第28話:画狂の遠足、あるいは蒼い衝撃(グレート・ウェーブ)
「週刊パレット」の怒涛の快進撃、そしてパン屋の救済劇を経て、パレットハウスの面々に訪れたのは、記録的な「中だるみ」……ではなく、さらなる表現への飢えだった。
「パブロよ。わし、この四角いアトリエに閉じこもっておるのには飽きたぞえ。リベルタの街は粋じゃが、わしの魂はもっと大きな『うねり』を求めておるのじゃ!」
カツミ(北斎)が窓枠に飛び乗り、遠くリベルタの西に広がる水平線を指差した。
「……にゃはは! 決めたわい! 今日は原稿を放り出して、海へ行くぞえ! **『ロケハン(写生旅行)』**じゃ!!」
アトリエに再び激震が走った。
カツミが自ら「外の世界」への渇望を口にしたことで、お姉さんたちの「野外保護回路」が火を吹いたのである。
「……演算終了。海辺の紫外線量は市街地の三倍、潮風による皮膚へのダメージは甚大だわ。カツミ。私が設計した『全天候型・対環境防御パラソル(魔導式)』を展開し、一分おきに私の特製サンブロックを全身に塗布させなさい」
「レオよ、重いわい! その傘、鉄の塊ではないか! 砂浜を歩けぬわ!!」
「……そうね。……水面の照り返しは、カツミの純粋な視覚を灼いてしまう。……私が、海の色をすべて『目に優しい真珠色』に屈折させてあげましょう。……カツミ。……私の影(日傘)から絶対に出ないで」
「メアリ! 海が真珠色になったら写生にならぬわい!!」
「あぅぅ! 海! 情熱の塊! カツミさんが波にさらわれないように、私が浮き輪代わりになって片時も離さず抱きしめて泳ぎますぅぅ!!」
「ヴィン! おぬしは泳げるのかえ!? 暑苦しい、砂浜で相撲を取るつもりはないわぁぁ!!」
現地に到着する前から、カツミは三人の姉たちに揉みくちゃにされ、「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! 」と砂浜に打ち上げられた小魚のように悶絶していた。
だが、実際に海を目の前にした瞬間、カツミの空気が一変した。
お姉さんたちが「日焼けが」「迷子が」と騒ぐのを片手で制し、彼女は波打ち際に一人、すっくと立った。
「……これじゃ。……これこそが、わしが求めておった『粋』の根源じゃ」
カツミは、レオたちが用意した高価な絵具を無視し、落ちていた流木を手に取った。
彼女は、レオの計算されたパースを無視し、メアリの完璧なライティングを破壊し、ヴィンの直情的な色彩さえも超えて――ただの「線」を、砂浜に叩きつけた。
描いたのは、ただの波ではない。
今にも空を喰らい、星を掴み取らんとする、巨大な指先のような**「怒涛の波」**。
「――にゃはは! 見たかえ、おぬしたち! 海とは、ただの水の塊ではない。……これは、世界が吐き出す巨大な『呼吸』なのじゃ!!」
その圧倒的な一線。
お姉さんたちは、自分たちの「保護」がいかに小さなものだったかを思い知らされ、同時にカツミの放つ「画狂」の輝きに、再び魂を撃ち抜かれた。
「……負けたわ。……演算を超えた、生命の躍動。……カツミ、あなたはやっぱり、私の理解を超えるマエストロね」
「……あぁ。……あの波の先にある『光』。……私、初めて自分以外の光に、目が眩んでしまったわ……」
夕暮れ。
砂浜に巨大な傑作(落書き)を残し、精根尽き果てたカツミは、帰りの馬車の中でレオの膝に沈んでいた。
「……にゃはは。……見たかえ。……海も、わしの……筆には……勝てぬ……」
「ええ、最高だったわ。……でもカツミ。潮風であなたの銀髪が少しキシついているわね。……アトリエに戻ったら、私の体温でじっくりと『保湿』してあげる」
「……私も。……あなたの瞳に焼きついた残像を、私の影で優しく上書きしてあげるわ……」
「カツミさぁぁぁん!! 砂浜で描くカツミさん、世界で一番格好良かったですぅぅ!! 抱きしめさせてくださいぃぃっ!!」
「 ふ、ふみゅうぅ……。 ……結局……最後は……こうなる……のじゃな……」
パブロ(ピカソ)が、カツミが砂浜に描いた波のスケッチを、次号の『週刊パレット』の目玉にするため、誰よりも先に完璧な構図で記録しながら、満足げに微笑む。
自然の驚異さえも「ネタ」として食らい、成長し続ける画狂。
お姉さんたちの愛はさらに深まり、その執着は「要塞」から「海」へと広がっていく。
(つづく)




