第4章 第13話:月曜日の給湯室、触れられない距離の熱量
「あんた、なんでそんなに平気な顔して仕事できるわけ? 幼馴染のフリも、同僚のフリも、もう全部めちゃくちゃじゃない……」
千歳が悔しそうに、だけど今にも泣き出しそうな声で紡いだ本音。
狭い給湯室の中に、彼女の荒い息遣いと、自動コーヒーマシンから漂う苦い香りが充満していく。
「平気なわけないだろ」
俺はマグカップをカウンターに置き、半歩だけ彼女との距離を詰めた。
一歩踏み出せば、その細い肩を抱きしめてしまえるほどの距離。オフィスのすぐ隣にあるこの部屋の防音性は決して高くない。廊下を歩く誰かの足音が遠くで響くたびに、千歳の大きな瞳がビクッと怯えたように丸くなる。
「俺だって、午前中に指先が触れたとき、キーボードを叩く手がしばらく震えて止まらなかった。フロアで『如月さん』って呼ぶたびに、頭の中であのお団子頭の千歳がフラッシュバックして、理性が焼き切れそうになってるんだよ」
「蓮……」
千歳はコーヒーカップを胸元で固く握りしめたまま、潤んだ瞳で俺を見上げた。
ネイビーのジャケットの襟元から覗く、彼女の華奢な鎖骨が激しく上下している。完璧に着こなしていたはずの「広報部のエース」の鎧は、俺たちの言葉が交わされるたびに、内側からの熱量でもろくも溶け去っていく。
ここで彼女の手を握りしめてしまいたい。
週末の夜のように、その震えを止めてやりたい。
だが、ここは戦場のようなオフィスだ。誰かがドアを開けた瞬間に、俺たちが必死に守り、そして今や袋小路に迷い込んでいる「他人のフリ」の境界線は、周囲の好奇の目に晒されて完全に破滅してしまう。
触れたいのに、触れられない。
大義名分をすべて失い、お互いを特別に想い合っているという事実を知ってしまったからこそ、この数センチの隙間が、途方もなく遠く、そして狂おしいほどに熱い。
「……ずるい。あんたがそんな顔するから、私、もっとおかしくなりそう」
千歳はハーフアップの髪を小さく揺らし、真っ赤に染まった耳たぶを隠すように俯いた。
壊れてしまった境界線の前で、迫りくる周囲の気配に怯えながらも、俺たちのドギマギとした精神的狂瀾は、給湯室の静寂の中でどこまでもじれったく火花を散らし続けていた。




