第4章 第36話:日曜日の夕暮れ、冷めない微熱と最後の準備
日曜日、17時。
窓の外には、燃えるような茜色の夕焼けが広がり、俺の部屋の壁を濃い橙色に染め上げていた。
明日からまた、あの戦場のようなオフィスでの新しい一週間が始まる。
キッチンには、やはり火が入っていない。
かつて日曜日のこの時間、部屋全体を満たしていた香ばしい胡麻油やスパイシーな調味料の匂いはどこにもなく、淡いピンク色のエプロンがクローゼットの奥から引っ張り出されることもなかった。
「海外生活のための自炊訓練」という、二人が同じ空間にいるための唯一の大義名分は、もう完全な過去の遺物となっていた。
だが、俺の胸の奥でドクン、ドクンと脈動し続けるドギマギとした精神的狂瀾は、寂しさではなく、明日を迎えるための圧倒的な熱量を帯びていた。
「――蓮、シャツのアイロン、ちゃんとあてたの?」
パタパタという見慣れたスリッパの音と共に、千歳がクローゼットの前から姿を現した。
彼女は落ち着いたサマーニットの裾を少し揺らしながら、俺が明日着ていくための白いワイシャツを手に取った。
ハーフアップを完全に解かれ、肩へと艶やかに落とされた黒髪の隙間から、彼女の小さな耳たぶが、夕暮れの光を浴びて隠しきれない鮮やかな桜色に染まっている。
お互いに想いを全て曝け出し、安全な「幼馴染の男友達」という殻を粉々に踏み砕いた。
だからこそ、こうして何気ない日曜日の夕方に、料理も何もない部屋で未来の準備を整えているという現実が、二人の理性を甘く、激しくかき乱す。
「ああ、さっき終わらせたよ。千歳こそ、明日の広報部の資料はいいのか?」
「完璧に決まってるでしょ。私を誰だと思ってるのよ」
千歳はいつものようにふんす、と鼻を鳴らして強がってみせる。
だが、ワイシャツの襟元を整える彼女の白く細い指先は、微かに震えていた。
「明日になったら……またオフィスで『如月さん』と『相馬さん』に戻るんだね」
千歳は手を止め、潤んだ大きな瞳で真っ直ぐに俺を見つめた。その瞳の奥には、日常という名の戦場へ戻ることへの心地よい緊張感と、それ以上のスピードで加速していく俺への剥き出しの熱情が、狂おしいほどに混線していた。
「ああ。完璧に他人のフリをして、冷たいビジネス敬語を使って、誰も知らない秘密の糸で繋がっていよう」
俺は千歳の少し隣に歩み寄り、その華奢な肩をそっと、だけど拒絶を許さない強さで引き寄せた。
「あ……」
短い吐息とともに、彼女の柔らかな身体が俺の胸元へと重なる。
大義名分という名の免罪符をすべて失った世界の真ん中で、俺たちは今、引き返せない最終局面のさらに奥へと足を踏み入れようとしていた。夕暮れが夜の帳へと溶けていく部屋の静寂のなかで、二人の体温は、生涯解けることのない絆となって、どこまでも深く、熱く重なり合っていった。




