おっさん、戻らない
超深層の潜行が止まって五日目。
真凛が管理局に提出した再調査提案書への回答が来た。「検討中」。実質的な保留だ。
朝、吉田食堂で朝定食を食べながら、園田がスマホの画面を見せてくれた。掲示板だ。
『【速報】C-087超深層探索、管理局の指示で一時停止中』
『崩落リスクって本当か?』
『おっさんが潜れないならどうなるんだ』
『スフィアが裏で動いてるって噂もある。黒沢常務が管理局に圧をかけたとかかけてないとか』
『おっさんは黙って待ってるタイプじゃないだろ。何か考えてるはず』
『いや、おっさんは黙って飯食ってるタイプだぞ。それが良い』
合ってる。黙って飯を食っている。
焼き魚を箸でほぐした。今日は鯵の開き。身が薄くて、骨が多い。だが、脂がしっかりある。白飯に乗せて、醤油を一滴垂らして口に入れた。鯵の旨味と醤油の塩気。うまい。
五階層までの通常配信は続けている。だが、視聴者が求めているのは超深層だ。十一階層の先に何があるのか。あの台座と棚に何が置いてあったのか。
俺もそれが知りたい。
*
昼過ぎ。高梨部長から電話が来た。
真凛が対応しようとしたが、俺が出た。
「篠塚か」
「お久しぶりです」
「久しぶりだな。……元気か」
「飯がうまいので元気です」
高梨が短く笑った。乾いた笑い。
「管理局の件、聞いている。超深層の一時停止」
「ええ」
「あれは——管理局が自主的に判断した部分もあるが、うちの黒沢が管理局に情報を入れたのは事実だ」
真凛が隣で目を閉じた。予想通り、という顔だ。
「崩落リスクのデータは管理局側が独自に出したものだが、データの解釈について黒沢がアドバイザリーの形で関与している。名目上は元管理企業としての技術協力だ」
「つまり、嘘じゃないが、純粋でもない」
「そういうことだ。篠塚、すまない。俺が止められればよかったが、黒沢は常務だ。俺の一存では——」
「分かってます。高梨さんが電話してくれただけで十分です」
「……篠塚。一つだけ言っておく」
「何ですか」
「黒沢は、C-087を取り戻そうとしているのではない。あの男が欲しいのは超深層の管理権だ。C-087の上層には興味がない。超深層の学術的価値と経済的価値を、スフィアの資産として確保したいと考えている」
「経済的価値」
「古代文明の遺構が出れば、研究利権が生まれる。データのライセンス収入。共同研究の特許。黒沢はそこを見ている」
高梨の声が低かった。情報を渡すのは、この人なりの贖罪なのかもしれない。あるいは、ただの良心だ。どちらでもいい。情報は情報だ。
「ありがとうございます」
「気をつけろ。黒沢は、感情で動く男じゃない」
電話が切れた。
真凛が目を開けた。
「聞こえました。篠塚さん、これで黒沢常務の狙いが明確になりました。超深層の管理権。研究利権。経済的価値。法的に取り返せないなら、行政を使って自分たちの関与を既成事実化する」
「対策はあるか」
「管理局との関係を、スフィアより先に固めることです。篠塚さんが管理局にとって唯一の超深層データの供給源であり続ける限り、管理局がスフィアに全面的に乗ることはできません」
「園田のデータが鍵になるな」
「はい。園田さん」
園田がカウンターの端でスマホを閉じた。電話の内容は聞こえていたようだ。
「十一階層のデータ、追加解析を進めます。管理局に出せる精度まで上げます」
「頼む」
園田がスマホをポケットにしまおうとして、箸を落とした。拾い上げて、何事もなかったように味噌汁を啜った。データの話をしている時と、手元の扱いの温度差がすごい。
*
夕方。アパートに戻った。
台所のテーブルに、真凛が対応方針のメモを広げた。園田がノートパソコンでデータ解析を進めている。俺はインスタントコーヒーを淹れた。三人分。
マグカップが三つ並んだ。取っ手が欠けた俺のカップ。白い無地の真凛のカップ。園田が自分で持ってきた、小さい青いカップ。
「真凛」
「はい」
「管理局の回答、あとどのくらいで来ると思う」
「再調査提案を受理すれば、一週間から十日です。受理しなければ、また別のアプローチが必要です」
「待つのは苦手じゃない。でも、止まってる間に黒沢が先に動くのは嫌だな」
「同感です。ですから、待つだけでなく、管理局との直接対話の場を作ります。村瀬さん経由で、局内の深層調査部の担当者に会えないか打診します」
「それ、通るか」
「通します」
真凛の声が断定だった。こういう時の真凛は、通す。
コーヒーを啜った。苦い。砂糖は入れない。この苦さがちょうどいい。




