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第9話:雨の日の追跡者、あるいは静寂の誘惑


 自由都市リベルタを、しとしとと降る霧雨が包んでいた。

 石畳を濡らす雨音は、普段の喧騒を消し去り、パレットハウスの二階アトリエに心地よい――けれど、執筆作業にとっては致命的な「静寂」を運んできた。

「……ふわぁ。……あかん、筆が重い……。雨の音を聞いておると、どうにもベッドが恋しくなるわい……」

 カツミ(北斎)の小さな身体が、机の上で「くにゃり」と折れ曲がる。銀髪のポニーテールが、未完成の原稿の上に力なく横たわった。

「カツミ、いけないわ。演算によれば、あなたの今の脳波は『完全なる昼寝モード』に突入しかけている。ここで寝たら、パブロの締切計算を五時間は超過するわよ」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が背後からカツミの脇に手を差し入れ、ひょいと持ち上げる。そのまま自分の膝の上――「特等席」へと強制移動させた。

「 ふ、ふみゅうぅ……。 レオよ、離せ……。わしは今、夢の中で富士の山を写生しに行こうとしておるのじゃ……」

「ダメよ。……メアリ、例のものを」

 メアリ(フェルメール)が、影の中から静かに現れた。その手には、雨の光を吸い込んで青く輝く、不思議なインク瓶が握られている。

「……カツミ。……この雨の日だけの特別な光。……これを使えば、あなたの漫画に『静寂の深み』が出るわ。……寝ている場合じゃない、この光が消える前に描きなさい」

 メアリの冷たい、けれどどこか熱を帯びた指先が、カツミの頬をなぞる。その刺激にカツミが「 はわわっ! 」と跳ね起きた。

「……あ、あぅ。……このインク、えげつないほど粋な発色をしておるな……。……くっ、寝かせてもくれぬか、このお姉さん共は……!」

「カツミさぁぁん! 目を覚ましてください! 私の情熱パッションで、雨雲を吹き飛ばすくらいの熱いコーヒーを淹れてきましたっ!!」

 ヴィン(ゴッホ)が、湯気とともに火柱が立っているような(?)マグカップを持って突進してくる。

「ヴィン、熱い! カップから火が出ているぞえ!!」

「これは愛の炎です! さあ、飲んで魂を燃やしてください!!」

 お姉さんたちによる「過剰な覚醒ケア」が始まった。

 レオによる黄金比マッサージで血流を強制的に加速させられ、メアリによる光彩の誘導で視覚を刺激され、ヴィンの熱すぎる応援で体温を上げられる。

「 にゃ、にゃはは……! 逃げ場がないわい! 分かった、描けば良いんじゃろう、描けば!!」

 カツミはヤケクソ気味に筆を掴むと、メアリの「雨色のインク」をたっぷりと含ませた。

 その瞬間、アトリエの空気が変わった。

 眠気を吹き飛ばすような、圧倒的な集中力。カツミの左腕が、雨音のリズムを刻むように激しく、そして繊細に躍動し始める。

 ――描いているのは、雨宿りをする少女と、彼女にそっと傘を差し出す無口な大男の物語。

 リベルタの片隅にある、ありふれた、けれど誰もが見落とす「情景」。

「……上がったのじゃ。……これこそが、今日の雨の『正解』じゃわい」

 最後の一線を書き込み、カツミが筆を置く。同時に、背後の時計がパチリと音を立てた。

「――ジャストよ。……流石ね、カツミ」

 パブロ(ピカソ)が、扉の陰からストップウォッチを片手に現れた。

「……あんたたちがイチャついている間に、印刷ギルドに使いを出しておいたわ。これで今週号も無事に入稿ね」

 その言葉を聞いた瞬間、カツミの緊張の糸がぷっつりと切れた。

「……もう、限界じゃ。……わしを……畳へ……」

 崩れ落ちるカツミを、レオ、メアリ、ヴィンの三人が、阿吽の呼吸で同時に受け止めた。

「お疲れ様、カツミ。さあ、今度は本当に『完全な休息』よ。私の膝の上で、朝まで演算を止めて眠りなさい」

「……雨の音をBGMに、私の腕の中で静寂に溶けなさい……」

「カツミさん、一緒にひまわりの夢を見ましょうねぇぇっ!!」

「 ふ、ふみゅうぅ……。 ……結局、誰かの上でしか眠らせては……くれぬのか……」

 銀髪を三人の姉たちに優しく撫でられながら、カツミは深い眠りへと落ちていく。

 外の雨音は、いつの間にか優しい子守唄へと変わっていた。

 最強の五人による、雨の日の密やかな連載。

 明日、この原稿がリベルタの街を、また少しだけ「粋」に彩ることになる。

(つづく)


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