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第3話:パンの温もり、画狂の矜持

自由都市リベルタの朝は、喧騒と共に幕を開ける。

 ボロアトリエの一階。カツミ(北斎)の胃袋は、かつてないほどの危機的状況――すなわち「空腹」という名の絶望に直面していた。

「……ぐぅぅ。……レオよ、めしはまだかえ。わしの腹の虫が、さっきからベヒーモスのような声で鳴いておるぞ」

 カツミが床に転がり、力なくジタバタと足を動かす。

 だが、調理場(のような場所)では、レオ(ダ・ヴィンチ)が何やら怪しげな魔導具を組み立て、熱心に数式を呟いていた。

「待ってなさい、カツミ。今、あなたの咀嚼効率と栄養吸収率を最大化する『黄金比粥調理器』を設計しているところよ。誤差〇・〇一ミリの精度で、最高の食感を実現してあげるから」

「そんなものは良いから、早く米を……っ! メアリ、おぬしは何か持っておらぬか!」

 窓際で筆を動かしていたメアリ(フェルメール)が、静かに振り返る。その瞳には、カツミを慈しむような、けれどどこかズレた熱が宿っていた。

「……カツミ。……今の朝陽に照らされたあなたの空腹そうな横顔、実に『粋』な陰影だわ。……そのまま動かないで。この光をキャンバスに閉じ込めるのが、先よ」

「描いておらぬで、何か食わせておくれ!!」

 カツミが絶叫したその時、背後から「ドサッ」という重々しい音が響いた。ヴィン(ゴッホ)が、山のようなひまわりの花を抱えて飛び込んできたのだ。

「カツミさん! 太陽を食べて元気を出してください! このひまわりの花びらをお粥に散らせば、魂が燃え上がりますよっ!」

「わしは鳥ではないわい!!」

 お姉さんたちの「過剰すぎる」愛に揉みくちゃにされ、カツミはついに限界を迎えた。彼女はレオの脇をすり抜け、ポニーテールを振り乱して表へと飛び出した。

「にゃはは! 野郎ども、わしは一足先に江戸の味(リベルタの屋台飯)を探しに行ってくるぞえ!!」

 リベルタの市場は、色彩と匂いの洪水だった。

 だが、カツミの懐は、パブロ(ピカソ)に管理された「予算ゼロ」の現実によって、羽よりも軽かった。

「……ふみゅう。……どこを見ても、金、金、金じゃ。この街の連中は、絵の面白さより銀貨の重さを信じておるようじゃのう」

 美味そうな肉の焼ける匂いに鼻を震わせながら歩いていると、路地裏のパン屋の店先で、一人の少女が座り込んでいるのが目に入った。

 短い茶髪に、すすで汚れたエプロン。その姿が、カツミの古い記憶――かつてスラムで出会い、自分に希望をくれた「エマ」という少女の面影と重なった。

「……ぬ? 小娘、そんなところで何を落ち込んでおる。腹でも壊したかえ?」

 少女が顔を上げた。その瞳は空腹と疲れで潤んでいたが、カツミの姿を見ると、驚いたように瞬きをした。

「……わぁ、綺麗な銀髪。……あ、ごめんなさい。……お腹が空いてるんじゃなくて、おじいちゃんのパンが、全然売れなくて」

 少女の名はルーシー。この街で細々とパン屋を営む祖父の手伝いをしているが、派手な看板や広告に押され、客足が絶えてしまったのだという。

「……これ、売り物にならない端っこ。……良かったら、食べて?」

 差し出されたのは、少し硬くなったパンの耳。

 カツミはそれをひょいと口に放り込んだ。噛みしめるほどに、小麦の素朴な香りと、丁寧な仕事の味が広がる。

「……美味い。……実に『粋』な味じゃ。……小娘、おぬしのところのパンには、魂が宿っておるわい」

「……ありがとう。……でも、どんなに美味しくても、知ってもらわなきゃ、食べてすらもらえないの。……おじいちゃん、もうお店を畳もうかって……」

 ルーシーは、力なく笑った。その横顔に、カツミの胸の奥で、かつての江戸の画狂としての、そして世界を救った最強の絵師としての矜持が、カチリと音を立てて噛み合った。

(……救うべきは世界ではない。……わしの目の前にある、この一さじの温もりじゃ)

「……よし、決めたぞえ! パブロ! 野郎ども!!」

 カツミが虚空に向かって叫ぶと、路地裏の影から、レオ、メアリ、ヴィンの三人が「 カツミさん見つけたぁぁ!! 」と猛烈な勢いで飛び出してきた。さらに、その後ろから呆れた顔のパブロが歩み寄る。

「……見つけたわ。カツミ、勝手にいなくなるなんて、私の計算外の……」

「パブロよ! 四の五の言う前に、筆と紙を用意せい!!」

 カツミの気迫に、パブロが不敵に口角を上げた。

「……へぇ。ようやく、やる気になったみたいね」

「当たり前じゃ! この街の連中の節穴に、真に粋なもんを叩き込んでやるのじゃ!!」

 カツミはルーシーの手をギュッと握りしめ、紅い瞳を爛々と輝かせた。

「小娘! おぬしのパンを、世界で一番読まれる『物語マンガ』にしてやるわい! これこそが、わしたちパレットハウスのリベルタ第一作じゃ!!」

 お姉さんたちの過剰な愛情が、今度は「広報活動」という名の戦略に転換される。

 銀髪の少女の、新天地での本格的な戦いが、一枚のチラシ漫画から始まろうとしていた。

(つづく)


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