第1章 第14話:日常の底溜まり、引き留められない時間
月曜日の夜。
いつもと同じように、俺の部屋のダイニングテーブルには、仕事帰りにコンビニで買い揃えた惣菜と、よく冷えた緑茶のペットボトルが並んでいた。
ガチャリ、と聞き馴染んだ金属音がして、玄関のドアが開く。
「おーつーかーれー……。あー、今週も初日からフルスロットルで脳みそが限界……」
入ってくるなり、千歳はネイビーのジャケットを脱ぎながら、リビングのソファへと崩れ落ちるように倒れ込んだ。髪をまとめていたヘアゴムをパチンと外し、少し乱れた毛先を指先でなぞる。オフィスの「如月さん」から、完全に「幼馴染の千歳」へと切り替わる瞬間だ。
「おかえり。初日から景気がいいな。ほら、冷たい炭酸水だ」
俺はキッチンからグラスを運び、ローテーブルに置いた。
千歳はソファに寝転がったまま、片手を伸ばしてグラスを受け取る。
「ぷはー、生き返る……。ねえ蓮、今日の昼さ、人事部のフロアの近くを通ったら、長谷川部長と海外事業部のエリートっぽい人が神妙な顔で話してたんだよね。なんか新しいプロジェクトでも始まるの?」
ピキリ、と胸の奥で何かが凍りつくような感覚がした。
千歳が何気なく目撃したその光景は、まさに俺のロンドン赴任に伴う、現地法人の組織編成に関する最終打ち合わせのひとコマに違いなかった。
「……さあな。人事部は常に守秘義務の塊だから、部長が誰と何を話してようが俺たち平社員には関係ないよ。それより、広報部の方こそ今期のプレスリリースのスケジュールは大丈夫なのか?」
俺は動揺を悟られないよう、わざと事務的なトーンで話題をそらした。
「あ、はぐらかしたなー? まあいいけどさ。広報部はバッチリだよ。私がエースとして完璧にコントロールしてるからね」
千歳は不満げに唇を尖らせながらも、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべて炭酸水を飲み干した。
何の疑いもない、いつもの夜。
千歳は「男友達」という完璧な防壁の内側で、この居心地の良いモラトリアムが明日も、来週も、来月もずっと続いていくことを確信している。
俺はその無防備な横顔を盗み見ながら、手元のグラスを強く握りしめた。
正式な社内公表まで、あとほんのわずか。このガラス細工のような日常の均衡が破られるその時が、確実に、一歩ずつ足音を立てて近づいている。それを自分の口から告げる覚悟が持てないまま、俺は今日も、優しい嘘の裏側でカウントダウンの針を進めていた。




