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第21話:神の捏ね、あるいは「粋」のゲシュタルト崩壊


 伝説の読者――元・王宮筆頭魔導師の老人に叩きつけられた、「真の職人の捏ね(ポーズ)」という難題。

 カツミ(北斎)はそれ以来、写生帖を手にパン屋の厨房に籠もり、文字通り指の皮が剥けるまで「捏ね」の動作をスケッチし続けていた。

「……うぬぬ。……左か。……いや、右の肘をあと三寸、下げるべきか……」

 アトリエに戻ったカツミの絵は、凄まじいことになっていた。

 一線一線が、まるで解剖学の図譜のように正確。パン生地の粘り、職人の筋肉の収縮……それはもはや「漫画」を通り越し、紙の上に「現実」を召喚せんとする、執念の写実であった。

「……待ちなさい、カツミ。演算によれば、この絵の『情報密度』が高すぎて、読者の網膜が処理しきれないわ。これはもはや娯楽ではなく、医学書よ」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が、眼鏡を光らせて原稿を覗き込む。

「 ふんす! だが、あの老いぼれを納得させるには、これほどの『正解』を描かねばならぬのじゃ!」

「……ダメよ。……カツミ。……今のあなたの絵には、『遊びの光』が一切ない。……ただの重苦しい石像を描いているみたいだわ」

 メアリ(フェルメール)がカツミの筆を止め、その震える指先を自分の温かい掌で包み込む。

「あぅ……カツミさん! 難しいことはいいんです! 美味しそうなら、それでいいんです! 私の太陽のハグで、そのカチコチな絵を溶かしてあげます!」

 ヴィン(ゴッホ)がカツミを包み込むが、カツミの脳は「正解」を求めるあまり、ゲシュタルト崩壊を起こしかけていた。

「 ふ、ふみゅうぅ……。 わからぬ。……何が粋で、何が正解なのか、わからなくなってしまったぞえ……」

「……そこまでね。カツミ、その筆を置きなさい」

 パブロ(ピカソ)が、カツミの描いた「超リアルなパン職人」の原稿を、無造作に破り捨てた。

「 はわわわわ!! パ、パブロよ! 何をする、わしの血と汗の結晶が!!」

「……あんた、北斎でしょう? ……あのおっつけ(老人)が求めているのは、写真のような正確さじゃないわ。……パンの香りが紙から溢れ出し、あの子が思わずヨダレを垂らすような『デフォルメ』よ」

 パブロは、カツミの顔を両手で挟み、自分の瞳を覗き込ませた。

「……いい? あんたの『粋』は、正解リアルの先にある『誇張』だったはずよ。……レオの計算も、メアリの光も、ヴィンの熱も、全部使いなさい。でも、最後は全部壊して、あんただけの『デタラメな最高の一線』を引きなさい」

 カツミの瞳に、江戸の青い稲妻が走った。

「……にゃはは! そうじゃ。……わしとしたことが、老いぼれの理屈に毒されておったわい! ……レオ! 指を貸せ! メアリ! 光を貸せ! ヴィン! 魂をよこせ!!」

 カツミはお姉さんたちの「過剰なバフ」を全身で受け止め、それを一度自分の中で粉々に粉砕した。

 描いたのは、もはや解剖学的にはあり得ないほど大きく、力強くしなる、パン職人の「黄金の腕」。

 だがその一線は、どのリアルな絵よりも「パンを捏ねる力強さ」に満ちていた。

「――上がったのじゃぁぁ!! これぞパレットハウスの、神をも恐れぬ『粋』じゃわい!!」

 最後の一線を書き込み、カツミは「 ふみゅうぅ……。 」と満足げにレオの膝へと沈んでいった。

 

 翌日、その原稿を見た老人が、リベルタの街角で「……ふっ、一本取られたな」と初めて愉快そうに笑うのは、もう少しだけ先のお話。

(つづく)


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