第1章 第28話:土曜日の午後、動きを止めた砂時計
土曜日の14時。昼食を終えた後の部屋には、西日を浴びた埃がキラキラと空気中に漂う、のどかな時間が流れていた。
テレビからは、聞き流すのにちょうどいい旅番組のナレーションが低めのボリュームで聞こえている。
千歳はソファの上で、クッションを抱え込みながらすっかりくつろいでいた。
「あー、お腹いっぱい。蓮の淹れてくれたコーヒーとあのクロワッサン、マジで悪魔の組み合わせだわ。このまま動きたくなくなっちゃう」
「動かなくていいだろ、土曜日なんだから。お前、今週は特に広報のイベント対応で走り回ってたんだから、少しは体を休めろ」
俺はキッチンでマグカップを洗いながら、肩越しに声をかけた。
「そうだねぇ。今週は本当に『如月さん』の仮面を被りっぱなしだったから、脳みそが沸騰しそうだったもん。あ、でもね、蓮」
千歳はクッションにあごを乗せ、少しだけ真面目な顔をして俺を見た。
「来週の後半になれば、大きなプレスリリースの案件が一段落するの。そうしたら、もう少し早く上がれる日が増えると思うんだよね」
「……そうか」
胸の奥を、冷たい刃で撫でられたような感覚が走った。
来週の後半。
その頃には、俺のロンドン赴任の内示は全社に公表されている。当然、広報部である千歳の耳にも入っているはずだ。
彼女は「早く上がれる日が増える」と言って、俺との夜の時間を楽しみにしているのに、肝心の俺はその日常を内側から破綻させようとしている。
「だからさ、来週の金曜日あたり、久しぶりにちょっと手の込んだものでも作ろうよ。蓮の得意なハンバーグがいいな。私、デパ地下でちょっといいワインでも買ってきちゃうから」
千歳は何の疑いもなく、一週間後の未来を楽しそうに語っている。
「男友達」という、彼女が十数年かけて築き上げた絶対的な安全地帯の中で、このぬるま湯のような日常が明日も、来週も、その先もずっと当たり前に続いていくことを一ミリも疑っていないのだ。
「……ハンバーグか。いいな、材料を揃えておくよ」
俺はいつものように、感情を完璧にコントロールした声で嘘をついた。
喉の奥が引き裂かれそうに痛むのを、引きつりそうな表情を、必死に抑え込みながら。
「やった! 約束だからね、忘れたら承知しないから」
千歳は満足そうに微笑むと、またテレビの画面へと目を戻した。
何も知らない千歳の笑顔。
その裏側で、俺の胸の中の砂時計は、最後の猶予を告げるように、静かに、だけど確実に砂を落とし続けていた。




