吉田食堂を変えない
吉田食堂の前に人がいた。
見慣れない男が二人、引き戸の前に立っている。一人はカメラを首から下げていて、もう一人はスマホで何かを撮っている。スーツ。名刺入れがポケットから覗いている。
「あの、すみません。ここ、篠塚さんが通ってる食堂ですよね」
じいさんの声が聞こえた。引き戸が少しだけ開いていて、隙間からカウンターが見えた。
「営業中だ。食うか、食わないか。食わないなら帰ってくれ」
「あ、いえ、取材で——」
「取材は食い物じゃないだろ。帰れ」
引き戸がぴしゃりと閉まった。
俺は路地の角に立って、それを見ていた。園田が隣にいた。二人ともまだ食堂に入っていない。
「篠塚さん」
「ん」
「……食堂にまで来るんですね」
「そうだな」
配信とSNSで吉田食堂の存在が知られ始めていた。「おっさんの行きつけ」として、掲示板に住所が特定されたのは三日前だ。真凛が削除依頼を出したが、ミラーサイトに残っている。
取材の二人が諦めて去るのを待って、引き戸を開けた。
出汁の匂い。いつもの匂い。
じいさんがカウンターの向こうから顔を出した。
「遥一。見てたか」
「見てた」
「面倒なやつらだな。飯も食わないで写真だけ撮りたいなんて、失礼な話だ」
じいさんが朝定食を出してくれた。今日は筑前煮だ。ごぼうと人参と鶏肉が甘辛く煮えている。蒟蒻が噛みごたえがあって、味がしっかり染みている。
三人分の定食がカウンターに並んだ。
「じいさん」
「ん」
「迷惑かけてるな」
「お前のせいじゃないだろ」
「いや、俺が配信なんか始めたから」
「馬鹿言うな」
じいさんが菜箸でカウンターを軽く叩いた。木と木がぶつかる音。
「お前がダンジョンに潜って、飯を食いに来る。それだけの話だ。外野が騒ぐのは外野の勝手だが、この店は変えない」
じいさんの声は、怒っているのではなかった。決めている声だった。
園田が筑前煮の鶏肉を箸で割りながら、静かに頷いた。
*
午後。真凛が対策を出した。
アパートのテーブルに三人分の茶を淹れて、真凛がノートパソコンの画面を見せた。
「吉田食堂への取材対応と、住所特定への対処方針です」
「対処って」
「まず、探索者協会を通して、関係者の生活圏への取材自粛要請を出します。法的拘束力はありませんが、配信の信用が担保になります。篠塚さんの配信で一言触れてもらえれば、ファン層の自浄も期待できます」
「配信で『来るな』って言えばいいのか」
「そこまで直接的でなくていいです。『食堂のじいさんに迷惑かけないでくれ』くらいで十分です。ファン層はそれで動きます」
「了解」
「あと、管理局の報告書を先に提出します。管理局との協力関係がメディアに伝われば、取材の緊急性が下がります。わざわざ食堂に来る理由がなくなる」
真凛の対処は、いつもこうだ。一つの対策で複数の問題を潰す。法的なカバーと世論の誘導と、管理局との関係強化を同時にやる。
園田が茶を啜りながら言った。
「食堂の防犯カメラ、付けたほうがいいですか」
「じいさんはそういうの嫌がるだろ」
「でも、何かあってからでは遅いです」
「……真凛、どう思う」
「園田さんの言う通りです。ただし、吉田さんの同意が先です。私から話をしてもいいですか」
「いや、それは俺が話す」
夕方、吉田食堂に寄った。じいさんが夕飯の仕込みをしていた。大鍋で豚汁を煮ている。味噌の匂いが店全体に染み渡っている。
「じいさん」
「ん」
「防犯カメラの話なんだけど」
「いらん」
「即答か」
「いらん。この店は五十年やってきて、カメラなんて付けたことない。今さら付けるか」
「でも、さっきみたいなのがまた来たら」
「来たら追い返す。飯を食う客は入れる。食わない客は帰す。五十年そうしてきた」
じいさんが大鍋の蓋を取った。豚汁の湯気が天井に上がっていく。ごぼうの香りが強い。
「遥一。お前、心配してくれてるんだろうが、この店のことは俺が決める」
「……分かった」
「それより、今日の豚汁は出来がいい。食っていけ」
豚汁を啜った。豚肉がとろとろに柔らかくて、大根に出汁が染みている。七味を少し振った。辛味が鼻に抜ける。
変えない。じいさんがそう決めたなら、俺がどうこう言う話じゃない。
ただ、変えないために何ができるかは、考えておく。




