休暇! お悩み相談室②「プレリュード」
最後の依頼人は約束の時間になっても通話にやってこなかった。
よって、ぼくたちはやっと仕事をすべて終わらせることができた――ああ、五億年スイッチを連打したような気分だった。仕事を負い仕事に追われる日々――でも、負っても負けなかった。
「やっと解放されますね。あー、人生でいちばん疲れました」
元警察である芹梨さんでさえこうなのだ。少し前までは一般高校生だった上に女子より体力がないぼくはもっと悲惨なことになっているが。でも、それもこれも今日でお終いである。
存分に休みを満喫しようと思う。
たとえこの間にどんな事件が起こったって――ぼくたちには関係ないのだ。
「日本が終わろうとも、ぼくたちは惰眠を貪ろうね」
「日本が終わるレベルの事件が起きたなら、するのは惰眠ではなく永眠でしょう」
それもそうだった。
まあ、別にいいんじゃない? 知らないけれど。
「え?」
芹梨さんが、いきなり声を上げた。
「どうしたの?」
「…………………………英愛くん?」
とても怪訝そうな顔でぼくを凝視する芹梨さんに、ぼくはひたすら疑問を浮かべるしかなかった。
そして疑問を浮かべ続けるのは難しかった。どうしても、途中で面倒に感じてしまう。
だからぼくは、考えることを放棄した。
休暇一日目。
「……………………せっかくのお休みなのに、私たちはなにをしているんですか?」
「しょうがないよ。身体、動かないもん」
時間を贅沢に使ってぐーたらしていた。
「駄目人間になってしまいそうです。同居しているデンジにいつの間にか駄目人間にされていた件です」
「誰」
多分漫画かなんかのネタなんだろうけれど、本をまったく嗜まないぼくにそのネタは通じない。夏目漱石か芥川龍之介ぐらいなら、国語の授業で習ったけれど…………。
「今日からは人のことをなにも考えずに自分のやりたいように生きようと思います」
「いいんじゃなーい?」
「同居人はすでにそのスタンスだったようです。いぇーい」
いぇーいとか言うな、キャラがブレてるぞ。
とはいえ、キャラがブレるのも仕方ないぐらいには、ここ最近の業務はヤバかった。もう、人の声を聞きたくないと思ったレベルである……。激務の最中に一度有栖川さんと電話できて本当に助かった。あの透きとおるような美声がぼくの耳には必要だったのだ。
「え、英愛くん?」
「なに、どうしたの?」
芹梨さんは、昨日と同じようなリアクションをした。
「どうしたもこうしたも……………………」
しかし、今回はきちんと答えてくれた。
「あなた、有栖川さんとお電話したんですか!?」
「え、うん」
お電話って。芹梨さんは単語の前に『お』を付けてぶりっ子するようなキャラじゃないだろう。
「付けますよ『お』なんていくらでも! それより、いくらなんでもひどいです!」
「なんで?」
昨日よりも芹梨さんがおかしいぞ。まあ、キャラがブレているのだから仕方ないか。
…………ブレている時点で仕方なくはないが。
「ズルいです! なんで私にも有栖川さんの声を聞かせてくれなかったんですか?」
まあ、こんなことだろうとは思っていた。どうやら、昨日の件とは別件のようだ。
ぼくがさっき頭の中に思い浮かべたことを、所作や表情を通じて読み取られたってところかな…………。
芹梨さんの読心術って、相手が身内になればなるほど精度が上がるみたいだね。すごい。
「すごいじゃないですすごいのはあなたの鬼畜さです畜生です無情です!」
「…………………………」
熱があるのかと思い、ぼくは芹梨さんの額に触れる。結果はまったくの平熱だった。
お酒を飲んでいるわけでもないということは――素面でそんなことを。
「キャラがブレているというか、単におかしいだけだよね」
「なにをわけの分からないことを!」
芹梨さんが謎に喚いているのを半分無視していると、ふとぼくは通話中に有栖川さんが言っていたことを思い出した。
「そうだ、芹梨さん」
「?」
有栖川さんは言っていた。
『機会がありましたら、また芹梨さんとご一緒に明媚館にいらしてください。歓迎します』
そんな暇あるかと内心毒づいていたが…………、休みが入った今、その選択肢はアリかもしれない。
仕事でなく、今度は遊びに。
「………………え?」
有栖川さんに招待されたことを伝えると、芹梨さんはフリーズした。キャラがブレているが、そのブレかたはもう見た。
「あ、え、え? 有栖川さんが? 私たちに?」
「うん。ぜひ来てって言ってたよ」
招待状を受け取った人間は、どうやらぼくたちの他にもいるらしいけれど…………。
お世話になった方々に、お礼をしたいんだそうで。
「行こうよ。確かにぼくも、こんなぐーたらとした休日はもったいないと思ってたんだ」
こうしてぼくたちは、あの明媚館に再度訪れることと相成った。
今さら後悔しても遅いのだけれど、ぼくたちは有栖川さんの善意の招待に応じるべきではなかった。
そうすれば、ただの第三者でいられたのに。
ぼくは有栖川さんとの通話中の会話を思い出すべきではなかったし、芹梨さんがぼくの提案を一蹴すればあんな結末は存在しなかったに違いない。
今さら後悔しても、本当に遅い。遅きに失しすぎた結果だ。
前兆なんて微塵もなかったし、あんなことが起こるだなんて誰も思っちゃいなかった。
これなら、家でぐーたらしていたほうが百倍マシだったと言わざるを得ない。
もったいなくたって、収支がマイナスになるよりはいいだろう。
「まさか、二日後だったとは思いませんでした………………」
「有栖川さんにも仕事があるからね」
明媚館のある無人島を目指したセーリングクルーザーの上には、有栖川さんから招待された人物が七人全員揃っていた。
船酔いで苦しんでいる可哀想な人や、テレビで見たことのある有名な水泳選手、日本人なら誰もが知っている作家さんに、名前が覚えづらいで有名な大物モデルなど、人選がかなりバラエティに富んでいた。まあ、有栖川さん自体がバラエティでも活躍する有名人なので、それも当然ではあるが。
そして――七人目のチャラそうなサッカー選手の人はどうやら、有栖川さんの元カレらしい。
「それだけがマジで一生の自慢だよ、マジで」
「いや、サッカーは自慢じゃないの?」
元カレ、か。
そういえば芹梨さんにもいたな、『元カレ』。沖縄旅行の時の依頼人。
…………でも、芹梨さんって本当に男が好きなのか?
よく風俗とか行ってるし、もしかしたら恋愛対象が異性ではなく同性なのかもしれない。だからなんだよという話ではあるが、芹梨さんのことはわりと知りたいと思っているのだ、ぼくは。
だから訊いてみた。
「うーん、難しいですね。女の子を好きになったことがないので、分かりません」
それは普通に異性が好きだということでいいんじゃないか…………? まあ、同性を好きになる以外に自身が同性愛者であることを知る手段がないってのは分かるけれど。
ぼくが柏以外を恋愛的に好きになることはない――が、そもそもあの気持ちは恋だったのだろうか。
というか、みんなはどうやって自分が恋をしていると判断するんだ?
よく分からなくなってきたので、ぼくはここで思考を打ち止める。
指向の思考の糸でぐちゃぐちゃになるよりは、もう少しクリーンな状態になってから考えるほうがいい。まあ、その頃にはもう忘れているんだろうけれども。
「………………………………」
答えの出ない問題を突き詰めて、答えが出るということはない。
難しいことは考えてもかまわないが、答えのないことだけはダメだ。
そんな嗜好は変わり者だ。
「ふう………………」
サッカー選手のくせに海の上で一服し始めた彼を横目に、ぼくはぼうっとしながら考える。
有栖川さんの元カレかあ。
あの国を揺るがすレベルの美女に恋人がいたというニュースは、週刊誌にでも持っていけばかなり高く売れそうだった。もちろん、そんなことをする気はないが…………。でも、そんなことをする気を持っている人間がこの中にいるかもしれないのに。
随分と信用されたものだな。
信用、信用ねぇ。
心まで綺麗なのかよ、と有栖川さんの完璧さにもはやドン引きしてしまうぼくだった。
純粋イコール綺麗、というわけでもないのかもしれないけれど。
「裏があるかもしれませんよ」
きちんと携帯灰皿を手に持ちながら一服中の芹梨さんが、ぼくの思考を読んだかのようにそう言った。いや、読んだかのようにではなく読んでいるのだけれど。
というか、芹梨さんってタバコ吸うんだ。
「私は、一応刑事だったんですよ?」
刑事イコール喫煙者であるというイメージも、ただの偏見なんだけれどね。
「普段は英愛くんの前で吸わないようにしているんですけど……、今回はさすがに諦めました。だって、有栖川さんの館で喫煙なんてできるわけないじゃないですか」
テレビ番組にも出てるんだから、喫煙なんか気にする人じゃないと思うんだけれど、有栖川さん。
むしろ、クスリを容認されないかが心配なくらいである。芸能界イコール違法薬物という偏見を持っているのがぼくだった。
まあ、違法薬物は芹梨さんが許さないんだけれど。
「両隣がタバコ吸ってる。肺が汚くなる」
ぼくがぼやくと、サッカー選手は言った。
「心の汚さを肺の汚さで誤魔化すには便利なんだけどな」
ぼくは心が汚くないので。
と、言葉だけの言葉を口にすると、サッカー選手と芹梨さんが笑った。
「今のうちに、お互い自己紹介しとこうぜ。俺は青崎壱だよ」
壱と書いて『はじめ』か。一をはじめと読むのはよく聞くけれど、壱は珍しい。
「私は、芹梨澄美です。お悩み相談屋を営んでいます」
「え、あんたが? SNSで見たことあるよ」
「悩みごとがあれば、ぜひご相談ください。今は休業中ですけどね」
隙あらば営業。プロ意識が高くてなによりだ。
「ぼくは芹梨さんの助手だよ。疚田英愛」
「助手かあ。現実でもそういうのあるんだな、助手って」
現実版のワトソン君がぼくなのかもしれないが、ぼくはシャーロックホームズを読んだことがない。
まあ、ぼくはぼくだ。
「看護助手などがいちばん有名ですかね、現実では」
「あーね。あと、トラックとかも」
両隣が本当にクソどうでもいい雑談で盛り上がり始めたので、ぼくは抜け出した。
別の人との交流を図ろう――まずは、船酔いでとても苦しんでいる人の様子を見に行くか。
「大丈夫?」
ぼくが声をかけると、一緒にいた水泳選手が「大丈夫じゃないみたい…………」と悲しげに言った。
「まさか、小春が船酔いするだなんて…………。船酔いはバカしか引かないんじゃなかったっけ」
「それ、風邪の話じゃない?」
ぼくが突っ込むと、水泳選手は本当に間違えていたような顔で「そうだっけ?」と首をかしげた。
すると、
「………………あれぇ、誰かいるの………………?」
と、船酔いでダウンしていた女性がのっそりと起き上がってきた。
「船酔い、大丈夫? 薬とか飲んだ?」
「飲んだ………………から、少しはマシ」
そう言って、『小春』と呼ばれていた女性は大きく伸びをした。
「初めましてだね。わたしは持田小春だよ」
持田小春――普通の名前で、ぼくは安心した。キラキラネームだと、名前に気を取られて真面目に話せないことがあるのだ。そのせいで何度『喧嘩売ってる?』と訊かれたか…………。
「ぼくは疚田英愛。そっちは?」
社交辞令としてぼくも簡単に名乗ってから、水泳選手のほうに話を振る。とはいえ、ぼくはもう彼女の名前を知っていた。
テレビで見たことのある、水泳選手。
オリンピックを荒らして出禁になりかけた水泳選手。
水泳の参加できる競技すべてで金メダルを獲った人間。
いや――人外か。
だって、彼女は芹梨さんと同じだから。
「………………私?」
目の前の『天才』が言った。
「私は、常盤ほたるだよ…………」
芹梨さんと同じ――どころか、それ以上の完全な天才。
世間に疎いぼくですら知っている、五十メートル、百メートル、二百メートル、四百メートル自由形、百メートル、二百メートル背泳ぎと平泳ぎ、バタフライ、二百メートル個人メドレーで世界新記録を樹立した天才。
天才――というより、それは災害だった。
…………などと、知ったような口を利いてはいるが。
これが初対面である。
「失礼なこと考えてるね…………。私のこと、知ってたんだ」
心を読まれていた。まあ、もしかしたらぼくが超絶分かりやすいやつなのかも…………って、そんなわけがない。
ぼくのポーカーフェイスは、警察をも騙したんだぞ。芹梨さんのことではないけれど。
だから、まあ、この人はやっぱり、芹梨さんと同種なのだ。
これが――常盤ほたるとの出会いだった。




