休暇! お悩み相談室①「疲弊」
「もう、二週間は休んでいません。しかも、仕事は一日十数件。そろそろ休んでもいいと思いませんか?」
その悲鳴に、ぼくは慣れないながら精一杯の共感を送った。
そろそろ休んでもいいじゃん――
「うん、そうだね…………」
残り百二十三件の仕事を一気に片付けた後でならね。
沖縄旅行で空いた穴は、尋常じゃなかった。
たったの四日だぞ。
それなのに、仕事はどんどん増え続けた――どうやら、その原因は有栖川叶愛さんにあるらしい。
有栖川さんがなんとありがたいことに、ウチのお悩み相談屋をSNSで宣伝してくれたのだ。
ぼくたちが旅行に出ていた間に。具体的には、沖縄旅行一日目に、だ。
ぼくにとっても芹梨さんにとっても、スマホというツールは大して重要なものじゃない。スマホを使うのは必要なときだけで、プライベートの旅行中に仕事用のSNSなんて見なかった。もちろん、通知もオフにしている。
それがマズかった。
おかげで、延々と舞い込んでくる依頼を、ぼくたちは断ることすらできなかったのだ――
さすがに四日間も待たせて『ごめん無理』は有栖川さんのメンツを潰してしまう事態になりかねない。そう思ったから、ぼくたちはすべての依頼|(おふざけは除外だが)を引き受けた。
そして、もちろん後悔した。
一日に十数件以上解決しなければならなかったし、寝る暇も惜しんで記録を取らなければならなかったし、仕事を分担してぼくが単独で依頼を承ったケースもあったし、芹梨さんの失敗の尻拭いをしたりぼくの失敗の尻拭いをさせたりしたし。
本当に最悪な一ヶ月だった――そして、これからは最低な一週間を送る。
自殺の相談美容の相談車泥棒の相談人間関係の相談スランプの相談本人バレの相談美術成績の相談美大落ちの相談美大生の将来の相談画家の相談漫画家の相談小説家の相談家族の相談殺人鬼の相談殺人事件の隠蔽の相談その他。
もううんざりだ。
ぼくよりも仕事をしている芹梨さん|(言うて仕事量はそこまで変わらないが)はぼく以上に疲れているだろうし、早く休ませてあげたい――だがしかし、悩めるお客さんがいる以上、お悩み相談屋が休むことは許されないのである。
一応、新規のお悩み相談はすでに打ち切っている。再開は一ヶ月後。
だから、残り百何十件の仕事に一ヶ月使ってはならない。だって、それだと休めないもん。
『夫が、あたしのアソコにドラッグ塗ってくんの。ずっと具合悪いんだけど、このことを指摘したら殴られんのよね。どうすればいいんかな、あたし………………』
「私に相談できるなら、警察にも相談できるはずですよ。警察はきっと、あなたの安全を保障してくれるはずです」
本当に、世の中には色んなことがあるんだなあ、と思わず感心してしまった。抱くべき感情は感心より犯人に対する怒りなはずなんだけれど、もはやぼくのそんな感情は働く気をなくしているようだった。
「一応圧をかけておくので、職務怠慢はないはずです」
芹梨さんにはそんな権力があるのか…………。
あっても不思議じゃなかった。
『母がドラッグにハマっちゃったんです。しかも――それ、法規制されてないんですよ。大麻とか覚醒剤とか、そういうのじゃなくて、本当に新種なんです。だから、警察に通報することもできなくて…………』
「依存症が酷い場合は入院させましょう。合法違法関係なく病院は受け入れてくれます。そして――今すぐ警察に通報してそのドラッグを問題にしてください」
今日。
溜まっていた依頼が残り九十八件となったところで――なんとなく、違和感を覚えた。
芹梨さんが爆速でタスクをこなし、ぼくがそれなりのスピードで雑用をこなす。この前まではぼくも依頼解決に一役買っていたが、さすがにぼくひとりの力では難しかったので今では芹梨さんにすべてぶん投げている。
そうすることおよそ十二時間。トイレは仕方ないので除外して、ぼくたちはノンストップで仕事を処理していた。
『会社の同僚に大麻を勧められて、そのままやってしまいました。俺、逮捕されますか』
「立件されても起訴猶予になる確率が非常に高いです。まあでも、会社は首になるでしょうね。あなたにはそのくらいの罪がちょうどいいでしょう」
ヒップホップを好んで聴いているくせに、大麻は絶対許さない思想の持ち主である芹梨さんだ。ぼくはヒップホップをそこまで好いていないが、3.5gの煙が窓を覆ってまったく見えないくらいには知っている。窓の外が見えたところで、景色は灰色だが。
「悪くない」
「この状況のどこに悪くない要素があるのか教えてほしいんですけど」
本当は悪かった。
『この粉、バイト先の外国人から押し付けられたんやけど、これってヤバい?』
「今すぐ警察に通報してください」
なんだか、さっきから警察にとんでもなく負担がかかっている気がする。可哀想だった。
「ぼくたちは警察の過労死に貢献しているんだね」
「元警察にそんなこと言います?」
思ったよりも不快そうにしていたので、この件についてはきちんと芹梨さんも憂いていたのだろう。噂によると、芹梨さんがいた時代の道警は、ここ数十年でもっとも自殺者が多かったらしいけれど。
そして、残りの依頼が七十件になる。この調子じゃ二日ですべて終わりそうだ。
『薬がやめられないんです。しかも、この薬、調べたら、ガソリンとか、入ってるって、あって…………っ、余命が、の、残り、二年とか、だって、っえ、怖くて、もっとやっちゃって…………』
「…………………………」
画面越しでも伝わる挙動の異常さに、芹梨さんは思わず閉口してしまったようだ。
肌は黒く変色しており、加えてそこに不気味な模様が浮かび上がっている。常に小刻みに震えていて、もちろん目の焦点は合わないしそれでいて血走っている。
「粗悪品の中でも粗悪なものを掴まされたようだね」
「……………………はあ」
お悩み相談屋に悩みを相談する際、依頼者は自身の個人情報を依頼フォームに書き込む必要がある。
こちらは、このジャンキーの住所を知っているということだ。
「二日じゃ終わらなさそうですね」
「勘弁してよ」
芹梨さんはスマホを取り出すと、キーパッドを立ち上げた。
三日目、溜まっている仕事は残り六十二件。
『風俗で働いていることが夫にバレてしまって、汚いから離婚しろと言われました。私は、どうすればいいですか?』
「どうして風俗で働いているんですか?」
『お金が足りなくて………………』
「どうしてですか?」
『…………………………』
わざわざ問い詰めなくとも、画面に映る依頼人の姿を見れば一目瞭然だった。
こちらを睨むそのギョロっとした目が、彼女の後ろに映り込む地獄のようなゴミ屋敷が、あるいは二の腕にある傷痕か、よく見ると瘦せこけた頬だったり、汗でタンクトップがびしょ濡れだったり、髪がボサボサで整えられていない外見に心配になるクマにずっと多動で泳いでいる目だったり肌は汚く荒れていたり。
残り六十一件。
『友達にマンジャロより痩せるって言われた薬なんだけど、見た目が怪しいからさー。だから、警察に行ったら逮捕されそうじゃん。でもさー、見てほしいんだけど』
日本語が怪しい。
「…………画面越しでは分かりませんよ。大人しく警察にそれを渡してください。手を出していなければ、あなたが逮捕されることはありません」
おそらく作中でもっとも真面目な芹梨さんの返答だった。
残り六十件。
『親が出してくれないので、学費が払えません。でも、どうしても大学に行きたいんです。私大なんですけれど…………、調べたら、風俗とかで働かなきゃいけないって書いてて、どうすればいいのか分からないんです。パパ、私が女だからって私を進学させたくないみたい。親の収入は全然悪くなくて、奨学金も期待できない…………。諦めたほうが、いいですか?』
「進学自体を諦める必要はありませんが、志望校は変えたほうがいいでしょうね。かなりお金が必要になってくるので、今からでもバイトを始めたほうがいいでしょう。今から猛勉強して特待生を狙う方法もありますが、三年の今からとなると………………」
『私、勉強はしたくないんですけれど………………………………』
「なら進学はしないほうがいいと思いますよ」
残り五十九件。
『十三歳の息子が人を殺したんだ』
「………………あなたが望む解決は?」
『分からない。だからこそ、相談しにきた』
随分と面倒くさそうな悩みだった。面倒だからといって、断ったりはしないが。
それに――そもそも仕事は面倒なものなんだった。
「警察には連絡しないのですか?」
『…………しかし、これでもしニュースになって息子が晒されたりしたら………………』
「SNS社会ですからね。十分にあり得る話です」
でも――と芹梨さんは言った。
「被害者側の気持ちを考えてください。あなたの息子さんが被害者を殺してしまった責任は、すべて保護者であるあなたにあります。息子さんを大切に思うのであれば、今すぐ警察に連絡してください」
残り四十件。
『俺、同じ男が好きなんです。でも、それを家族に打ち明けたら、そんなの病気だって言われて、それからずっと気まずくて…………』
「気まずくないようにしたいのですか?」
『はい』
「なら、まずは話し合ってください。結果がどうあれ、結果さえあれば、その気まずさからは逃げ出せると思いますよ」
たとえ拒絶されたとしても、気まずい関係からは抜け出せる――ということ。
依頼人の本当の願いなんてとっくに察しているくせに、芹梨さんは随分と冷たいことを言った。
残り三十件。
『お久しぶりです、芹梨さん』
「あら」
静木巡査――この人は現役の警察官だ。ぼくとも多少の面識はあるけれど、そこまで仲よくはない――というか、ぼくはパンピーなので警察とは仲よくならない。
ちなみにこの人は昔、芹梨さんを蛇蝎のごとく嫌っていた。今もそこまで好いているわけではみたいなのだけれど、そんな人がいったいどうして梨ちゃんに悩みを相談しようというのだろう。
「お久しぶりですね。元気ですか?」
『相談があります』
どうやら無駄話に花を咲かせるつもりは毛頭ないらしい静木さんだった。
嫌いだからか、それとも――そんな暇がないほどの緊急事態だからか。
『違法薬物による検挙がここ数日で爆発的に増えています』
「…………………………」
違法薬物――あ。
そうだ。
そういえば、一昨日から違和感を覚えていたのだ。
どうして――薬絡みの悩みがこんなに多いのか、と。
「誰かが流しているんでしょうね。それが広まっているだけです」
『………………でも、現実的じゃないです。たった数日ですよ? しかも、違法薬物に手を出してしまった人の大半は前科もなく普通に生きてきた一般人で、反社との繋がりもまったく確認できませんでした』
「ヤクは一般人がやるものでしょう?」
ぼくとしては、有名人がやるものという印象のほうが強いが。
芸能人スポーツ選手等々。
「偶然でないのなら、可能性はひとつです」
『誰かが流しているって? それは明らかにおかしいでしょう。そんな影響力のある人間が日本にいますか?』
「本当に日本だけの問題なのですか?」
『え?』
そういえば――海外は、どうだろう。
海外出張なんて経験していないぼくたちだから、残念なことに日本の外側の事情にはまったく疎い。しかし――もしかしたら、世界中でも同じことが起きているのではないか?
『いや、そんなのあり得ないって…………』
さすがに世界中はやりすぎか。
そこまで行っちゃうと、黒幕がWHOとかになってしまう。
「そうですね。世界中は無理でしょう――しかし、アジアだけなら? もっと縮めるなら、中国や韓国だけとか」
…………………………。
いや、それでも規模は大きすぎる。
ぼくだって『そんなのあり得ません!』と声を大にする。
「現実的ではありません、論理的ではありません、破綻しています、カタストロフです――なんて言わないでくださいよ。だって、ここはゲームでも漫画でも小説でもドラマでも映画でもない――現実なんですから」
現実はミステリよりも奇なり、という言葉を思い出した。
あるいは、創作物は現実を希釈しただけであるという議論を行った裁判官を思い出した。
フレイス・キャビンの法則論。
「現実のほうが、おかしいですよ」
だって、実際に起こっているんですから――と、芹梨さんは言った。本気で真面目にそう思っているようだったのが、なんとなく彼女らしくないなと思った。
現実的は現実的ではないという話をこれ以上長引かせても、現実的は現実でないのに非現実的だって現実じゃないからもう前提とかそこら辺がおかしいよねバーカという結論にしか至らないので、この辺で思考を打ち止める。
「…………………………どうにもできませんよ、私には」
あと、警察の悩みは解決できなかった。
残り一件。




