第35話:山頂の超魔導邸宅、あるいは全自動溺愛マシーン
リベルタの喧騒を離れ、王都の追っ手から逃れるために山頂へと移転したパレットハウス。そこは、レオ(ダ・ヴィンチ)の執念と銀色の魔導技術が結実した、外界から遮断された**「究極の揺りかご」**と化していた。
「……演算終了。カツミ、その椅子から動く必要はないわ。私の設計した『全自動・姿勢制御パレットチェアー』が、あなたの重心を常に黄金比の角度で支え、排泄から栄養補給まで完璧にサポートするから」
カツミ(北斎)が筆を動かそうとすると、椅子の背後から銀色のマニピュレーターが伸び、自動で最高級の墨を磨り、筆先を理想的な湿度に整える。
「 ふ、ふみゅうぅ……っ!? レオよ、便利すぎて逆におっかないわい! わし、これではただの『描く人形』ではないかえ!!」
「……そうね。……無駄な動きは、あなたの網膜を疲れさせるだけ。……カツミ。……窓を見る必要もないわ。……私が、あなたの脳内に直接『理想的な風景の残像』を投影してあげる。……瞬きすら、私と同期させればいい……」
メアリ(フェルメール)が、カツミの耳元で真珠の髪留めを囁くように光らせる。アトリエ内の光は、カツミが視線を動かすコンマ数秒前に、最も目に優しい階調へと自動で変化していく。
「あぅぅ! 山の上は寒いですからね! 私がカツミさんの体温を24時間体制で監視して、0.1度でも下がったら私の情熱の抱擁で焼き……温め直してあげますぅぅ!!」
ヴィン(ゴッホ)がカツミの足元で常に待機し、彼女が少しでも身震いしようものなら、向日葵の魔力を込めた毛布でカツミを「繭」のように包み込む。
一日の終わり。カツミは一歩も歩くことなく、指先一つ汚すことなく、十数ページの原稿を上げさせられていた。……いや、**「上げさせられていた」**のである。
「にゃ、にゃはは……。……なんだか、わし、このままだと『粋』という概念を忘れて、ただの高級な肉塊になってしまう気がするぞえ……」
カツミは、レオの膝の上で強制的に「睡眠導入メンテナンス」を受けながら、虚空を見つめた。
この山頂の邸宅には、何でもある。
最高の飯、最高の光、最高の温度。そして、重すぎるほどの三人の愛。
だが、ここには**「不自由」**という名のスパイスが欠けていた。
「レオ……わし、自分で墨を磨りたいのじゃ。ヴィン……わし、少しは寒さに震えて、熱いお茶のありがたみを知りたいのじゃわい……!」
「……却下よ。……不便はエラーの元だわ。カツミ。あなたはただ、純粋な『線』のことだけを考えればいい」
「……そう。……外のノイズは、私たちがすべて消してあげた。……静寂の中で、私の影だけを感じていればいいの……」
「 ふみゅうぅ……っ!! おぬしたち、これでは監獄ではないかえ!!」
夜。カツミは決意した。
この「全自動・溺愛マシーン」から脱出し、山の冷たい空気を吸い、自分の足で不確かな地面を踏みしめる――それこそが、今の自分に必要な「粋」だと。
カツミは、レオが設定した「バイタル検知センサー」を欺くため、自分の代わりに枕に墨で「ダミーのカツミ顔」を描き込み、毛布を膨らませて偽装した。
そして、抜き足差し足で、自動開閉式の扉を「物理的なピッキング(江戸の知恵)」でこじ開け、アトリエの外へと這い出した。
そこにあったのは、刺すような冷気と、切り立った岩場、そしてレオの計算を嘲笑うような、不規則で美しい星空だった。
「……にゃはは。……寒いわい、足元が悪すぎて転びそうじゃわい。……だが、これじゃ。……これこそが、わしの求めておった『生きている』という手応えぞえ!!」
カツミが震える指で、懐から取り出した安物のスケッチブックに月を描き込もうとしたその時。
背後で、パチパチと青い火花が散った。
「――演算終了。カツミ。……隠密行動の成功率、0.003パーセント。……さあ、冷え切ったあなたの身体を、私のラボで徹底的に『解凍(再教育)』してあげるわ」
「 はわわわわ!! バレたわい!! 」
暗闇の中から、青白い光を宿したレオ、メアリ、ヴィンの影が浮かび上がる。
カツミは「 ふみゅうぅ……っ!! 」と悲鳴を上げ、再び「究極の揺りかご」へと強制連行されるのだった。
「……ふぅ。……結局……こうなるのじゃな……」
翌朝。再びレオの全自動チェアーに固定され、パブロ(ピカソ)が運んできた豪華な朝食を口に放り込まれながら、カツミは力なく微笑んだ。
「お疲れ様、カツミ。……家出のペナルティとして、今日から三日間、私の添い寝(24時間監視)を義務付けるわ」
「……私も。……あなたの夢の中にまで、私の光を送り込んであげる……」
「カツミさぁぁぁん!! もう二度と外になんて行かせませんからねっ!!」
パブロが、山頂邸宅の「過剰な防衛維持費」を次号の巻頭広告で賄う算段をしながら、満足げに鼻を鳴らす。
不便を奪われ、愛に閉じ込められた画狂。
だが、この不自由なまでの幸福のなかで、カツミの瞳には「ある計画」の火が灯っていた。
(つづく)




