第4章 第23話:水曜日の放課後、傘を叩く雨音の檻
18時40分。
ビルの外へ出ると、雨脚は夕方よりも一段と強まり、アスファルトを激しく叩きつけていた。
家路を急ぐ通勤客の波に押されるようにして、俺は地元の駅へと向かう電車に揺られた。
昨夜、部屋の中で肩を寄せ合い、お互いの手のひらの熱を確かめ合ったあの記憶。そして今日、オフィスの無機質な蛍光灯の下で、クリアファイルを挟んで交わされた、あの数センチの焦燥。
大義名分をすべて失い、夜の部屋での淡いピンク色のエプロンすら失った俺たちにとって、日常のあらゆる隙間が、理性を揺さぶるドギマギとした精神的狂瀾の戦場へと変わっていた。
地元の駅の改札を抜け、薄暗い高架下を通り抜けた時だった。
街灯の淡い光の中に、一本の馴染み深いビニール傘が、激しい雨を弾きながら佇んでいるのが見えた。
「……蓮」
傘の縁から覗いたのは、ハーフアップの髪を少しだけ濡らした千歳の姿だった。
オフィスのネイビーのジャケットの上から、薄手のベージュのトレンチコートを羽織っている。彼女は両手で傘の柄を固く握りしめたまま、潤んだ大きな瞳で真っ直ぐに俺を見つめていた。
「千歳……待っててくれたのか」
「違うわよ。ただ……急に雨がひどくなったから、雨宿りしてただけ」
彼女はいつものようにふんす、と鼻を鳴らし、そっぽを向いて強がってみせる。
だけど、すれ違う他人の視線から隠れるようにして、彼女は俺のブレザーの袖口を、白く細い指先でキュッと引っ張ってきた。
「料理の訓練もしないのに、毎晩のようにあんたの部屋に行く理由なんて、もうないのにね。……でも、帰る気になれなかったのよ。会社で一日中『相馬さん』って呼びながら他人のフリをしてたら、頭の中が全部めちゃくちゃになっちゃって……」
千歳は声を震わせ、溢れ出しそうな涙を必死に堪えるように唇を噛みしめた。
そのハーフアップの隙間から覗く耳たぶは、夜の冷たい雨の空気のなかで、隠しきれない鮮やかな桜色に染まっている。
「海外生活のため」という、二人が寄り添うための唯一の免罪符はもう存在しない。料理を作る名目すら持たないまま、こうしてオフィスの外で「一人の男」と「一人の女」として立ち往生する日常。
激しい雨音が二人の周囲を白い檻のように遮るなかで、俺たちのじれったい混線は、どこまでも深く、熱く、お互いの距離を縮めようと脈動し続けていた。




