表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮面広報の幼馴染は、俺の異動(タイムリミット)に気づかない――ふりをしている。  作者: 最後に残った形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/130

第2章 第23話:水曜日の斜光、終わりのモザイク


水曜日の15時。オフィスを斜めに差し込む午後の光は、どこか退廃的な美しさでデスクの上を照らしていた。

俺は人事部のデスクで、ロンドンへの赴任航空券の発券確認書と、現地で最初に入るホテルのバウチャーをクリアファイルにまとめていた。

出発まであと数日。手元の段ボール箱が一つ、また一つとガムテープで閉じられるたびに、この日常の輪郭が薄れていくのが分かった。


「――如月さん、海外事業部から届いた現地の生活立ち上げマニュアル、広報部側のチェックはこれで完了で大丈夫でしょうか?」

「はい、問題ありません。ロンドン支社の広報担当にも共有を済ませておきました。相馬さん、ご確認ありがとうございます」


共有スペースの入り口で、千歳は一寸の隙もない完璧なビジネススマイルを浮かべ、コクリと丁寧に頭を下げた。

その瞳には、昨夜俺の部屋で「大根の下茹でをサボるな!」と怒っていた面影など微塵もない。


完璧な他人のフリ。完璧なビジネス敬語。

周囲の社員たちは、彼女が毎晩のように俺の部屋の台所に立ち、淡いピンクのエプロンを身にまとって必死に料理を作っていることなど、想像すらしていないだろう。


すれ違いざま、千歳のジャケットの袖口が、俺の腕にかすかに触れた。

ほんの一瞬、彼女が愛用している少し甘い香水の匂いが、オフィスの無機質な空気の中に溶けていく。

千歳はそのまま真っ直ぐに廊下を歩き去り、一度も振り返ることはなかった。


その徹底された「仮面」の冷たさに、俺は胸の奥をチクリと刺されながらも、その裏にある彼女の焦燥を痛いほどに感じていた。


その数時間後。夜の21時半を回った俺の部屋。

昼間の冷徹なビジネスライクが嘘のように、キッチンからはジュー、という小気味よい音が響いていた。


「いい、蓮? 今夜は和食の基本中の基本、肉じゃがの最終おさらいよ! ロンドンに行ってから、現地のスタッフにあんたの煮崩れた肉じゃがを見られたら、幼馴染の私のプライドが許さないんだから!」


千歳は淡いピンク色のエプロンを身にまとい、鍋の中身を心配そうに覗き込んでいた。

会社のジャケットを脱ぎ、ブラウスの袖を捲り上げた彼女の姿は、昼間の「広報のエース、如月さん」とは完全に別人だった。


「分かってるよ。面取りもちゃんとやったし、火加減も落とし蓋もバッチリだろ」

「フン、口だけは一人前なんだから。ほら、次は味見して!」


千歳はふんす、と鼻を鳴らして胸を張った。

その言葉はいつものように強気だったが、鍋を見つめる彼女の横顔には、どこか必死な色が濃く滲んでいる。


素直に「行かないで」と言えない彼女が、「男友達の健康管理」という大義名分を盾にして、毎晩こうして俺の部屋に押しかけてくる。昼間のオフィスで見せる完璧な仮面と、夜の部屋で見せるエプロン姿のギャップに、俺の心はドギマギとした精神的狂瀾を抑えきれずにいた。


「はい、じゃあお皿に盛り付けるわよ。熱いうちに食べなさい!」

「分かった、今運ぶよ」


言えない本心をエプロンの下に隠したまま、二人のじれったいカウントダウンは、甘辛い出汁の香りと一緒に、静かに、だけど確実に煮詰まっていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ