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第10話:画狂の発熱、あるいは狂乱の看護


 その日は、パレットハウス開館以来の「非常事態」だった。

 自由都市リベルタを騒がせる『週刊パレット』の主筆、カツミ(北斎)が、あろうことか机に突っ伏したまま動かなくなったのである。

「……あ、あぅ。……なんだか、富士の山が三つに見えるぞえ……」

 カツミの小さな額は、真っ赤に火照っていた。数日間の不眠不休の連載作業に加え、昨日の雨の中の写生がたたり、知恵熱ならぬ「画狂熱」を出してしまったのだ。

「カツミ!? 演算終了、体温三十九・二度! これは危険域よ!」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が血相を変えて飛んできた。銀色の指先で瞬時にカツミのバイタルを計測し、即座にアトリエを「集中治療室」へと作り替える。

「……光が強すぎるわ。……カツミの瞳に障る」

 メアリ(フェルメール)が真珠の髪留めを光らせ、カーテンの隙間から差し込む光を完全に遮断。部屋をカツミが最も安らげる「究極の薄明」で満たした。

「カツミさぁぁぁん!! 死なないでください! 私の情熱を分けてあげれば、風邪の菌なんて焼き尽くせるはずですぅぅ!!」

「ヴィン、やめなさい! あなたが抱きついたら、物理的にカツミの体温が四十度を超えるわ!」

 レオがヴィン(ゴッホ)を羽交い締めにし、カツミの枕元を死守する。

 そこへ、山のような「締め切り変更届」と氷嚢を抱えたパブロ(ピカソ)が、珍しく険しい顔で現れた。

「……状況は聞いたわ。ギルドには一週間の休載を伝えてきた。……まったく、体調管理も仕事のうちだって言ったでしょうに」

 パブロは毒づきながらも、手際よくカツミの額に氷嚢を乗せた。

「 ふ、ふみゅうぅ……。 パブロよ、済まぬ……。わしとしたことが、締切という名の戦場から脱走するとは……」

「いいから寝てなさい。……あんたがいない間に、私がリベルタの市場を回って『最高の滋養強壮剤』を揃えておいたわ」

 パブロが差し出したのは、カツミが好む江戸の味を再現した特製の「甘酒」。

 それを合図に、お姉さんたちの過剰な看護(ご褒美)が始まった。

「さあ、カツミ。この黄金比で調合した解熱剤を飲みなさい。……はい、あーん」

「……お着替えの時間よ。……汗をかいたままだと、あなたの銀髪が曇ってしまうわ」

「 はわわわ……っ! レオ、メアリ! わしは病人じゃぞ! 服を脱がすな、恥ずかしいわい!!」

「病人だからお世話が必要なのよ!」

 三人がかりでパジャマを着せ替えられ、最高級の毛布に包まれ、ヴィンが布団の端で「暖房代わり」に添い寝をする。カツミの「ふみゅうぅ」という悲鳴がアトリエに響くが、その声はどこか心地よさげに弾んでいた。

 数時間後。お姉さんたちの手厚すぎる看護のおかげで、カツミの熱は驚異的な速度で引いていった。

「……にゃはは。……すっかり、身体が軽くなったわい」

 カツミは布団から這い出すと、まだ心配そうに見守る姉たちの間をすり抜け、迷わず筆を掴んだ。

「ちょっと、カツミ! まだ安静にして……」

「レオよ、止めるでない。……寝込んでいる間、わしの頭の中では、新しい物語が富士の噴火のように渦巻いておったのじゃ!」

 カツミは白紙の原稿に向かい、熱に浮かされていた時に見た「夢の続き」を叩きつけた。

 それは、今までのどの回よりも荒々しく、そして生命力に満ちた、圧倒的な一線。

「……見ておれ、読者ども。……風邪を引いたおかげで、わしの筆はさらに『粋』になったわい!!」

 その背中を見つめ、パブロが不敵に笑う。

「……ふん。休載分を取り戻すくらいの傑作を描きなさいよ。……描き終わったら、またお姉さんたちの『徹底洗浄(お風呂)』が待ってるんだから」

「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! それだけは勘弁してくれぇぇ!!」

 天才の復活と、変わらぬ溺愛の嵐。

 カツミの連載は、病をも「ネタ」に昇華させ、さらなる熱狂の渦へと突っ込んでいく。

(つづく)


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