第22話:パレットハウス要塞化計画、あるいは愛の袋小路
伝説の批評家が「笑った」という噂は、リベルタの街を野火のように駆け巡った。
翌朝、パレットハウスの周囲は、かつての「芸術検閲塔」の執行官たちよりも恐ろしい軍勢――すなわち、最新号を求めて殺到する「熱狂的な読者」によって埋め尽くされていた。
「カツミさーん! 握手してくれー!」
「パン職人のモデルは俺だろ!? サインを頼む!」
窓の外から響く地鳴りのような歓声に、カツミ(北斎)は餡餅を喉に詰まらせかけた。
「 ふ、ふみゅうぅ……っ!? ななな、なうんじゃこの騒ぎは! 門前に龍でも現れたのかえ!?」
「……演算終了。群衆の密度、毎平方メートルあたり四・五人。このままではアトリエの構造的強度が保たないわ。それに……」
レオ(ダ・ヴィンチ)が、銀色の指先で複雑な魔導回路を空中に描く。その瞳は、冷徹なまでの「防衛本能」で塗り潰されていた。
「不衛生な外気が、私のマエストロの肺を汚すのは許容できない。カツミ。あなたは今日から、私が設計した『完全隔離執筆ポッド』の中で過ごしなさい」
「レオよ、何を物騒なものを造っておるのじゃ! 部屋の中にまた部屋を造ってどうする!」
「……そうね。……光が多すぎるわ。……外の連中の視線という名の『不純な光』が、カツミの純粋な線を濁らせている」
メアリ(フェルメール)が真珠の髪留めを激しく発光させる。瞬時にアトリエの窓が光の屈折で「漆黒」に塗り潰され、外部からはパレットハウス自体が存在しないかのような幻影に包まれた。
「あぅ……カツミさんに指一本触れさせません! 私が玄関先で、向日葵の炎を振り回して追い払ってきますぅぅ!!」
「ヴィン、それはただの暴漢じゃ! 読者は敵ではないと言っておろうが!!」
ヴィン(ゴッホ)がキャンバスを盾にして扉を封鎖し、レオがカツミを「防護」という名の抱擁でソファに固定する。お姉さんたちの過剰な保護欲が、アトリエを難攻不落の要塞へと変えていく。
「……ちょっと、あんたたち。やりすぎよ」
パレットナイフで壁を叩き、パブロ(ピカソ)が呆れたように現れた。
「……パブロよ! 助けてくれ、このままではわし、外の空気が吸えずに干物になってしまうわい!!」
「いいえ。私もこの『要塞化』には賛成よ。カツミ、あんたはリベルタの至宝になった。安売りはさせないわ。……でもね、レオ。あんたが造ったそのポッド、空気循環の計算が甘いわ。もっと黄金比を意識しなさい」
「 はわわわわ!! そっちの加勢かえ!!」
カツミは「 ふみゅうぅ……っ!! 」と悶絶しながら、お姉さんたちの腕をすり抜け、唯一残された小さな隙間から外を覗き見た。
そこには、検閲に怯えることもなく、ただ純粋に「次の物語」を心待ちにしている市民たちの顔があった。
「……にゃはは。……レオ、メアリ、ヴィン。……おぬしたちの愛は重いが、わしの筆を止める重りにしてはならぬぞえ」
カツミは再び筆を握り、真っ黒に塗り潰された窓を指差した。
「パブロ! 窓を開けい! ……そして、この『騒がしい読者ども』を、そのまま次の新キャラのモデルにしてやるわい!! 押し寄せる群衆を、パン屋のバーゲンセールに並ぶ主婦たちに変えてやるのじゃ!!」
カツミの紅い瞳に、遊び心が爆発する。
お姉さんたちから受けた「過剰な圧迫」を、そのまま漫画の中の「モブキャラの熱気」へと変換する。
「……なるほど。ノイズをエネルギーに変えるのね。流石は私のマエストロだわ」
「……いいわ。……窓を開ける。……ただし、私の光のカーテン越しに、一瞬だけよ」
窓が開き、再び歓声が流れ込む。カツミは「 にゃはは! 」と笑いながら、熱狂する群衆を猛烈な勢いでスケッチし始めた。
数時間後。修羅場を終えたカツミは、抜け殻のようになってレオの膝の上で転がっていた。
「……終わった……。要塞の中で……描く漫画も……乙なものじゃ……」
「お疲れ様、カツミ。……さあ、興奮して高ぶったあなたの神経を、私の体温で完璧に鎮静してあげるわ」
「……汚れた目は、私が洗ってあげる。……光の届かない場所で、二人きりで……」
「カツミさぁぁぁん!! 今日も最高に格好良かったですぅぅ!!」
「 ふ、ふみゅうぅ……。 ……結局……最後は……こうなるのじゃな……」
パブロが、要塞の維持費を「限定版小冊子」の売り上げで賄う計算をしながら、満足げに微笑む。
熱狂的なファンと、それ以上に熱狂的なお姉さんたち。
カツミの連載は、愛という名の包囲網を突破しながら、さらに混沌とした「粋」へと突き進んでいく。
(つづく)




