夏の終わりに、それぞれの場所で
七月が来て、練習試合と個人練習の夏が始まった。
全日本での敗戦は、東都大に何かを残した。
怒りではない。焦りでもない。
静かな、確かな課題の意識だった。
浅野巧のあの投球を、打てるようになること。
桐嶋の完投能力をさらに上げること。
そして奏汰自身の打撃を、もう一段上げること。
それが夏の目標になった。
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七月の下旬、奏汰のスマートフォンに陸から連絡が来た。
「都市対抗、決勝まで行きました」
奏汰は驚いた。
東和スチールが都市対抗野球の決勝進出。社会人野球の最高峰の舞台で、陸が戦っていた。
「決勝はいつだ」
「明後日です。東京ドームです。来られますか?」
奏汰は練習スケジュールを確認した。
「行く」
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東京ドーム。
陸が都市対抗決勝のグラウンドに立っている。
奏汰は外野スタンドから試合を見た。
プロ野球と同じ舞台に、東和スチールのユニフォームを着た朝比奈陸がいた。
試合開始。
3回、先頭の8番センター・朝比奈陸が打席に入った。
奏汰は陸の構えを見た。
春の練習試合と変わっていない。リラックスしたスタンス。しかし今日は何かが違った。
違いがわかった瞬間、奏汰は目を細めた。
陸の目が、落ち着いている。
東京ドームの大舞台でも、全く緊張していない。
いや、正確には緊張していないのではなく、緊張を野球のエネルギーに変換できている。
初球、内角のストレート。
陸はそれをきっちり引き付けて、センター返しした。
弾丸ライナーがセンターの頭上を越えた。ツーベースヒット。
スタンドが沸いた。
奏汰は声を出さなかった。ただ静かに、「あいつは本物だな」と思った。
試合は東和スチールが3対2で競り勝ち、都市対抗初優勝を果たした。
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試合後、奏汰は出口近くで陸を待った。
陸が選手の列に混じってドームから出てきたとき、奏汰を見つけてぱっと顔が明るくなった。
「来てくれたんですね!」
「来た」
「一緒に写真撮りましょうよ、優勝の日ですよ!」
「俺は関係ない」
「関係大ありですよ!来てくれたじゃないですか!」
陸はそう言って、横断幕を持った状態で強引に奏汰を引き寄せた。
奏汰は結局、都市対抗優勝の記念写真に映り込んだ。
その後、近くのファミリーレストランで二人で飯を食べた。
「ドラフト、狙えるな」と奏汰は言った。
「今年か来年では出してもらえると思います」陸はポテトをつまみながら言った。「監督も今年の成績次第で推薦するって言ってました」
「都市対抗優勝は大きい」
「ですね。ただ、ドラフトで指名されても、プロで使われるかどうかは別の話なんで。そこが怖いといえば怖い」
「怖い?お前が怖いと言うとは思わなかった」
陸は少し笑った。「怖いっすよ。奏汰さんこそ、もう怖くないんですか、野球」
奏汰は少し考えた。
「全日本で負けた後、浅野と話した。あいつは七年かけて自分の武器を作った。俺は一年半、野球から逃げてた。その差はまだある」
「でも戻ってきた」
「ああ」
「それでいいじゃないですか」陸はあっさりと言った。「逃げた分、戻ってきた分、全部含めて今の奏汰さんじゃないですか。帝星での一年半も、全部経験ですよ」
奏汰は陸の顔を見た。
十八歳の口から出る言葉にしては、ずいぶん重かった。
「お前は昔からそういうことを言うな」
「昔から奏汰さんを見てたんで」
「じゃあ見過ぎだ」
陸がまた笑った。
「秋の神宮、見に行きます」
「神宮大会は秋季リーグを勝ってから出られる」
「東都大なら絶対出ますよ。桐嶋さんがいて、奏汰さんがリードしてるんですから」
根拠のない自信だったが、それが奏汰には少し力になった。
「来い」と奏汰は言った。「ただし試合中は静かにしてろ」
「そんなにうるさくないですよ!」
「春の練習試合、声でかかったぞ」
「あれは久我くんが盗塁阻止したから!すごかったんで!」
奏汰は黙って水を飲んだ。
陸がけらけら笑った。
夏の夜が、店の外で蒸し暑く続いていた。
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八月の中旬、浅野巧から短いメッセージが来た。
「都市対抗、東和が優勝したんだな。朝比奈、すごいな。葛城の幼馴染だっけ」
奏汰は「そうだ」と返信した。
「秋も頑張れ。俺もドラフトに向けて後期リーグ全力でいく」
「お互いな」と奏汰は返した。
浅野とのやり取りはそれだけだった。
しかしその短さが、お互いの立場を理解した上での距離感だった。
ライバルであり、かつての仲間であり、それぞれの道を歩いている者同士の会話。
奏汰はスマートフォムを置いて、ノートを開いた。
秋季リーグの初戦まで、三週間。
準備は続く。
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同じ頃、奏汰は知らなかったが。
京都帝都大学のグラウンドで、御堂壮馬が黙々とピッチング練習をしていた。
185センチの体が、マウンドの土を踏みしめる。
コーチが計測器を向けた。
「148キロ。今日は一番いい」
御堂は頷いたが、表情を変えなかった。
「来年の神宮で東都が来る」と御堂は呟いた。
コーチには聞こえなかった。
「葛城奏汰が来る」
御堂はグラブを外して、右手の感触を確かめた。
かつて遊撃手だった手は、今は投手の手になっていた。しかし遊撃手の本能、内野の中心で試合を支配する感覚は、投手になった今も消えていなかった。
「今度は、俺のマウンドに来い」
誰もいないグラウンドに、御堂の声が落ちた。
夕暮れの京都の空が、橙色に燃えていた。




