第47話:ヴィンの確信、あるいは絶望を溶かす太陽
静寂が、謁見の間を重く、冷たく支配していた。
カツミ(北斎)の震える指先から、一滴の墨が羊皮紙の上に落ちようとしていた。それは「芸術の死」を告げるカウントダウンのようだった。
レオ(ダ・ヴィンチ)は、自分の無能さを数式で証明し続ける地獄にいた。メアリ(フェルメール)は、カツミの瞳を守れぬ絶望の闇に溺れていた。お栄(応為)でさえ、大公の威圧感に奥歯を噛み締め、カツミの背中にかける言葉を見失っていた。
だが、その張り詰めた「死」の空気の中に、ただ一つだけ、場違いなほどの**「温熱」**が灯っていた。
「……あぅぅ。……皆さん、どうしてそんなに暗い顔をしているんですか?」
ひび割れた沈黙を破ったのは、ヴィン(ゴッホ)の震えのない、澄んだ声だった。
レオたちが驚愕して顔を上げると、そこには、王の結界に押し潰されていたはずのヴィンが、膝をつくことさえ忘れたかのように、満面の笑みを浮かべて立っていた。
彼の瞳には、大公の冷気も、検閲塔の悪意も映っていない。ただ一人、震えながら筆を握るカツミの背中だけを、狂信的なまでの熱量で見つめていた。
「レオさん、メアリさん。……心配なんて、無駄ですよ。……だって、カツミさんは、私の、私たちの太陽なんですから」
「……ヴィン……? あなた、この状況が判っていないの……?」
レオが掠れた声で問う。ヴィンは優しく首を振ると、カツミの足元にそっと歩み寄った。騎士たちが槍を向けるが、彼はそれすら視界に入っていない。
「太陽が、たかが暗雲に負けるはずがないんです。……大公閣下。あなたはカツミさんを縛ろうとしていますが、無理ですよ。……この人の一線は、あなたの冷たい秩序なんて、一瞬で焼き尽くして、黄金のひまわり畑に変えてしまうんですから!!」
ヴィンの、あまりにも純粋で、あまりにも圧倒的な**「無条件の信頼」**。
それは魔導の結界よりも強く、絶望の冷気よりも熱く、カツミの凍りついた芯を直接叩き起こした。
「……にゃ、にゃはは……。……そうじゃった。……ヴィンよ。おぬしにそう言われては、わしも格好をつけねばならぬわい……」
カツミの指の震えが、止まった。
彼女はゆっくりと振り返り、絶望に沈んでいたレオとメアリ、そして信頼を歌うヴィンの顔を順に見つめた。
「おぬしたち。……わしを誰だと思っておる。……わしは、おぬしたちという最高の『画材』を従えた、世界一の幸せ者じゃぞえ!!」
カツミが筆を掲げた瞬間、アトリエ(パレットハウス)の絆が、王都の冷徹な空気の中で再結合した。
レオが再び、カツミの線の「構造」を脳内で補完し始める。メアリが、墨の黒の中に「究極の影」を見出す。ヴィンの情熱が、カツミの筆先に「爆発的な速度」を与える。
「――お栄よ! 見ておれ!! 江戸の粋と、リベルタの愛。そのすべてを込めて、この堅苦しい部屋を『笑い』の渦に沈めてやるわい!!」
カツミの瞳から、怯えが消えた。
代わりに宿ったのは、かつて誰も見たことがないほど鋭く、かつ愉しげな、真の**「画狂」**の光。
大公が眉をひそめ、検閲官たちが息を呑むなか、カツミの筆が羊皮紙の上で爆発した。
それは、御前執筆という名の「公開処刑」を、世界で最も贅沢な「ライブ・ドローイング」へと変える最初の一線だった。




