鳴り峠
翌朝、宿の食堂。
俺は鯵の干物と、温泉卵と、ひじきの小鉢と、白飯を取った。干物は皮の端が少し焦げていて、箸を入れると身が白くほぐれた。醤油を一滴落とすと熱で立った魚の匂いがひろがる。
真凛は、卵焼き、青菜の胡麻和え、ヨーグルト。皿の縁をきれいに空けて置くあたりが、いかにも真凛だ。箸を取る前に、一枚だけスマホで撮る。
「また撮るのか」
「記録です」
そういうものか、と味噌汁を啜った。味噌よりも魚由来の出汁がきいていて、これも悪くない。まだ少し冷えた朝にはこの暖かさが染みる。
霧島は、トーストを半分と、スクランブルエッグを少しと、オレンジジュースを取っていた。コーヒーもある。目の下の隈はまだ残っているが、昨日の夕方よりはましだ。
「寝れたか?」
「爆睡ですよ。久々にこんなに寝ましたよぉ。篠塚さん命令だったので、逆らうと怖いかなって」
「俺は怖くない」
「さぁどうだか?」
霧島が笑いかけて、少しだけ目を閉じた。眠気が残っている。欠伸をしそうになったのを、喉の奥で止めたのが分かった。
その時、真凛のスマホが震えた。
「観光協会の課長さんです」
真凛が画面を確認して、通話に出る。二言、三言、相槌を打ってから、通話を切る。
「稲村トメさん、連絡ついたそうです。港の方にいらっしゃるので、今日は直接向かってほしいとのことです」
「その方がいいな」
「三浦さんと町の担当さんも、港で合流するそうです」
「あと、園田さんの機材、観光協会の職員さんが宿のフロントに預けてくれたそうです」
霧島はトーストを一口かじった。
「今日は朝からばんばん動きますからね!」
フロントで、園田のケースを受け取って、港へ向かった。
*
稲村トメさんは、漁協の倉庫の脇にいた。
八十は越えているだろう。背は小さいが、腰は曲がっていない。
「昔、ここにもう一つダンジョンがあったと聞きました」
真凛が、丁寧に切り出した。
トメさんは、すぐには答えなかった。こちらを順番に見てから、顎を少し上げた。
「ああ、鳴り峠のことかね」
「鳴り峠?」
聞き返すと、トメさんは眉を上げた。
「知らんのか」
「知らない」
「今の若いのも、知らんか」
トメさんが三浦さんを見る。三浦さんは、少し頭を下げた。
「名前も、ちゃんとは覚えていませんでした」
「まあ、そうなるか」
トメさんは、倉庫の壁に背を預けた。
「岬の根に、細い上りがある。海沿いなのに、昔のもんはあそこを峠と呼んだ。上り切った平場で足を踏むと、下が空っぽみたいに鳴る。ぽん、と鳴る日もあれば、腹の底で、ぼん、と返る日もある」
「足音が響くから、鳴り峠」
「そうだ。子供は近づくなと言われた。雨のあとほど鳴る。年寄りは、礁の主が腹を鳴らしてる、と言った」
霧島が、口を挟まずに聞いていた。
「ただの昔話、じゃないんですね」
真凛が言った。
「戦の頃、何人か兵隊が来た」
トメさんの声が、一段だけ低くなった。
「岬の奥に、飛行機の部品を隠すと言ってな。零戦の部品だとか、エンジンだとか、そういう噂だった。子供は近づくな。夜は灯りを見ても外へ出るな。そう言われた」
「旧日本軍が、ダンジョンを倉庫にした?」
「倉庫にするつもりだったんだろうな。厳戒態勢だった。けど、結局、使わずじまいで終わった。終戦のあと、入口は塞がれた。役人が来て、危なくない、終わった、と言った」
トメさんは、海の方を見た。
「でも、鳴る日は、鳴ってたよ。時々」
「最近は?」
「さぁ、わからん。ひさびさに来たからねぇ」
トメさんは、そこで初めてこちらを正面から見た。
「鳴り峠、行ってみるかい?」
*
鳴り峠は、遊歩道から十歩ほど外れた植え込みの奥にあった。
トメさんが先に立った。足取りは遅いが、迷いはなかった。海を背にして、少しだけ上がる。上がり切ると、平場になる。
「入口はわかりますか?」
「……」
トメさんは、無言で植え込みの奥の岩肌を杖で叩いていた。乾いた音が返る。
「ここだ」
見た目には、ただの岩だった。古いコンクリートのような灰色の面が、岩肌に混ざっている。蔦が這っていて、入口の形は分からない。
宿のフロントで受け取った園田の布ケースを、地面に置く。
「園田に電話する」
スマホを出して、通話を入れた。
『はい、園田です』
「今、何してる」
『全自動卵かけ機の撹拌ムラを見てました』
「仕事しろ」
『仕事です。あれ、白身の残し方が一定じゃないんですよ。篠塚さんの朝の機嫌に関わるので』
「そこまで関わらないから」
真凛が横で、少しだけ口元を押さえた。霧島は肩を震わせている。そう面白がっているがな、白身の量は本当に重要なんだぞ?
『で、今現地ですか。てっきり昨日のうちに連絡が来るんじゃないかと思ってたんですが』
「鳴り峠にいる。お前が言っていた旧ダンジョンのことだ。入口は塞がってる。箱の使い方、教えてくれ」
『スイッチ入れて、針がゼロに戻るのを待って、箱を岩肌に近づけてください』
通話を開いたまま、箱のスイッチを入れた。針がゼロで震える。
ハンマーを取って岩肌をたたいてみる。
右端まで、一気に針が振り切れた。それから、ゆっくり戻った。
『音、聞こえました。針、どうです』
「右端」
『え』
「振り切った」
電話の向こうで、椅子が鳴った。
『中心で、それですか』
「あぁ」
園田が少しだまってから答えた。
「やはり何かがあるのは間違いないようですね」
*
塞がれた入口の前で、話し合いになった。
岩肌の前に立った。剣を抜けば、表面に切り込みくらいは入れられる。中が空洞なら、そこから状態を見られるかもしれない。
「少し、入口こわしてみるか」
「待ってください」
自治体担当の若い男の顔色が慌てていた。
「ここが旧軍の保管場所だった可能性があるなら、勝手に開けるわけにはいきません。遺物、火薬、油、何が残っているか分からないので」
観光協会の課長も頷いた。
「重機を入れるにしても、町と警察と、県の文化財の窓口にも確認します。今日中に段取りはつけますから。それまではどうか待っていただけないでしょうか。明日の朝までには、開ける手前までは持っていきます」
三浦さんが、岩肌を見たまま言った。
霧島は、スマートウォッチを見てから、短く息を吐いた。
「分かりました。規制ラインを広げて、夜間は警察に常駐をお願いしましょう」
「明日だな」
剣から手を離した。
黄色いテープが、植え込みの周りを二重に囲っていく。トメさんは、少し離れたところから、それを黙って見ていた。
*
夜、宿。
霧島は、夕食の席には来た。昨日よりはましな顔だったが、箸を持つ手は少し遅い。
「今日も、寝とけよ」
「篠塚さん、最近そればっかりですね」
「寝不足のやつに言うことは一つだ」
霧島は言い返そうとして、やめた。味噌汁を一口飲んで、小さく頷いた。
*
その夜、日付が変わる少し前だった。
腹の底を叩くような音がした。
布団から起き上がった。
岬の根の方だ。
廊下で、霧島の部屋の戸が開く音がした。真凛の足音も続く。
「爆発音、ですよね」
霧島の声が、眠気を失っていた。
「行くぞ」
剣を掴んだ。




