第16話:白紙の恐怖、あるいは巨匠の迷走
自由都市リベルタを揺るがした「芸術検閲塔」との衝突は、意外な形で幕を閉じた。
カツミ(北斎)が放った「不敬な一線」は、市民たちの心に眠っていた熱狂を呼び覚まし、強引な弾圧を続ける検閲塔に対してリベルタ全体が「NO」を突きつけたのだ。世論の反発を恐れた権威たちは、「表現の再検討」という名目で一時撤退を余儀なくされ、パレットハウスには束の間の静寂が戻っていた。
……だが、平和は別の「魔物」を呼び寄せた。
「……う、うぬぬぬぬ。……出ぬ。一線も出ぬわい……っ!」
アトリエの二階。カツミは銀髪のポニーテールを振り乱し、白紙の原稿を前に悶絶していた。
検閲塔という「明確な敵」がいた時は、反骨心だけで筆が走った。だが、いざ自由の身になって「さあ、続きを面白く描け」と言われると、かつて江戸の空を、波を、あらゆる森羅万象を写し取ってきた画狂が、**「ネタ切れ」**という名の絶望に行く手を阻まれていた。
「……ふみゅうぅ。……パブロよ。……わし、今日はお腹が痛いゆえ、休載にしても良いかえ……?」
「却下よ。あんたのお腹が痛いのは、さっき食べた餡餅が喉に詰まったせいでしょう」
パブロ(ピカソ)が、冷徹に時計の針を指差す。
「いい、カツミ。読者の期待は今や最高潮よ。……一時間以内に一コマ目を上げなさい。さもないと、今夜のご飯は抜きよ」
「 はわわわわ!! ご飯抜きは死罪に等しいわい!!」
絶叫するカツミの背後から、待ってましたと言わんばかりに三人の影が忍び寄る。
「……カツミ。演算によれば、あなたのプロット構築機能はオーバーヒート中よ。私の論理的な構図案を脳に直接流し込んで、強制的に初期化してあげるわ」
レオ(ダ・ヴィンチ)が、銀色の指先でカツミの太陽穴を優しく揉みほぐす。
「レオよ、やめい! おぬしの構図は理屈っぽすぎて、わしの筆が堅くなるわい!」
「……静かにして。……今のあなたの『迷い』が、紙にノイズを落としているわ。……私の光で、あなたの視界を一度リセットしてあげる」
メアリ(フェルメール)が背後からカツミの目を覆い、暗闇の中に真珠の光を浮かび上がらせる。
「ひゃうんっ! メアリ、顔が近い、光が眩しいわい!!」
「あぅぅ! カツミさぁぁん! 悩んでいるなら、私の心臓の音を聴いてください! 情熱があれば、物語なんて勝手に溢れ出してきますよぉぉ!!」
ヴィン(ゴッホ)が背後から全力で抱きつき、その熱量をカツミに注入する。
「 ふ、ふみゅうぅ……っ!! おぬしたち、三人がかりで寄ってたかって……脳が、脳がとろけてしまうわぁ!!」
溺愛の嵐に揉みくちゃにされ、カツミの思考は完全に「真っ白」になった。……が、その瞬間。
窓の外から、市場の子供たちが叫ぶ声が聞こえてきた。
『待てよー! お前、さっきのパン屋さんの漫画のポーズ、間違ってるぞ! 巨龍を斬る時は、こうやって……!』
子供たちの、不器用で、全力の「ごっこ遊び」。
それを見た瞬間、カツミの紅い瞳に、パッと火が灯った。
「……にゃはは! そうかえ。……格好良いものを作ろうとして、あやつらの『遊び』を忘れておったわい!」
カツミはお姉さんたちの腕を「 ふみゅうぅ……っ! 」と力一杯すり抜けると、再び机に飛びついた。
お姉さんたちから強引に吸い取った「エネルギー(溺愛)」が、カツミの職人魂を爆発させる燃料となる。
「パブロ! 用意せい! 次の回は……『パンを焼くふりをして、実は筋トレに励む店主』の爆笑回じゃわい!!」
「……フン。ようやくいつもの馬鹿げた顔に戻ったわね」
パレットハウスの騒がしい夜は、インクの香りと幸せな「ふみゅうぅ」を乗せて、再び加速し始めた。
(つづく)




