第4章 第24話:水曜日の夜、雨滴を纏った静寂の部屋
激しい雨音に追われるようにして、俺たちは俺の部屋のドアを開けた。
ガチャリ、と鍵が閉まる無機質な音が、外の世界と俺たちを完全に隔絶する。
「……寒かったろ。とりあえず、タオル使って」
「うん……ありがと」
千歳はベージュのトレンチコートを脱ぎ、俺が差し出した白いタオルを受け取ると、少し濡れたハーフアップの髪をそっと押さえた。
部屋の明かりに照らされた彼女の私服のブラウスは、雨の湿気を吸って微かに肌に張り付き、華奢な肩のラインをいつも以上に強調している。
リビングのローテーブルの前に、二人の影が並んで座る。
コンロのスイッチを入れる音も、中華鍋が爆ぜるような小気味よいリズムも、ここにはない。かつて二人がこの部屋で並ぶための絶対的な免罪符だった、あの淡いピンク色のエプロンは、今日もクローゼットの奥で眠ったままだ。
「本当に、料理もしないのに……私、またここに来ちゃった」
千歳はタオルを膝の上に置き、細い指先をぎゅっと絡ませながら、消え入りそうな声で呟いた。
いつもならキッチンで「火加減を完璧に覚えなさいよね!」と鼻を鳴らしていたはずの強気な幼馴染は、大義名分をすべて失った途端、その防壁を剥ぎ取られて途方に暮れている。
「理由なんて、もういらないだろ」
俺は少し掠れた声で応じ、彼女のすぐ近く、座面に自分の手を置いた。
「会社で一日中『他人のフリ』をして、お前が『如月さん』の仮面を被って戦ってるのをずっと見てた。だから、夜くらいはその仮面を外して、ここにいればいい。俺がお前の本当の居場所になるから」
「蓮……あんたは、いつもそうやって……」
千歳はゆっくりと顔を上げた。
潤んだ大きな瞳が、部屋の照明を反射して狂おしいほどに揺らめいている。
彼女の頬から耳たぶにかけては、冷たい雨に打たれていたはずなのに、隠しきれない鮮やかな桜色に染まり、じわじわと熱を帯びていた。
「……悔しいな。会社ではあんなに完璧に他人のフリをしてるのに、この部屋に入ってあんたの匂いを嗅ぐだけで、全部どうでもよくなっちゃうのよ。もっと、あんたの体温が欲しくなっちゃうじゃない……」
千歳は泣き出しそうな声を絞り出すと、重ねていた指先をほどき、俺の服の袖を遠慮がちに、だけど固く握りしめてきた。
タイムリミットが消え去り、エプロンも料理もない夜。
安全な逃げ道をすべて失ってしまったからこそ、剥き出しになったお互いの熱量が、ドギマギとした激しい精神的狂瀾となって、静まり返った部屋の中でどこまでもじれったく混線し続けていた。




