第41話:量産という名の魔法
リベルタに凱旋したパレットハウスの玄関先に、巨大な鋳鉄の塊が鎮座した。鼻を突く油性インクの匂い――技術ギルドが総力を挙げて開発した、最新鋭の「活版印刷機」である。
「……演算終了。ありえないわ。こんな鉄の歯車で、カツミの線の『呼吸』が再現できるはずがない。インクの乗りは均一すぎ、紙の繊維への浸透も計算の美しさを欠いている」
レオ(ダ・ヴィンチ)が、印刷機をまるで汚物でも見るかのように睨みつける。彼女にとって芸術とは、宇宙の真理を一点に凝縮した「唯一無二」の結晶でなければならなかった。
「……そうね。……光は、複製できない。……コピーされた瞬間に、影は死に、魂は希釈されるわ。……カツミ。……こんな鉄の箱に、あなたの命を預けるつもり……?」
メアリ(フェルメール)が悲しげに瞳を伏せ、ヴィン(ゴッホ)も「愛がこもってませんぅぅ!」と半泣きでカツミ(北斎)の袖を引く。巨匠たちにとって、芸術を「量産」することは、神聖な儀式を冒涜されるに等しかった。
「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! おぬしたち、何をそんなに怒っておるのじゃ」
カツミは、刷り上がったばかりの、まだインクの匂いが新しい一ページを手に取った。
その瞬間、カツミの脳裏に、かつて江戸でお栄が語っていたぶっきらぼうな声が蘇った。
『いいかい親父、一枚の絵を千枚に刷るってのはな、千人の人生に土足で踏み込んで、そいつらを笑わせる覚悟を持つってことだよ。芸術家のプライドなんて、刷り上がる頃にはインクで真っ黒に汚れちまってるもんさ』
それは、32話で旅立ったお栄が残していった、職人の、そして「民衆の絵師」としての誇りだった。カツミは「 にゃはは! 」と不敵に笑うと、お姉さんたちを真っ直ぐに見据えた。
「レオ、メアリ、ヴィンよ。おぬしたちは、この一枚の『完璧』を愛しておる。……だが、わしは、この百枚、千枚の『不完全』を愛しておるのじゃわい!!」
「……不完全を……愛する?」
「わしの描くものは、神棚に飾る家宝ではない。……パンを食いながら、酒を飲みながら、ガハハと笑い飛ばすための『娯楽』なのじゃ。……わしの一線が、この鉄の機械を通ることで、千人の、万人の日常に土足で踏み込んでいく……これが、わしの言う『粋』じゃわい!!」
カツミは自ら印刷機のハンドルを握り、お栄の教えを胸に、渾身の力で回し始めた。
「わしの魂は、薄まるのではない。……このインクの滴の一つ一つに、わしの魂を小分けにして乗せてやるのじゃ!! さあ、レオ、おぬしの計算でインクの配合を最適化せよ! メアリ、光がなくても読めるコントラストを作れ! ヴィン、一万枚刷っても熱を失わぬような紙を選べ!!」
カツミの「マエストロ」としての命令に、巨匠たちの空気が一変した。
「……っ。……そうね。量産という名のエラーを、私の技術で『意図された完成』に書き換えてあげるわ」
「……光を、リベルタの全世帯に届ける……。……面白いわ。……やってみるわね」
「カツミさんが土足で踏み込むなら、私はその後に情熱の絨毯を敷き詰めて見せますぅぅ!!」
パブロ(ピカソ)が、巨匠たちが一丸となって印刷機に向かう姿を見ながら、不敵に笑い、懐から大量の予約注文リストを取り出した。
「……いいわね。……さあ、リベルタ全土に『カツミ』という名のウイルスをばら撒くわよ!!」
一晩中、パレットハウスからはガチャン、ガチャンという規則正しい「量産の鼓動」が響き続けた。
カツミは、お栄が愛した「版」の精神をリベルタの機械に宿らせながら、新しい時代の産声を確信していた。
(つづく)




