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第17話:黄金比の檻、あるいは歪みの粋


 深夜二時。パレットハウスのアトリエに、火花が散るような激論が響き渡った。

 発端は、カツミ(北斎)が描き上げた「戦うパン職人」の見開きページだった。

「――待ちなさい、カツミ。このコマのパース、演算上ありえないわ。キャラの腕が不自然に伸びすぎているし、背景の消失点が三つもズレている。私の黄金比ゴールデン・レシオから見れば、これは単なる『バグ』よ」

 レオ(ダ・ヴィンチ)が銀色の指先で原稿を指し、冷徹に断じる。カツミは筆を咥えたまま、紅い瞳を吊り上げた。

「 ふんす! レオよ、おぬしは分かっておらぬ! この『歪み』こそが、パンを力一杯捏ねる職人の気迫エネルギーを表現しておるのじゃ! 理屈で絵が描けるかえ!!」

「いいえ、美とは宇宙の法則に従うものよ。……カツミ、今のあなたは極限状態ゆえに知性が曇っているわ。脳のリセットが必要ね」

「 ふ、ふみゅうぅ……っ!? 何をする、レオ!!」

 レオは強引にカツミを抱き上げると、そのまま作業椅子からソファへと連行した。

「……そうね。レオの言う通りだわ。……カツミ。今のあなたの線、光が乱反射しすぎていて落ち着かない。……私があなたの視覚野を一度『完全な静寂』に戻してあげる」

 メアリ(フェルメール)が影から現れ、真珠の髪留めを至近距離で明滅させる。カツミの視界が、レオの膝の上で強制的に「癒しの青」に染め上げられた。

「ひゃうんっ! メアリまで加勢するなと言っておるのに……っ、脳が、脳が溶ける心地よさじゃ……」

「あぅぅ! カツミさんの魂が迷走しています! 私がその歪んだエネルギーを、丸ごとハグで包み込んで真っ直ぐに直してあげます!!」

 ヴィン(ゴッホ)が背後からカツミとレオごと抱きしめ、熱烈な体温を注入する。

「 はわわわわ!! 三人がかりで寄ってたかって、わしの『粋』を強制排熱するでないわい!! 離せ、わしはこの歪んだ線が描きたいのじゃぁぁ!!」

「……ちょっと、あんたたち。夜中に騒がしいわよ」

 パレットナイフを耳にかき、パブロ(ピカソ)があくびをしながら現れた。彼女はレオが「修正」しようとしている原稿を、多角的な視点でひょいと覗き込む。

「……レオ。あんたの言うことは論理的だけど、退屈だわ。……カツミのこの『歪み』、面白いじゃない。視点をずらして見れば、まるで時間が止まっているように見える。……これがこの漫画の『新しさ(アバンギャルド)』よ」

 パブロの意外な擁護に、レオが眼鏡を光らせた。

「……パブロ、あなたまで計算外のことを言うの? 歪みは美の崩壊よ」

「崩壊こそが新しい美の始まりよ。……いい、カツミ。レオに何を言われても、この『腕の長さ』は死守しなさい。その代わり、背景の消失点だけはレオの言う通りに直しなさい。そうすれば、キャラの異常さがより際立つわ(コントラスト)」

 カツミの瞳に、再びパッと光が宿った。

「……にゃはは! さすがはパブロじゃ! おぬし、たまには良いことを言うのう! レオ、メアリ、ヴィン! 退け退けい! わしの中に、新しい『粋』の設計図が降りてきたわい!!」

 カツミはお姉さんたちの腕を「 ふみゅうぅ……っ! 」と力一杯すり抜けると、再び机に飛びついた。

 レオの論理、メアリの静寂、ヴィンの熱情。それらをお姉さんたちから強引に「燃料」として吸い取ったカツミの筆が、猛烈な速度で白紙を切り裂いていく。

「――上がったのじゃぁぁ!! レオのパースに乗った、わしの『歪んだパン職人』じゃ!!」

 完成した原稿には、不気味なほど正確な背景の中で、物理法則を無視して躍動する「粋」なキャラが息づいていた。

「……負けたわ。……演算上はエラーだけど、心拍数が上がるのを止められない。……流石は私のマエストロね、カツミ」

 レオが悔しそうに、けれど満足げに微笑む。

 カツミは「 にゃはは! 」と笑いながらも、そのまま机に突っ伏して眠りに落ちた。

「お疲れ様。……入稿あがりね。さあ、カツミ。……今度は本当に、黄金比に基づいた完璧な添い寝の時間よ」

 銀髪を撫でられ、抱きしめられ、お姉さんたちの愛の檻に沈んでいくカツミ。

 パレットハウスの夜は、衝突と溺愛を繰り返しながら、世界で一番「粋」な物語を紡ぎ続けていく。

(つづく)


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