名前を持つ投手
十一月上旬。明治神宮野球大会、通称「神宮大会」。
全国の秋季リーグ優勝校が集まり、秋の日本一を争う大会だ。翌年のドラフトや全日本大学野球選手権への弾みをつける意味でも、大学野球関係者からの注目度が高い。
東都大は第一シードに近い位置での出場となった。
組み合わせが発表された。
一回戦の相手は九州学院大。
反対側のブロックに、京都帝都大の名前があった。
奏汰は組み合わせ表をじっと見た。
京都帝都大。春のリーグを全勝で制し、全日本では準決勝まで勝ち上がった。秋の関西学生野球でも圧倒的な成績で優勝している。
そのエースが、御堂壮馬。
名前だけは情報として持っていた。しかし映像を見たのはまだ一度だけで、投球の詳細はこれから確認する必要があった。
「京都帝都、強いですよ」と久我が言った。「全日本でも観てましたけど、エースの御堂って人、球自体は速くないのに全然打たれない」
「知ってる」
「え、あの人のこと知ってるんですか?」
「中学のチームメイトだ」
久我が「えっ」と言って固まった。「あの御堂壮馬が、葛城さんのチームメイト……」
「遊撃手だった」
「投手転向したんですね。なんで」
「わからない」と奏汰は正直に答えた。「七年会っていない」
久我はしばらく何か言いたそうにしていたが、結局「……そうですか」とだけ言った。
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神宮大会一回戦。九州学院大との試合。
相手は打力がある九州代表らしいチームで、力強い打球を打ってくる。
桐嶋は6回を3失点したが、東都大打線が7点を取り、7対3で勝利した。
桐嶋は試合後、珍しく不満顔だった。
「3点は多かった」
「6回で3点なら十分だ。打線が取ってくれた」
「でも準決勝で同じ数は打たれられない」
「修正できるか」
桐嶋は少し考えた。「5回に打たれた場面、外角のスライダーが甘くなった。あれは疲れからじゃなく、変化球のリリースタイミングがずれていた。修正できます」
「わかった。明日のブルペンで確認する」
「はい」
桐嶋は一拍置いて、聞いた。「準決勝の相手、京都帝都ですよね」
「当たればな。あちらも一回戦があるが、まず負けない」
「御堂壮馬という投手、葛城は彼のことをどう見てますか」
奏汰は少し黙った。
どう見るか。
七年前の御堂壮馬は知っている。チームの精神的支柱で、誰よりも声を出し、誰よりも練習していた。遊撃手として守備は洗練されていて、打順は三番か四番を打っていた。
しかし今の御堂は知らない。
「わからない」と奏汰は言った。「明日、試合を見る」
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翌日、京都帝都大の一回戦。
奏汰はスタンドから観戦した。
試合前のブルペン投球から見た。
御堂壮馬。185センチ。がっしりした体格。セットポジションから、静かに足を上げる。
一球目が来た。
「ストレート。145前後か」
数字は出ていないが、動きから読めた。ただ、奏汰が次に感じたのは球速ではなかった。
コースが、精密だった。
捕手のミットが、ほぼ動かない。セットしたコースに、寸分の狂いなくボールが収まる。
「制球が化け物だ」
次の球。縦に割れるカーブ。
これも捕手のミットが動かない。
「球種が違っても、同じコースに投げられる」
奏汰は体を前に乗り出した。
中学のキャプテンが、七年でこんな投手になっていた。
試合が始まった。
御堂は相手打者を圧倒した。速球で押す場面はほとんどない。丁寧に内外角の低めを突き、打者が動いたところに変化球を落とす。心理的に追い詰める投球だった。
5回を終えて、相手打線はヒット1本。奪三振8。
しかし奏汰は、御堂の投球を見ながら、別の何かを感じ取っていた。
「捕手を信じていない」
それは感覚だった。論理的な根拠はまだない。しかし御堂が捕手のサインに対して、首を振る回数が多かった。全打席を通じて十数回。
捕手は都度首を振り返され、サインを変えていた。捕手が御堂に合わせている形だった。
「御堂自身が配球を組み立てている」
それは浅野と似ていた。しかし浅野と違うのは、浅野が「捕手と一緒に考える感覚」を持っていたのに対して、御堂は「自分が決める」という感覚だった。
捕手はただミットを構えるだけでいい、という投球スタイル。
「それが御堂の野球になったのか」
奏汰は胸の中で、何かが揺れるような感覚を持った。
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京都帝都大は一回戦を6対0で快勝した。
準決勝のカードが確定した。
東都大対京都帝都大。
七年ぶりに、葛城奏汰と御堂壮馬が同じグラウンドに立つことになった。
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準決勝前日の夜。
奏汰が部室でノートを書いていると、ドアが開いた。
「葛城」
声で桐嶋だとわかった。しかし声の質がいつもと少し違った。
「どうした」
桐嶋が入ってきた。手にスマートフォンを持っていた。
「これ、見ましたか」
桐嶋が差し出した画面には、スポーツメディアのサイトが開いていた。
見出しに「神宮大会注目カード!東都大・桐嶋蓮vs京都帝都大・御堂壮馬、大学野球頂上決戦」とあった。
記事を読んだ。
桐嶋の成績と御堂の成績が並べられていた。防御率、奪三振率、被打率。どれも拮抗していた。
「これを見て、どう思った」と奏汰は聞いた。
「正直に言うと」桐嶋はスマートフォンを引っ込めた。「少し怖い、と思いました」
「御堂が怖いか」
「強いと思います。今日の試合を見て、特に。でも怖いのはそれだけじゃなくて」
桐嶋は少し言葉を選んだ。
「御堂という人は、葛城の旧友ですよね。葛城が御堂の投球を見るとき、どういう感情で見るのかが、わからなくて」
奏汰は桐嶋の顔を見た。
「明日、俺が御堂に遠慮すると思うか」
「思わないです。でも……葛城の中に何かが生まれる可能性が心配で」
「何かとは」
「躊躇、とか。迷い、とか」
奏汰は少し黙った。
桐嶋の心配は的外れではなかった。
御堂壮馬は親友だった。今も「その感情の残滓」が奏汰の中にある。否定はできない。
「俺の仕事は、お前のボールを最後まで受けることだ」と奏汰は言った。「相手が誰であろうと、それは変わらない」
「……はい」
「御堂が友人であることと、明日の試合で全力を尽くすことは、矛盾しない。そういうものだろ、野球は」
桐嶋は奏汰の目を見た。
「葛城、明日の試合。絶対に勝ちたいです」
「俺もだ」
「なら、全部任せます。配球も、球数も、俺の状態判断も。葛城が決めてください」
それは桐嶋が初めて言った言葉だった。
「決めていたことを変えなくていいのか」という確認ではなく、全てを委ねるという宣言。
奏汰は少し息を吸った。
「わかった。全部決める。お前は投げることだけ考えろ」
桐嶋が頷いた。
「肘は」
「明日は絶対に問題ない。今日、自分でもチェックしました」
「わかった。では明日、行こう」
桐嶋がドアに向かいかけて、振り返った。
「葛城。御堂という人と、また友人に戻れるといいですね」
奏汰は何も言わなかった。
桐嶋がドアを閉めた。
一人になって、奏汰は再びノートに向かった。
御堂壮馬の投球の特性。打者目線での攻略法。各打順での想定配球。
書きながら、頭の片隅で七年前の御堂を思い出した。
全国制覇の後、みんなで食べたかき氷。御堂が一番うれしそうに笑っていた。
相馬が言っていた。「壮馬は変わった」と。
どう変わったのか。
明日、グラウンドで確かめることになる。
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神宮大会準決勝当日、朝。
奏汰は早く目が覚めた。
窓の外はまだ暗かった。十一月の早朝の空気が冷えて、窓ガラスがわずかに結露していた。
奏汰はベッドに座ったまま、右手を見た。
ミットの革の感触を、指が覚えている。
永瀬颯斗のボールを受けた感触。桐嶋蓮のボールを受けた感触。浅野巧の前で空振りした感触。
全部がそこにあった。
「行こう」
奏汰は立ち上がった。
グラウンドに、やるべきことがある。
今日のグラウンドに、七年間の積み重ねを全部持って行く。
右手のミットを手に取り、奏汰は部屋を出た。




