を控えている。
初夏の風が吹き抜ける、あの海辺。
空は抜けるような青さを誇っているが、海面はどこか吸い込まれそうなほど深い碧を湛えている。潮の香りが、鼻腔を優しく、しかし確実に刺激した。
紡は、一人で防波堤の上に立っていた。かつて誰かと並んで座り、夕日を眺めたその場所だ。
彼女が斜め掛けにしている通学用だったカバンの隅には、小さなイルカのキーホルダーが揺れている。潮風に煽られるたび、金属のリングとぶつかり合って「チリン……」と微かで、しかし妙に澄んだ音を立てた。その音を聴くたび、彼女の胸の奥にある、決して色褪せることのない記憶の引き出しがノックされる。
「久しぶり。あれから、一年くらい経ったっけ?」
背後から響いた、その声。
低くて、少し低音の成分が混じっていて、不器用でぶっきらぼうな響き。だけど、その奥にどうしようもない優しさを隠し持った、世界にただ一つの声。
紡の身体が、まるで弾かれたように硬直した。聞き間違えるはずがなかった。脳の記憶領域が、一瞬でその声の主の全貌を弾き出す。
ゆっくりと、しかし心臓の鼓動が耳につき刺さるほどの速さで振り返る。
そこには、あの日と何一つ変わらない姿の彼がいた。
季節は初夏だというのに、彼は濃紺の、少し厚手の西高校の制服を崩さずに着ている。最後に見た時と同じ、少し癖のある髪が潮風に揺れていた。
「理玖……」
紡の視界が、一瞬で歪んだ。熱い塊が割り込むようにして、両目から大粒の涙があふれ出し、頬を伝って顎のラインから滴り落ちる。
紡は防波堤の狭い足場を、足元が縺れるのも構わずに駆け下りた。アスファルトを蹴る自分の靴音が、やけに遠くに聞こえる。
そして、佇む彼の胸へと、文字通り飛び込んだ。
衝撃と共に、両腕で彼の背中をぎゅっと、引きちぎれんばかりの力で抱きしめた。
「理玖、理玖、理玖……!」
名前を呼ぶたびに、涙が彼の制服の胸元を黒く染めていく。理玖は最初、突然の突撃に驚いたように両手を少し浮かせていたが、やがて諦めたように息を吐くと、紡の背中にそっと腕を回した。
「相変わらず、突進してくるね」
苦笑混じりの、しかし泣き出しそうな声が頭上から降ってくる。紡は彼の胸に顔を埋めたまま、掠れた声で、一番恐れていた質問を口にした。
「いつまで……いつまで、ここにいるの……?」
理玖は紡の柔らかい髪を、大きな手で優しく、愛おしそうに撫でながら、静かに、そして少し寂しげに答えた。
「明日の、今くらいまでかな」
「そっか……」
紡は顔を上げず、ただ理玖の手を強く握った。
この時間を、一秒たりとも無駄にはできない。紡は涙を拭い、彼の手を引いた。
「行こう。行きたい場所が、たくさんあるの」
二人は、失われた時間を取り戻すようにして、静かに街へと歩き出した。




