爆破口
夜の海は、黒かった。
宿の廊下を出た時、霧島はもう先に階段を駆け下りていた。眠気はどこかへ飛んだらしい。真凛が後ろから走ってくる。靴を履きながら、スマホに目を落とした。日付が変わって、たぶん十五分。
霧島が車を出す。
「常駐の巡査さんから一報が入って、駐在さんが先に向かっています。稲取署も出ました」
寝起きとは思えない声の落ち着きだった。
「場所は」
「鳴り峠側です。三浦さんからも電話で、規制ラインの内側で煙が上がってる、と」
「誰か、入ったな」
「たぶん」
車が、夜の細い坂を上がっていく。窓の外、海の側はただ黒くて、岬の輪郭だけが少し明るい。たまにすれ違う民家の灯りが、ガラスに流れて消えた。
*
鳴り峠の手前で、ハンドルが小さく取られた。
車体が震えている。アスファルトでも、サスでもない。地面の奥底からくるような、低い震え。
規制ラインの直前で、赤色灯が見えた。
黄色いテープは片側が千切れ、植え込みの奥に黒い穴が口を開けていた。塞いでいた岩と古いコンクリートが内側へ崩れ、破片が遊歩道の縁まで飛んでいる。火薬と、焦げた鉄の匂い。
車を降りると、若い男の声が聞こえてくる。爆破口から少し離れた地面で、稲取署員に押さえつけられていた。腕を背中で固められ頬が砂に押しつけられている。小柄だが肩はがっしりしている。黒いパーカーのフード。
「黙れ。立て」
署員が短く言って、男を引き起こした。男は何かを早口で喋っていた。なんだかよくわからない。
その近くには、頭から血を流して座っている年配の巡査。常駐の人だろう。手に布を当て、もう一方の手で爆破口の方を指す。
「止めようとしたんですが、後ろから押さえられて……その間に、こちらで」
霧島が一礼して、駆けつけた救急隊員に巡査を譲った。
男は警察車両へ押し込まれていき、窓が閉まると声は聞こえなくなった。
一体何が起こっている?
その足元に割れたスマホが落ちている。配信アプリの画面。表示名にはGAKUTO。タイトルには、利権暴露配信の文字。
真凛が、自分のスマホを取り出した。検索の指の動きが速い。
「ヒットしました」
真凛がスマホの画面を見せてきた。
「迷惑配信者みたいです。配信内容を見る限り、各地のダンジョンに不法侵入して配信しているようですね」
真凛の眉間に、薄く皺が寄った。スクロールしていく指先が、止まって、苦虫を噛みつぶしたような表情。
画面の端を、こちらからも覗いた。
『警察早すぎ』
『封印利権こわ』
『証拠隠し始まった』
『顔映せよ、逃げんな』
『税金で利権を守る連中は地獄に落ちろ』
なんだか感じの悪そうな奴ら。
この事態は別の配信者が引き起こしているのか。
その時、爆破口の奥から、音が聞こえた。
ぼこ、ぼこ。
空気が抜けるような、低い音。続けて、岩を内側から粘ったもので擦るような音が、長く尾を引いて流れてくる。湿った圧が、爆破口の縁から染み出していた。
規制テープの杭が震え、爆破口の縁から黒い砂がぱらぱらと落ちた。穴から押し出される空気が、焦げた匂いを一段湿らせている。
霧島が、巡査と署員の方を見た。
「この音、いつから鳴っていますか?」
「爆破のあとからです。最初は小さかったんですが、だんだん大きくなっています」
「篠塚さん。放っておくと、崩落だけで済まないかもしれません!中で何か動いているなら、被害が規制線の外まで届く前に、今確認する方がいいです」
「行けってことか」
「はい。今、入れるのは篠塚さんだけです」
剣の柄に手を置き直した。
真凛が、こちらを見た。
「配信準備、できました」
「分かった」
ヘルメットカメラに繋いだ。指で画面を二度叩く。こういう時に言うことではないと分かっていたが、口の方が先に出た。
「えーっと、今、緊急で動画を回しているんだが」
画面の端に、コメントが流れ始めた。
『おっさんの緊急動画きた』
『黒背景サムネ用意しろ』
『重大発表の入りで草』
『謝罪会見始まった?』
『ガクトのとこから来た』
『警察映せ』
『なんか変やつまじってんな』
『ガクト返せ』
ん?なんかコメントの雰囲気が一部違うな。
「ガクトの配信から視聴者が流れてきているみたいです」
なるほど。凝ったやつらだ。
爆破口へ、足を入れる。
*
進むと、足元に風防の欠片が散らばっていた。透明だったはずのものが、長い年月で薄く濁り、縁が乳白色に波打っている。
ぼこ、ぼこ。
奥から、低い音が押し上がってくる。空気が抜けるような、湿った圧が足の裏にまで届いた。
通路をもう一度下って、空洞に出た。
*
空洞の中央に、半透明の塊。巨大なスライムだ。
床から天井近くまで届くくらい、直径十数メートルくらいだろうか。表面は、鼓動のような周期で、薄く明るくなったり、戻ったりしている。
その中に、零戦が一機、丸ごと入っていた。機首が斜めに上を向き、折れた三枚プロペラが、止まったまま浮いている。
風防の中に、ハーネスで吊られた人骨が一体。シートに沈むようにして眠っている。機体の周りに、もう二つ、三つ、骨がゆっくり漂っている。
中央──ちょうど操縦席の真下あたりに、握り拳大の塊が、もう一つあった。半透明の薄い殻に包まれ、中で何かが脈打っている。あれがスライムのコアだろう。
『でか』
『中、零戦じゃね?』
『14:37 骨みえてた』
『真ん中のはコアか』
『これスライムだろ』
『でかすぎ』
剣を抜く。
体表へ斜めに刃を入れる。柔らかい膜が、剣の重みで容易に裂けていく。半透明の縁が、さっと黒く垂れ下がった。
が、数秒で、裂け目が戻った。
粘性体の張力が、ゆっくりと、しかし確実に、傷口を内側へ引き戻していく。
もう一振り。
戻る。
もう二振り、続けて入れる。
戻る。
スライムの異常な回復力はさすがだ。
何度も切れば、回復が追い付かなくなるかもしれないが。
「それじゃ埒が明かないな」
塊の中央。脈打っている、握り拳大の塊。
こっち(四十代おっさん)の体力が切れる前に、あのスライムのコアを破壊しなければらない。
機体の鉄骨が斬られて位置がずれるたびに、中央のコア付近へと戻っていくのは、機体と骨が、コアを囲う鎧として守っているみたいだ。
なるほど。原生生物のようでいて、その実、賢いのかもしれない。
息を整える。一気に決めなければ。
体表の側面へ回り込んだ。
剣を、斜めに深く入れていく。
体長の三分の一ほどを、一気に裂いた。裂け目が、数秒の間だけ、内側を見せる。
そのまま勢いよく飛び込む。
粘液が、べとべとしていて冷たい。剣を握る指先が、薄く痺れる。視界が、半透明越しに歪んだ。息ぐるしい。
主翼桁が、すぐ右にあった。
左手で掴む。鉄骨は、表面の油膜の分だけぬるりとしていたが、芯はまだ硬い。ぶら下がるようにして、体重を預けた。
下方へ滑り降りると、操縦席の風防が目の前に来た。長年で広がったらしい、ちょうど人ひとり分の幅。
潜り込むと、内部の小さな空洞に出た。
操縦席の床下を覗き込むと、握り拳大の、半透明の殻が脈打っている。
スライムのコアだ。
剣の切先を合わせ、突き割る。
湿った、殻が割れる手応え。
脈動が、止まった。
スライムの膨らみが、ゆっくりと崩れていく。張力を失った半透明の体が、床に向けて崩れ落ちていった。
完了。
それにしても体中がべとべとしている。早く洗い流したい。




