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第39話:トリックアート騎士団、あるいは山の神隠し


 静寂に包まれていたはずの隠れ家山頂に、鉄錆の匂いと軍靴の足音が迫っていた。

 シモーヌの「龍に連れ去られた」という報告を虚偽と断じた王都騎士団の精鋭たちが、山を幾重にも包囲したのである。

「……演算終了。騎士団の総数、五百。包囲網の密度から見て、物理的な突破は不可能よ」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が冷徹に状況を告げる。アトリエの周囲には、王家の威光を背負った銀色の鎧がひしめき、隊長の号令が木霊していた。

「――葛飾カツミ! 出てこい! 大公閣下の命に背く者は、この山ごと焼き払う!!」

 その怒声に対し、カツミ(北斎)は「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! 」と一度は震えたものの、すぐに愛筆を握り締め、アトリエの屋根へと駆け上がった。

「にゃはは! 焼き払うだの物騒なことを抜かすでない! ……レオ、メアリ、ヴィン! おぬしたちの技、今こそ惜しみなく吐き出すのじゃ!!」

「カツミ監督……! 指示を頂戴。私の演算を、どう使えばいい?」

「簡単じゃわい! この山全体を、奴らの目が腐るほどの**『粋な騙しトリックアート』**に変えてやるのじゃ!!」

 カツミの指揮タクトが振られた。

 それは、美術史上類を見ない、国家規模の「悪戯」の始まりだった。

「レオ! おぬしは岩肌に『虚偽の道』を描け! 遠近法を狂わせ、奴らが崖に向かって全力疾走するように仕向けるのじゃ!」

「了解。……アナモルフォーズ(歪像画)の理論を展開。……あそこの絶壁、彼らの目には『平坦な花道』にしか見えなくなるわ」

 レオが銀色の指先で空間のパースを書き換える。騎士たちが「道があったぞ!」と叫んで突撃するが、そこはただの垂直な崖。彼らは重力に逆らうこともできず、魔法のクッション(ヴィンの用意した巨大なスポンジ雲)の上へと次々に落下していった。

「メアリ! おぬしは光を歪ませ、アトリエを『ただの空気』に溶け込ませよ! ついでに、あちらの空に『偽の王都』を投影してやるのじゃ!」

「……そうね。……大気屈折を利用した蜃気楼ファタ・モルガーナ。……カツミ。……あなたの視界だけは、私が一番クリアに保ってあげる……」

 メアリが真珠の髪留めを激しく発光させると、騎士たちの目前に豪華絢爛な王都の幻影が現れた。

「王都に戻ったぞ!?」と混乱する兵士たち。だが、彼らが踏み出す先は、ただの深い霧の中だった。

「ヴィン! おぬしは地面に情熱をぶちまけろ! 渦巻くような色彩で、奴らの三半規管をズタズタにするのじゃ!!」

「あぅぅ! 私の魂のうねり、全部使ってくださいぃぃ!! ぐるぐる回って、向日葵の迷宮ラビリンスに沈めてあげますっ!!」

 ヴィンがキャンバスに描いた「星月夜」の渦が、地面を這う影となって騎士たちの足元を侵食する。視界全体がうねり、歪み、極彩色の暴力にさらされた兵士たちは、「目が回る……! 山が、山が笑っている!!」と叫びながら、次々にその場にへたり込んでいった。

 数時間後。

 武装した五百の精鋭は、誰一人としてアトリエの扉に触れることさえできなかった。

 彼らは、自分たちが今「上を向いているのか下を向いているのか」さえ判らなくなり、幽霊に化かされたかのように、フラフラと山を下りていったのである。

「――見たかえ! これぞ、画狂の軍略じゃわい!!」

 カツミが屋根の上で高らかに笑う。

 その背後で、魔力を使い果たしたお姉さんたちが、満足げに(そしていつも通り執着たっぷりに)カツミに群がった。

「お疲れ様、カツミ監督。……敵を一人も傷つけずに無力化するなんて、私の計算を上回る『平和的なエラー』だったわ。……さあ、興奮した脳を冷やすために、私のラボでじっくりと『クールダウン』しましょうね」

「……そう。……騎士たちは去ったけれど、私の光はまだ、あなたを離さない。……カツミ。……山頂の静寂、また二人きりで楽しみましょう……」

「カツミさぁぁぁん!! 最高に格好良かったですぅぅ!! 私の回る色彩に酔ったカツミさん、今すぐ抱きしめさせてくださいぃぃっ!!」

「 ふ、ふみゅうぅ……。 ……戦いは終わったが……わしの受難は……これからなのじゃな……」

 パブロ(ピカソ)が、騎士団が落としていった銀の盾を「高級画材の材料」として回収する手配をしながら、満足げに微笑む。

 王都の権威を「芸術」で完膚なきまでに翻弄した五人。

 潜伏編のクライマックスを経て、カツミの筆は、いよいよリベルタへの「凱旋」へと向けて加速していく。

(つづく)


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