第40話:凱旋、あるいはパレットハウスの看板
山頂の邸宅に、カツミ(北斎)の「 ふみゅうぅ……っ!! 」という咆哮が響き渡った。
彼女はレオ(ダ・ヴィンチ)が用意した「全自動・姿勢制御パレットチェアー」を物理的に蹴り飛ばし、窓枠に飛び乗って下界――リベルタの街を指差した。
「レオよ! メアリよ! ヴィンよ! もう我慢ならぬわい! この静かすぎる山では、わしの『粋』が窒息死してしまうぞえ!!」
「落ち着きなさい、カツミ。……演算によれば、まだ王都の警戒網は解かれていないわ。今下山するのは、自ら虎の口に飛び込むようなもの……」
レオが眼鏡を光らせ、冷徹に論理を説く。……しかし、その手は既に、アトリエ全体を再浮上させるための魔導制御盤を高速で叩き、**「移動準備:100%完了」**の文字をスクリーンに躍らせていた。
「……そうよ。……リベルタの光は下品すぎる。……あなたの繊細な銀髪には、まだこの山の静かな月光が必要だわ……」
メアリ(フェルメール)がカツミの耳元で囁く。……だが、彼女の腰には既に、街の雑多な光源を完璧にコントロールするための特殊な遮光カーテンと、いつでも外出できる最高級のドレスが準備されていた。
「あぅぅ! 街に戻るなんて反対ですぅぅ! 私だけのカツミさんでいてほしいのに……っ!!」
ヴィン(ゴッホ)が泣きながら叫ぶ。……と言った次の瞬間には、彼は既にアトリエの巨大な正面扉の閂を外していた。
「――でも、カツミさんが行きたいなら、私が先陣を切って道を開けるだけです! 邪魔な騎士団は情熱で焼き尽くしてあげますからぁぁっ!!」
「 にゃはは! おぬしたち、言葉と体がバラバラではないかえ!! 」
カツミが笑いながら、アトリエの床中央にある「発進レバー」を力一杯引いた。
轟音。
山頂に根を張っていたパレットハウスが、レオの構築した「重力制御」によって、雪崩のような速度で斜面を滑り降り始める。
「わっはっは! 愉快、痛快じゃわい!! 待っておれリベルタ、待っておれ読者たちよ!!」
アトリエの窓から身を乗り出し、風に銀髪をなびかせるカツミ。
背後では、レオが「加速によるGがカツミの毛根に与えるダメージが計算外だわ……っ!」と叫びながら必死にクッションを敷き詰め、メアリが「……揺れで影が乱れる……不快だわ……」と呟きながらカツミの腰をしっかり抱き寄せている。
山を下り、森を抜け、アトリエは慣れ親しんだリベルタの「定位置」へと、衝撃と共に着地した。
砂塵が収まった。
扉を開けたカツミの目に飛び込んできたのは、驚愕、そして狂喜に染まった街の表情だった。
「……お、おい、あれを見ろ……! 山に消えた『パレットハウス』が戻ってきたぞ!!」
「漫画だ! カツミ先生の漫画が帰ってきたんだ!!」
パン屋のルーシー、画材屋の店主、そして路地裏の子供たち。
漫画という「魂の娯楽」を奪われていた数週間。リベルタの民衆は、自分たちがどれほどその「粋」に飢えていたかを骨身に染みて理解していた。
地鳴りのような歓声が、山から降りてきたばかりのアトリエを包み込む。
「……ふん。……見てなさい。あんたが不在だった間、リベルタの購買意欲は限界まで溜まっているわ」
パブロ(ピカソ)が、混乱する野次馬を冷徹な目で見下ろしながら、小脇に抱えていた新しい「看板」をアトリエの軒先に叩きつけた。
「カツミ。言われなくても、もう『増刷用』の新しい看板と、単行本化に向けた特設カウンターの発注は済ませてあるわよ。……さあ、ここからが本当の地獄の始まりよ」
「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! パブロよ、用意が良すぎるわい!!」
掲げられた看板には、以前よりも力強く、黄金色に輝く文字でこう記されていた。
『パレットハウス:一巻制作中・予約受付開始』
凱旋した画狂。
街全体が巨大な編集部へと変質していくなか、カツミの筆は、かつてないほどの「熱」を帯びて走り出す。
(つづく)




