全自動卵かけ機
朝、班拠点。
ブラインドの隙間から、薄く光が入っていた。
アパートの台所より、机が広い。椅子も三つ、ちゃんと引ける。壁際には園田の工具棚があって前みたいに園田の工具が玄関を塞ぐことはなくなった。
管理局との委託契約が決まったあと、ここを班の作業場所として使えるようになった。優遇、と言えば、優遇なのかもしれない。だが、実際にありがたいのは、吉田食堂まで十五歩で行けることだった。
それから、給湯台の横に、全自動卵かけ機があること。
茶碗に白飯をよそって、機械の受け皿に置く。卵を上の穴に落とすと、中で小さく回る音がした。黄身と白身が分かれて、白身だけを指定した適量取り除く。少し遅れて、醤油の混ざった黄身が白飯の真ん中に乗った。
決して、卵を割るだけの機械ではない。世の中はハイテクになったのだ。
「それ、本当に必要ですか」
真凛が、机からこちらを見た。
「必要だ」
「箸で混ぜれば済むのでは」
「分かってないな」
箸を入れる。白身が飯粒の間に薄く絡んで、黄身がとろっと崩れた。口に入れると、熱い白飯に、卵の甘さが乗る。……旨い。
新拠点で一番うれしい調達品は、たぶんこれだ。
そう思っている顔をしていたらしく、園田がコーヒーを淹れながら、少し引いた目をした。
「篠塚さん。一番喜ぶのはそこなんですね」
「ここだろ」
「いや、なんかこうやって正式に拠点が貰えたとか、他にも」
「朝飯に使える機械が一番偉い」
園田が、どう返すべきか迷った顔をした。真凛は、昨日自分で作ったらしい小さな卵焼きの入った弁当箱を、そっと鞄の奥へ戻した。見なかったことにした。
コーヒーの香りがした。園田が、いつもの淹れ方で、三人分を淹れていた。
広いテーブルの上に、紙のメモが、四枚ほど並べてある。地元紙のコピーらしい。新聞の社会面の片隅の小さな記事。それから印刷した地図が一枚。
真凛が、紙の端を、もう一度そろえた。
「夜のうちに、少し、当たれるところまで当たりました」
マグカップを受け取って、茶碗を片手に机に着いた。卵かけご飯をもう一口食う。醤油が少し濃い。これはこれで、うまい。
真凛が、紙のメモを、机の手前側に並べ直した。
「昨日、霧島さんから伊豆稲取・C-198 の事前資料が来た時に、引っかかった点が二つありました」
「聞こう」
「一つ目です。四月四日に行方不明になった漁師さんの船、潮と逆向きに、岬の根元の方の岩場へ、流れ着いています」
メモの一枚をこちらに向けた。地元紙の地図が、ボールペンで補足されている。岬の輪郭が描かれて、矢印が二本。本来の潮の向きと、実際に船が流れ着いた向き。きれいに逆を向いている。
「普通、流されるならこちらの向きです。船が流れ着いた岩場は、海流的にはありえない方角でした」
「それは専門家か誰かが言ってたのか?」
「地元紙の社会面の記事の中で、漁協の組合長がぼそっとです。記事の本筋ではなくて、囲みの最後の一文としてではありますが」
目を落とした。「組合長は『あんな流れ方は、見たことがない』と語った」と書かれていた。
「二つ目です」
真凛が、別の二枚を横に並べた。古い記事のコピーだった。
「同じ岬の根元の岩場で、過去にも似た流れ方が、二件あります。一件は、十二年前。もう一件は、二十一年前。どちらも人的被害は出ていませんが」
「二十一年も前、まで、当たったのか」
「はい。地元紙の縮刷版を五年分ばらばらに当たっただけです。もっと探してみましょうか」
「いいや、もういい」
リサーチ力が半端じゃない。さすがは真凛というべきだろうか。夜のうちにここまで掘って、朝には整理されてからこちらに渡される。任せられる、というのはこういう手の入り方で分かる。内心で軽く頭を下げた。
*
園田が、奥から、地図を二枚、運んできた。
「篠塚さん、こっち、見てもらえます?」
机の真ん中に二枚を並べた。一枚は、現代の地形図。伊豆半島東岸、稲取の岬周辺。もう一枚は同じ場所だが、使われている用語が少し古い。
「これ、七十年ちょっと前の同じ場所の地形図です。国土地理院の古い版です」
古い方の地図には、岬の根元のあたりに、小さな丸が描かれていた。「地下迷宮施設 イ-198」と書かれていた。今と同じ位置。
その隣にもう一つ、点が打たれていた。岬の根元の少し内陸寄り。
現代の地図を見た。旧ダンジョン跡の記号が消えている。
「消えてるな」
「消えてます」
園田が、机に肘をついた。
「直感、と言うと、雑なんですけど」
「言ってくれ」
「普通、認定解除されたダンジョンは、解除年月だけ地形図に残します。観光資料からは消しても、地形図にはたいてい解除済みの記号で残ります。地下構造の安全管理上、消さないのが普通です」
「ここは消えてる」
「消えてます。明らかに、消した側の意図が入ってます」
古い地図をもう一度見た。岬の根元、少し内陸寄り、植え込みの奥の平場。
「なにか消したい理由があったのかもしれない。今回の件、僕はC-198 入口の方だけじゃなく、こっちの旧ダンジョン跡も、同じ重さで見た方がいい、と思ってます」
「理由は、地図が消えてるから、だけか」
「それだけなら、僕も言いません」
園田は、真凛が並べた地元紙のコピーを一枚、指で寄せた。船が潮と逆に流れ着いた矢印のある紙だ。
「霧島さんから来た事前資料では、海の異変の根源が C-198 ではないか、という依頼になってます。急な海流変化で、次の船や観光客の事故が起きる前に、原因を見たい、という話です」
「ああ」
「だったら、入口がどっちか、より、地下の空洞がどっちが広いか、です。現入口の下より旧ダンジョン跡の下の方が広いなら、海流を変えているのは、書面に載ってる入口じゃなくて、地図から消えた方かもしれません」
「空洞の大きさが分かれば、当たりがつくってところか?」
園田が短く頷いた。
「そうか、分かった」
「もし旧ダンジョン跡を見るなら、簡易の反響探査ができるキットを使った方がいいです。機材は現地で受け取れるようにしておきます」
「使い方は?」
「スマホに送っておきます。これ、見といてください」
俺のスマホが、机の上で短く震えた。
画面を開くと、共有ドキュメントが来ていた。文字が細かい。図もある。地面を叩く位置と、反応を見る順番が矢印で伸びている。
「字が小さいな」
「拡大できます」
「そういう問題じゃないんだ、こっちは」
真凛が、横から画面を覗いた。
「現地で私も見ます。必要なら、園田さんに電話しましょう」
「そうだな」
*
午前の終わり。
霧島が来た。引き戸を開ける音が、いつもより少し丁寧だった。
顔を見て最初に分かった。目の下の隈が前より濃い。髪もまとめてはいるが、後ろの一本から細い毛が少し逃げていた。
「おはようございまぁす、篠塚さん」
「おう」
霧島は、紙のクリアファイルを抱えていた。中に表紙の付いた書類が一冊。
「C-198 の正式依頼書、整いました。本省の判子、両方捺してあります。いやぁ、朝から判子を追いかける仕事、健康に悪いですねぇ」
書類を机の上に置いた。表紙の下の方に地元自治体の判も並んでいた。
「自治体は、この件で立入規制とかそういうのを出してるのか?」
「警告札と柵は一応。一月から三月の山は越えたんですが、五月の連休前で宿がほとんど埋まっている町なので、観光協会と町長は、強い規制まで踏み切れていません。規制しようって声は上がっているんですが、押し切れていません。やった方がいいんですけどねぇ」
「そうか」
霧島はそこで何か言い足そうとして、急に口を閉じた。欠伸を噛み殺したっぽい。クライアントの前でそれを出さない程度には、わきまえているようだった。
真凛が、鞄から小さなアルミパウチを出した。疲労回復用のゼリー飲料だった。
「霧島さん、よければ」
「ありがとうございます! 真凛さん。まるで故郷のお母さんみたいです」
「誰がお母さんですか」
霧島は、軽く笑ってから、アルミパウチを受け取った。笑い方はいつものままだが、目の下だけが、追いついていない。
「このあと出発で、お願いできますか?」
「大丈夫だ。真凛、園田、どうする」
「私は、行きます」
真凛が即答した。
園田は、机の上の古地図を、軽く指で押さえた。
「今回も残ります。C-087 の深層観測、切れないですしね。現地で詰まった時に、連絡で大丈夫なように手配してありますから」
「現場にいるより、拠点で支援した方が動ける、か」
「はい。僕の工房はここなので」
「分かった」
結局、俺と真凛と霧島の三人で、正午前に出発することになった。
霧島が、書類をもう一度こちらに押し出した。
「念のため、稲取署と駐在さんには、昨日のうちに通しておきました。柵があると、逆に度胸試しで越える人が出るので」
「そんなのがいるのか」
「出ます。柵を越えた写真を上げる人、いますからねぇ」
*
正午前。出発までの、わずかな時間。
園田が、机の上の二枚の地図を、巻いて、筒状にして、こちらに渡した。
「ドキュメント、さっきのリンク、開けます?」
スマホを見た。小さい文字が、まだ画面に並んでいた。
「開けるけど……見づらい」
「じゃあ、やっぱ電話がいいですね。使う段になったら、現地で電話してください」
「そうする」
霧島は、車のキーを軽く回しながら、戸口で待っていた。真凛は、鞄に、紙のメモと、地元紙のコピーを、丁寧に入れている。
書面で来た対象は、現C-198。
ただ、園田がそこまで言うなら、地図から消えた旧ダンジョン跡も調べてみたい。真凛が拾った船の流れ方も、そこを向いている。
まずは情報収集だ。
「行くぞ」
霧島が軽く頷く。
班拠点の戸が閉まる音が、後ろで短く響いた。




