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仮面広報の幼馴染は、俺の異動(タイムリミット)に気づかない――ふりをしている。  作者: 最後に残った形


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第1章 第26話:金曜日の夜、いつもの部屋と最後の週末への前奏曲


金曜日の21時を回った頃。

俺は一足先に帰宅し、スーツのジャケットをハンガーに掛け、ネクタイを外して大きく息を吐き出した。

リビングのエアコンをつけ、冷蔵庫から冷えた缶ビールを二本取り出してローテーブルに並べる。今日の15時に行われた海外事業部との最終オリエンテーションの手応えと、手元に残された英文の資料の重みが、まだ掌に残っているような感覚があった。


週が明ければ、いよいよ正式な社内公表が待っている。

この部屋で、何事もない顔をして千歳を迎え入れられる金曜日の夜は、もしかしたらこれが最後になるのかもしれない。そう思うと、部屋の静寂がいつも以上に冷たく感じられた。


ガチャリ、と静かな部屋にシリンダーが回る音が響き、ドアが開いた。


「うーーー、今週もマジで生き抜いたよ、私……! 蓮、今すぐ私に冷たいアルコールを補給して!」


入ってくるなり、盛大なため息とともにバッグをクローゼットの横へ放り投げたのは千歳だった。

腕にはネイビーのジャケットが引っ掛けられており、きっちりとまとめられていたハーフアップの髪はすでに解かれ、少し乱れた毛先が肩に散らばっている。一歩部屋を跨いだ瞬間から、彼女の「広報のエース」としての仮面は、音を立てて剥がれ落ちていく。


「おかえり。一週間お疲れ。ほら、ちゃんと冷えたビールがあるぞ」

俺は缶ビールの一本を彼女の目の前に突き出した。


千歳はソファにどさりと倒れ込み、嬉しそうに目を輝かせて缶を受け取った。

プシュッ、と小気味よい音が重なり、彼女は勢いよく喉を鳴らしてビールを流し込んだ。


「ぷはぁーっ……! 染み渡る……! やっぱり金曜日の夜に、蓮の部屋で飲むビールが世界で一番美味しいわ」

千歳はソファの背もたれに頭を乗せ、完全に脱力した様子で天井を見上げた。

ブラウスの第一ボタンが外され、首筋の白い肌がリビングの照明に照らされている。オフィスの誰も知らない、俺だけが独占している「如月千歳」の姿がそこにあった。


「ねえ、蓮。今日の午後さ、人事部のフロアの近くを通ったら、蓮のデスクの周りだけなんか妙に張り詰めた空気が漂ってた気がするんだけど。上半期の評価シート、そんなに大変なの?」

千歳がビール缶を両手で転がしながら、何気ないトーンで言った。


その言葉に、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。

彼女が感じたその空気は、評価シートのせいではない。俺のロンドン赴任に伴う極秘の引き継ぎ資料の作成や、海外事業部との最終調整による緊迫感そのものだった。


「……ただの気のせいだろ。締め切りが近いから、みんな集中して画面を見ていただけだ」

俺は喉の奥の渇きを紛らわせるように、自分のビールを口にした。


「ふーん、まあそれならいいんだけどさ。あ、そうだ! 今日は金曜日だし、ガッツリしたものが食べたい! 蓮、今日のご飯は何?」

千歳はすぐに次の話題へ移り、期待に満ちた目で俺を見てくる。


「今日は、残っていた豚肉で生姜焼きを作っておいた。キャベツも多めに刻んである」

「やったぁ! 蓮の生姜焼き、タレが甘辛くて最高なんだよね!」


千歳は子供のように歓声を上げ、ローテーブルの前に座り直した。

何の疑いもなく、笑っている。この心地よくて安全な「男友達」という防壁の内側で、この日常が来週も、来月も、ずっと当たり前に続いていくことを信じて疑っていない。


俺はその笑顔を見つめながら、胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えていた。

このガラス細工のように繊細なモラトリアムの時間は、週が明ければ粉々に砕け散る。その現実を自分の口から告げることもできず、俺はただ、彼女の隣でこれまで通りの「日常」を必死に演じ続けることしかできなかった。

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