神宮の外へ、全国の舞台へ
全日本大学野球選手権の組み合わせ抽選が行われたのは、六月の第三週だった。
東都大は関東第一代表として出場する。トーナメントは全国各地の地区代表二十六校が神宮球場と明治神宮第二球場に集まり、頂点を争う。
奏汰が抽選結果を確認したのは、ミーティング室のホワイトボードに組み合わせが貼り出された瞬間だった。
一回戦:東都大学 対 北陸学院大学。
二回戦以降の山を見ると、反対側のブロックに気になるチームが入っていた。
中京光星大学。愛知代表。東海リーグのトップ校。
奏汰はその名前を見て、少し立ち止まった。
中京光星。確かめたいことがあった。
「中京光星のエース、誰だか知ってるか」
桐嶋に聞くと、桐嶋は少し考えて答えた。「浅野巧、ですよね。サイドスローの変則左腕。東海リーグでは今年防御率0台です」
「浅野巧」
奏汰はその名前を口の中で転がした。
浅野巧。中学時代の二番手投手。永瀬颯斗の陰に隠れ続けた左腕。永瀬が完全にチームの大黒柱だったあの頃、浅野は二番手として黙々と投げ続けていた。器用で、球種が多く、制球が良かった。ただ球速がなかった。最速でも120キロ台。中学の段階では、永瀬との差が大きすぎた。
しかしサイドスロー転向か。
「見たことあるか、浅野の投球映像」
「一度だけ。東海大会の決勝で投げてましたね」桐嶋は少し真剣な顔になった。「あれは、厄介ですよ」
「どう厄介だ」
「角度が特殊で、右打者には球が背中から来るように見える。変化球が三種類以上あって、どれも同じフォームから来る。球速は130前半ですけど、それを感じさせない。タイミングが狂わされる」
奏汰は黙って聞いた。
「それで」と奏汰は言った。「当たるなら準々決勝だ」
「勝ち上がればですが、山の形からほぼ確実にそうなりますね」
奏汰は組み合わせ表を見た。
浅野巧。中学のときに何度も肩を並べてブルペンで投げた男。あの頃の浅野は静かで、笑顔が多くて、永瀬への嫉妬を一切見せなかった。
「七年、何をしてきたんだろうな」
独り言のように言うと、桐嶋が「聞こえてますよ」と言った。
「わかってる」と奏汰は言った。
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一回戦は六月十七日、明治神宮第二球場。
相手の北陸学院大は、打撃が粗くストレートへの対応が弱点だった。桐嶋は6回を2安打1失点でまとめ、久我が残り3イニングをゼロで抑えた。
試合は4対1で快勝。
翌日の二回戦は、近畿代表の関西中央大。
こちらは手強かった。機動力野球で、走れる打者が多い。盗塁を仕掛けてくる回数が多く、奏汰は試合を通じて五回の盗塁阻止機会があった。うち四回は刺せた。一回は際どいタイミングでセーフ。
それが5回の失点につながり、一時同点に追いつかれた。
しかし8回に奏汰のタイムリーで1点を勝ち越し、桐嶋が9回を完璧に締めた。
3対2で辛勝。
準々決勝進出。
対戦相手は、中京光星大学。
予想通りの山になった。
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準々決勝前日の夜。
奏汰は部室で一人、中京光星のデータを見ていた。
打線は東海リーグ屈指の破壊力を持つが、守備のミスが多い。後半の集中力が切れやすいチームだ。弱点は読める。
問題は、浅野巧だった。
動画を何度も見た。
サイドスロー。腕がほぼ水平に近い角度から繰り出される球は、右打者にとって「体の外から来る」軌道になる。それだけでも対応が難しいのに、浅野の球にはもう一つ特殊な性質があった。
リリースの瞬間だけ、腕が微妙に沈む。
その沈み方が、球種によって違う。
シュート系は少し早く沈む。スライダー系は沈まない。チェンジアップは沈んだ後に返ってくる。
「癖があるな」
しかし、その癖を知っていたとしても、打てるかどうかは別問題だ。
知識と実践の間に、どれだけの差がある。
奏汰は動画を閉じた。
打者の分析は終わった。キャッチャーとして、打者の準備はできている。
しかし明日は、奏汰自身も打席に立つ。浅野のボールを、打者として受け止めることになる。
そこに、かすかな不安があった。
「浅野巧、か」
七年前、練習後のブルペンで隣に立っていた男。永瀬のストレートに目を細めながら、自分のカーブの握りを黙って調整していたあの横顔。
「どんな球を投げるようになった」




