第33話:潜入の画狂、あるいは変装の粋
山の上へと「物理的」に移転したパレットハウス。王都の使節を撒いたのは良いものの、一つだけ大きな誤算があった。
――山の上には、「粋」な刺激が足りないのだ。
「……う、うぬぬぬぬ。……出ぬ。この三日間、目に入るのは木と岩と、レオの小難しい顔ばかりじゃわい。……わし、刺激不足で筆が枯れてしまうぞえ……!」
「あら、演算によれば、この森の静寂は創作に最適なはずよ。カツミ、ほら、外を見るのはやめて私の計算した完璧なクロッキーモデル(私自身)だけを見なさい」
レオ(ダ・ヴィンチ)が優雅なポーズを決めるが、カツミ(北斎)の飢えは収まらない。
「にゃはは! 決めたわい! 今日は変装して街へ忍び込み、リベルタの空気を吸ってくるわい!!」
アトリエに「非常警戒警報」が鳴り響いた。カツミの単独行動など、お姉さんたちにとっては天変地異に等しい。
「……潜入ね。……ええ、それなら私が最高の『影』を貸してあげる。……カツミ。……誰もあなただと気づかない、でも私の瞳にだけは最高に美しく映る変装を施してあげるわ」
メアリ(フェルメール)が真珠の髪留めを青白く光らせる。カツミの銀髪を黒いフードで覆い、光の屈折でその容姿を「どこにでもいる市場の少年」へと書き換えた。
「あぅぅ! 潜入なら私もついていきます! カツミさんの背後霊になって、何かあったら情熱の火柱で守りますから!!」
「ヴィン! それでは潜入にならぬと言っておろうが!!」
結局、パブロ(ピカソ)の「たまには市場の動向を見てきなさい」という許可のもと、カツミは一人(を装ったお姉さんたちの超遠隔監視つき)でリベルタの街へと降り立った。
久々のリベルタ。変装したカツミの目に飛び込んできたのは、自分たちがアトリエごと消えた後の、街の「混乱」と「熱狂」だった。
「おい、聞いたか? パレットハウスの先生たちは、王都の使いを魔法で吹き飛ばして山へ消えたらしいぞ!」
「いや、実は空飛ぶ龍に乗って異世界へ原稿を届けに行ったっていう噂だぜ!」
市場の酒場で、自分の噂を肴に盛り上がる民衆。ルーシーのパン屋では、「カツミ先生の無事祈願」として、新しい模様のパンが焼かれていた。
「……にゃはは。……わしがいない間も、街はわしの漫画で動いておるわい。……これじゃ、これこそがわしの求めていた『生の熱』じゃ!!」
カツミは物陰に隠れ、猛烈な勢いで筆を走らせた。
自分を伝説扱いする民衆の滑稽な表情、主を失ってなお輝き続けるパン屋の活気。それらすべてを「粋」なギャグとしてスケッチブックに吸い込んでいく。
だが、その時。カツミの背後に、音もなく長身の影が立った。
「――見つけたわ。……変装しても、その筆の『走り』までは隠せないようね。カツミ」
王都から派遣された「天才・鍵開け師(芸術家)」にして、パブロの旧友、シモーヌ。
彼女はカツミのスケッチを覗き込み、艶然と微笑んだ。
「……残念だけど、アトリエの場所はもう特定させてもらったわ。……さあ、山の上まで『招待状』の続きを届けに行きましょうか」
「 はわわわわ!! バレたわい!! 逃げろ、逃げろーー!!」
カツミは「 ふみゅうぅ……っ!! 」と叫びながら、レオが用意していた脱出用魔導ポータルへ飛び込んだ。
アトリエに戻るなり、彼女はレオの膝に転がり込み、ガタガタと震えた。
「レオ、パブロ! 敵じゃ! 芸術の匂いがする、凄まじく鼻の利く女が来るぞえ!!」
「……演算通りね。……囮を放てば、獲物は必ず食いつく。……シモーヌ。……私の構築した要塞を攻略できるか、試してあげようじゃない」
レオが不敵に眼鏡を光らせる。
「……そうね。……光を奪う鍵開け師。……私の影を突破できるかしら。……カツミ。……怖くないわ。……私たちが、あなたを世界の果てまで隠し通してあげる……」
「カツミさぁぁぁん!! 誰にも渡しませんよぉぉっ!!」
お姉さんたちの「防衛欲(溺愛)」が、王都の刺客というスパイスによって臨界点を超えた。
山の上、静寂の要塞。
カツミの「潜入」が呼び寄せた新しい嵐が、パレットハウスの扉を叩こうとしていた。
(つづく)




