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第49話:パレットハウスの朝、あるいは永遠の締切


 リベルタの空は、今日もどこまでも高く、澄み渡っていた。

 かつて「画狂」を追い出した街の空気は、今やパレットハウスから流れてくるインクの匂いを、誇らしい故郷の香りのように受け入れている。軒先に掲げられた『単行本一巻・重版出来』の看板は、朝日を浴びて黄金色に輝いていた。

「……演算終了。カツミの睡眠時間、栄養バランス、および精神的安定性は極めて良好。……さあ、世界で最も尊いマエストロ。今日の第一線を引く前に、私の開発した『全自動・脳細胞活性化ヘッドマッサージ』を受けなさい」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が、銀色の指先を柔らかく動かしながらカツミ(北斎)の側頭部を包み込む。かつての「管理」とは違う、一人の表現者への深い敬意と、相変わらず重すぎる愛がそこにはあった。

「……そうね。……今日の光は、あなたの描く『笑い』を一番美しく引き立ててくれるわ。……カツミ。……動かないで。……あなたの瞳に映るリベルタの街、私が世界で一番鮮やかに定着させてあげる……」

 メアリ(フェルメール)が、カツミの肩にそっと顎を乗せ、真珠の耳飾りを揺らしながら囁く。彼女の瞳には、被写体への執着を超えた、共作者としての熱い信頼が宿っていた。

「あぅぅ! 私、もう我慢できませんっ! カツミさんの新しい一線が生まれる瞬間、一番近くで私の情熱を魂に注入させてくださいぃぃっ!!」

 ヴィン(ゴッホ)が、カツミの腰に抱きつき、向日葵のような熱量を全身でぶつけてくる。

「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! おぬしたち、朝から賑やかすぎじゃわい!!」

 カツミは、三人の美女にもみくちゃにされながらも、その手にはしっかりと、新しく新調された愛筆が握られていた。

 机の上には、王都の大公から届いたばかりの感謝状――そして「検閲塔を改め、世界最高の漫画図書館を建設した」という報告書が置かれている。

「へっ、相変わらず色気に当てられてやがんな。……じゃあな、親父。アタシはまた、面白いもんを探して旅に出るよ。王都の図書館に、アタシの絵を並べる場所を空けておきな」

 お栄(応為)が、縁側からひょいと飛び降りる。その背中は、かつて江戸で見た時よりもずっと軽やかで、誇らしげだった。

「にゃはは! お栄よ、わしの『二巻』におぬしを出すかもしれんぞえ! 覚悟しておけい!!」

「……けっ。変な顔に描くんじゃねぇよ!」

 お栄が手を振りながら、リベルタの雑踏へと消えていく。パブロ(ピカソ)がそれを見送りながら、新しい連載の契約書をどっさりとカツミの前に積み上げた。

「さあ、カツミ。感傷に浸る時間は終わりよ。リベルタも、王都も、そして世界中が、あんたの『続き』を首を長くして待っているんだから。……逃げようなんて思わないことね」

 アトリエに、心地よい緊張感が走る。

 カツミは、自分を囲む四人の巨匠たちを見渡し、それから窓の外で漫画を読み耽る名もなき市民たちを見つめた。

 

 孤独な一線は、今や世界を繋ぐ大きなうねりとなった。

 だが、カツミの魂にあるものは、あの日泥の中で波を描いた時と何一つ変わっていない。ただひたすらに、目の前の真っ白な紙を「粋」で埋め尽くしたいという、純粋な渇望だけだ。

「……よし。……やるぞえ!!」

 カツミが筆をインクに浸し、構えをとる。

 その瞬間、お姉さんたちが「待って、角度が!」「光が!」「愛が足りませんっ!」と一斉に彼女に群がり、抱きつき、頬を寄せ、カツミの小さな体は完全に埋もれてしまった。

 お姉さんたちの柔らかな腕の中から、銀髪を振り乱したカツミが、ただ筆だけを高く、誇らしげに掲げる。

「にゃはは! 離せ離せ、おぬしたち! わしはまだ、描き足りぬわい!!」


 その笑い声が、リベルタの空に響き渡る。

 画狂の筆は、永遠に止まることはない。

『パレット・フロンティア Season 2』―― 完 ――


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