2─3 2026年 気づいた想い
2026年
街の景色は、一年前と大きくは変わっていなかった。新しくできたコンビニや、建て替えられたビルはあったけれど、二人が歩いた道路や、見上げた空の色はあの時のままだ。ただ、二人の関係性と、流れる時間だけが違っていた。
二人が向かったのは、街の端にある小さな水族館だった。
平日の昼下がりの水族館は閑散としており、館内には心地よい水のせせらぎと、クジラの鳴き声を模した環境音楽が静かに流れていた。薄暗い通路を進むと、目の前に巨大なメインタンクが現れる。
底から天井まで続く大きな水槽の前。青く澄んだ光に照らされながら、無数の銀色の魚たちが、まるで一つの生き物のように群れをなして泳いでいる。水面の揺らめきが、床や二人の顔に青い影を落とし、まるで自分たちも深い海の底に沈んでいるかのような錯覚を覚えさせた。
「あの魚……」
紡はガラスに一歩近づき、そっと手のひらを当てた。ひんやりとした感触が皮膚に伝わる。
「前も、あそこにいたね。私が一人でここに来た時も、同じように泳いでた」
「うん、いたな。妙に動きがのんびりしてるから覚えてる」
理玖も隣に立ち、ポケットに手を入れたまま水槽を見上げた。青い光に照らされた彼の横顔は、彫刻のように美しいけれど、どこか儚い。
紡はガラスを見つめたまま、ぽつり、ぽつりと、これまで誰にも言えなかった胸の内を吐露し始めた。
「私ね、あの日……人生で初めて失恋したんだ。泣きながら帰ったんだよ」
理玖の身体が一瞬、微かに強張ったのが分かった。紡は続ける。
「あの時はまだ、自分の感情の名前が分からなかった。ただ苦しくて、寂しくて、世界が全部灰色に見えて……。だけど、今ならはっきりと分かる」
紡はガラスから手を離し、理玖の方を真っ直ぐに向いた。青い光の中で、彼女の瞳が潤んでいる。
「私、あの時からずっと……ううん、もっと前から、理玖のことが心の底から好きだったんだって。どんなに時間が経っても、誰に出会っても、私の世界の中心には、いつも理玖がいたんだよ」
ストレートすぎる言葉。飾りのない、剥き出しの感情。
理玖は予想外の告白に、端正な顔を驚きに染めた。そして、すぐにバツが悪そうに視線を泳がせ、耳を真っ赤に染めた。だけど、その口元は、どうしようもない愛おしさを噛みしめるように、本当に嬉しそうに微笑んでいた。
「……お前なぁ。そういうことを、こんな公衆の面前でよく平気で言えるよな」
「公衆の面前って言ったって、今ここには私たちしかいないよ」
紡が少し悪戯っぽく笑うと、理玖はため息をつきながら、だけど本当に優しく、紡の手を強く握り返した。
「私はね」
紡は、今度は理玖の目を見つめながら言葉を紡ぐ。
「この残酷な世界が、ずっと大嫌いだった。お母さんがいなくなって、自分の存在理由が見出せなくて。何のために生きてるのか分からなかった。だけど……理玖が生まれた世界なんだって思ったら、この世界を、好きになれたよ」
理玖は水槽を眺めながら、その言葉を噛み締めるように優しく微笑んでいる。
「理玖は本当に、私にとっての天使みたいな人だった」




