出張! お悩み相談室④「次は」
そういえば、芹梨さんの水着姿を見るのはこれが初めてだった。
「思ったよりも似合ってるね」
「あまり嬉しくない褒めかたですね」
本音だから仕方ない。
刑事時代の芹梨さんはいつもふりふりなドレスで着飾っていたけれど|(上司に怒られないのか?)、正直あまり似合っていなかった。だから、フリル自体が似合わない人間なのかなと思っていた。
でも、今芹梨さんが着ているふりふりの水着は、なんか似合っている。意外なことに。
「ふりふりってなんですか」
ひらひらしてる水着とかのあれ、ふりふりって言わない?
「言いません」
「ぼくは言うよ」
さて、そろそろ我に返ろう。
どうしてぼくたちは仕事中に海で遊んでいるんだろう。
「あ、ダイビングしましょうよ。面白いですよ」
「………………あのさ、芹梨さん」
沖縄に来てから、今日で三日目。
「そろそろ仕事しない?」
「………………………………………………」
本来の目的をあまりにも見失いすぎている。そろそろ、現実を見て将来を考えてニートを脱却して依頼人を幸せにしなければならない。ぼくたちはお悩み相談屋だ。
前話では、お悩みがひとつも解決できていないし。
ここ最近は推理もしていない気がするし。
「もう、暑さにも慣れちゃったよ。一日目も二日目も、観光で終わっちゃったじゃん。今日も仕事しないの?」
「仕事はしますよ。明日にでも…………」
ああ、なんてことだ! 芹梨さんが自堕落な人間に育ってしまった!
元から自堕落だった気もするが、それは一旦画面の隅に置いておいて。もしくはデスクトップにあるゴミ箱にドラッグアンドドロップで捨て置いて。
「やるなら今だよ。明日やるは明日もやらないよ」
「三日間くらいサボってもバレないですよ」
「やってから遊べばいいだけじゃん」
ぐっ、と珍しくぼくに言い負かされそうな芹梨さん。いつも正しいことしか言わない彼女が、どうして悪の道に染まろうとしているのだろう。
というか、そこまでしてやりたくない理由って、なんだ?
人探しでとくに情報もヒントもなくて範囲は広くて普通に面倒くさそうどころか不可能かもしれなさそうな依頼だからか?
「いえ、今まででいちばん簡単な仕事だと思いますよ」
「そう?」
そんなことはない、と胸を張って言えるほどぼくに自信はなかった。ぼくより遥かに頭の良い芹梨さんがそう言っているのなら、確かにそうなのかもしれないという流され系男子だ。ぼくは水なのか?
「方法はもう思い浮かんでいます」
「え?」
ならさっさとその方法とやらを使えよ、と思ってしまうのは当たり前のことだった。
出し惜しみするな。
「準備に時間がかかるんです」
「…………………………」
この時、ぼくの頭に嫌な想像が浮かんだ。
芹梨さんの言う『解決策』について――もしかして、これなんじゃないか、と。
でも、やっぱり気のせいだろうとぼくはそれを無視した。
「それならいいんだけれど……………………」
仕事を放棄していたわけではなかったのか、とぼくは安堵した。アラサーに片足を突っ込んでる元公務員の社会人が仕事をサボるだなんて、絶対に許されないことなのだから。
もしかしたらぼくは、自分で思うよりも真面目で融通が利かない人間なのかもしれない。
他人のサボりは許さない――まあ、そんなことを言っておきながら、自分は高校を退学している。人にとやかく言う資格はまったくない。でも、あったら言うだろう。
ならば、やっぱりぼくは委員長タイプだった。
「ダイビングって予約なしでも大丈夫なの?」
「当日対応してるところもありますよ」
色々な問題は一旦無視して、とりあえずこの休暇を楽しもうじゃないか。
後悔するのは、先の自分だ――と。
社会不適合者みたいなことを考えた。
「しょうがないですね。特別ですよー?」
そう言って、缶ビールをおすそ分けしてくれた芹梨さん。彼女は、元刑事である。
三日目の夜――というか深夜。芹梨さんは少し酔っていた。自分にではなく、アルコールにである。
「うふふふ。英愛くんはもう大人でちゅからね~」
見てのとおりである。頬に紅色が滲んで、挙動はだいぶ不審である。声はまるで母が装ったよそ行きの声のように高くて明るい。愛想はとてもよくて気味が悪い。目は虚ろ。
芹梨さんは、そこまでお酒に弱いわけではない。むしろ強いほうだと自称していた。
自称と言われると途端に怪しくなるが、二日目に連れて行ってくれた居酒屋で|(その時は飲ませてくれなかった)、店にいた客を全員潰してもピンピンしていたくらいなのだ。その時も、頬は少し赤らんでいたが。
「芹梨さん」
「ん~? なんですかぁ?」
ぼくが声をかけると、芹梨さんはぼくのほうではなく、真反対にある鏡に顔を向けた。
「そっちじゃないよ」
「そっちじゃないですよー?」
手元で小気味の良い音を鳴らしながら、ぼくは芹梨さんの顔の向きを誘導した。あまりにも不毛ですぐにやめた。
「………………美味しくない」
未成年が飲酒を禁じられている理由は、生ビールを楽しめないからなのかもしれない。
お酒、一度は飲んでみたかったんだけれど。この味じゃ、もう一生飲まなくてもいいかな。
まあでも、残すわけにはいかない。残りを芹梨さんに飲ませるわけにもいかないし、せっかく譲ってもらったのだから、頑張って完飲してみせようじゃないか。
「喉が変になりそう。一気飲みはできないや」
「へぼですねぇ。へぼです」
低レベルな煽りには対応しない。
というか、度数の高い酒をハイペースで飲んで酔っちゃった芹梨さんのほうがへぼだ。
というより愚かだった。『という』より愚『か』で『というか』だ。
「………………芹梨さん」
「なんですかぁ?」
「ありがとう」
なんの前触れもなく、ぼくはいきなり感謝を告げた。
芹梨さんは頭にハテナを浮かべていたけれど、そんなのお構いなしにぼくは続けた。
「この旅行を企画してくれて。おかげで、けっこう休めたよ。最近はずっと仕事だったからね」
ようやく『ああ』という顔をした芹梨さんだったが、相変わらず酔っているようで、「それはぁ、別にぃ……」とよく分からない言語でなにかぶつぶつ呟いている。
「思い出したけれど、今日はぼくの誕生日だね」
とくに伏線はなかった。芹梨さんがそんなヒントをわざわざ残すわけがない。
九月二十日は、ぼくの誕生日。
沖縄生活四日目。
現在時刻は――零時過ぎ。
「なるほど。誕生日だから特別なんだ」
誕生日だからって、未成年飲酒が許されるわけではないのだけれど――まあ、このくらいは許してほしい。
ぼくはもう、子どもじゃないのだから。
「芹梨さん、ありがとね」
返事が返ってこない。代わりに聞こえてくるのは、寝息のようなもの――というか寝息だった。
「……………………………………」
苦手な運転をしてくれたのも、きっとぼくが誕生日だったからだ。
今まで気付いていなかったわけではない。
一日目の時点で、もしかしたらとは思っていた。それでも今日――ではなく、昨日――三日目の昼に『そろそろ仕事をしよう』と言ったのは、単に仕事を終えてから祝ってくれたほうが気が楽だなと思ったからである。
夜景を見ながら、ホテルの一室で、静かに過ごす――ぼくは、十八歳になった。
今だ。
つまり、さっきまでは十七歳だったということ。
どうして芹梨さんは、ぼくに嘘をついたんだろう。
この前のことだが、うっかり年齢を忘れてしまったぼくに、芹梨さんは言ったのだ。
『あなた、もう十八歳なんですから』
確かにそう言った。
それなのに、どうして?
もしかしたら、芹梨さんはこの時からすでに沖縄旅行の計画を立てていたのかもしれない。サプライズがしたかったから、どうせなら年齢を誤魔化して予測できないようにしようみたいなことを考えたのかもしれない。かもしれない、だ。すべて。
芹梨さんの真意がなんであれ、ぼくは感謝するべきである。
「……………………なんか、眠くなってきた」
これが、初めて飲んだお酒の影響なのかもしれない。
お酒――未成年飲酒といえば。
いつかの依頼人である――椎﨓蜜柑さんのことを思い出した。
彼女はぼくより年上どころか、普通に二十歳を越えているはずだけれども。
タバコを吸っている姿が、マジで社会の闇にしか見えなかったあの人だ。兄の影響で覚えてしまったらしいが、その兄は彼女が中学生のころに捕まっているはず。いったい、いつ覚えたのだろう。
「頭がいつもより冴えている気がする」
でも、眠い。
とくに意味のない矛盾を抱えるような感覚を、ぼくは今初めて知った。
これも、経験。
芹梨さんは言った。『様々な経験を積めば、幸せになれます』。
それはさすがに説明不足すぎる。まるで詐欺広告みたいだった。
正しくは――『経験を積めば、幸せになる方法が分かる』である。
「……………………」
ぼくが、幸せになる方法。
ぼくたちは約束をしている。
『ぼくを、幸せにしてください』
単なる復讐のつもりだった。
延命治療のようなものだったとはいえ、彼女は柏をボロボロに壊した。
ぐちゃぐちゃになった小学五年生の心を、さらに崩壊させた。
奪ったのは、芹梨さんだ。
だから、ぼくも奪おうと思った。
柏が死んでしまった理由は、本当に運が悪かっただけである。犯人以外を憎むことができないし、その犯人はもう収監されてどこにもいないようなものだ。
八つ当たりの対象でしかなかったのかもしれない――とか。
衝動的に交わしてしまったあの約束を、芹梨さんは全力で守ろうとしてくれている。
彼女が悪人ではないことを、ぼくはとっくのとうに理解していた。
他に対してはどうであれ――ぼくたちに対しては、かなり特別に優しくしてもらっていた。
でも、そんなのはそんなのでしかなくて。
結局のところ、なんでもない。
「はあ」
ため息をつきながら、ぼくは目を瞑る。
さっさと寝てしまいたかった。
「英愛くん、起きてください」
「………………ん?」
身体を揺すられた感覚で意識を取り戻した。
ぼくは、寝てたのか。
でも、まだ眠い。
というか身体が怠い。
「おはよ……………………」
お酒の弊害だろうか、それともただのプラシーボ効果だろうか。
眠すぎたので本当にどうでもよかった。
「おはようございます。これから私が言うことを復唱してください」
「うん……………………………………」
ん?
なにかがおかしい気がする。
それでも眠気はぼくを蝕んでいて、考える脳が蕩けているような気分だった。
「『西納墺也から、妻に伝言があります。兄が死んだので、その子どもを引き取りました』」
「…………西納墺也から、妻に伝言があります。兄が死んだので、その子どもを引き取りました…………」
「よし。ありがとうございます、英愛くん。男の子の声ですし、浮気を疑われることもないでしょう」
「はい………………」
眠気でなにも考えられなかった。
だから、とりあえずもう一度眠って考えよう。
誕生日だというのに、まさかの十二時過ぎ起床。とてももったいない気分になった。
「おねんぼさんですね、英愛くん。そろそろ帰りますよ」
「は?」
そして寝ぼけていたぼくを目覚めさせたのは、芹梨さんの衝撃的な一言だった。
そろそろ帰るだって?
「依頼はどうするのさ」
「もう解決しました」
「はあ?」
ぼくが寝ている間に?
「帰ったら誕生日プレゼントを買ってあげましょう」
「え、ありがと………………」
でもそれより依頼のほうが気になるんだけれど。
いったい、どういうことだ?
「ほら、さっさと準備してください」
冷静にもなれずに、ただ芹梨さんの言うことを聞く人形と化したぼく。混乱と困惑以外の感情がまったく浮かばなかった。せっかくの誕生日だというのに。歯磨きと着替えを急かされ、言うとおりにする。
朝ご飯も食べさせてもらえずに、そのまま空港へ。
「たまにはこういうのもアリですね」
「うん…………」
ようやく落ち着いてきた。困惑は未だに残っているが、もうどうでもいいと割り切ってしまうか。芹梨さんの突飛な行動は、なにも今に始まったことじゃない。
それに――楽しかったし、嬉しかったから。
多少の違和感には目を瞑っておこう。
結局のところ、ミステリは謎が残るくらいがちょうどいいのだ。
「ミステリ読んだことないけれど」
「謎はすべて解明されるべきですよ、ミステリでは」
ミステリマニアの芹梨さんが言うなら間違いない。マニアの定義は知らないけれど。
飛行機の待ち時間中に朝ご飯|(十四時である)を食す。沖縄まで来たのに、最後のご飯はコンビニだった。
「沖縄限定のものがありますよ。お土産にしましょう」
渡す相手がいるのか、という突っ込みは入れないことにした。きっと、ぼくが知らないだけだから。
ちなみに、ぼくにはいない。学生時代に得ていた連絡先もすでに消去済みだった。
「良い経験でしたね」
「そうだね」
沖縄旅行は、楽しかった。
「次は、どこに行こうか」
「………………………………」
何気なく発した呟きに、芹梨さんはなにも言わなかった。
しかし、その表情が内心を雄弁に物語っていたことを、わざわざ描写する必要は本当にあるのかな。
明かされない解決方法。




