出張! お悩み相談室①「人間扱い」
「私は、有栖川叶愛と申します。『明媚館』へようこそ」
世界一美しい美貌を誇る目の前の女性に心を奪われていたのは、ぼくでなく芹梨さんのほうだった。
「あ、えと、っと…………」
そんな噛みかたをする人外はいないだろう、と思わず突っ込みたくなる。
しかし、今ぼくが冷静でいられるのは、きっと芹梨さんがとんでもなく動揺しているからだろう。
もしぼくがひとりでこの人と相対していたら――きっと、その美しさに惹かれていた。
つまるところ、ぼくは芹梨さんを生贄にしてこうして正気を保っているわけで。
「…………この人は、芹梨澄美。『お悩み相談屋』の責任者だよ。そして、ぼくは疚田英愛。芹梨さんの助手なんだ」
よろしくね――もちろん、握手は交わさない。その汚れひとつない無垢な肌に触れるのは、『意外にもノンデリカシー』と芹梨さんに評されたぼくでもさすがに憚られる。
自己紹介を代わりにしてあげるという芹梨さんへの最大級のフォローを終えて、ぼくはじっくりと有栖川さんのことを観察する。じろじろ見られるのに慣れているのか、有栖川さんはまったく動じない。
………………ふむ。
「現実のほうが、美しいんだね」
ネットに出回っている写真でしか有栖川さんのことを見ていなかったので、今発覚した事実である。
有栖川叶愛は普段、モデルとして活動している。世界でもっとも有名なモデルとして、世界中で有名だ。しかも、人気でもある――本来なら、会うことも叶わない超有名人である。
彼女の行動によって、国が滅んだことすらあるという――
国を揺るがすレベルの美貌。
素直に危ういなあ、と思った。
「と、とりあえず、話を拝見いたします…………」
話を拝見してどうするんだ、という突っ込みはさすがに入れなかった。せめて拝聴だろう。
さて、それにしても――豪華だ。
ぼくたちは現在、『明媚館』という洋館にお邪魔している。
日本から遠く離れていないくらいの無人島にあるこの『明媚館』は、なんと有栖川さんの別荘だという。メイド服を着た女性が出迎えてくれたり、誰もが知っている有名な絵が壁に飾られていたりと、この場所はあまりにも非現実的だった。
これが、裕福ということなのか………………?
「かなり悩んでいまして………………」
頭の中でそんなことを考えていると、いつの間にか仕事が始まっていた。案外、この非日常感に浮かれているのはぼくのほうだけなのかもしれなかったが――芹梨さんには、浮かれる余裕がないだけだが――珍しい。
ぼくは基本的に真面目な性格だから|(比較的に、と言い直したほうがいいのか?)、仕事で気を抜くことなんて滅多にない。といっても、普段ぼくがしている仕事なんて雑用と芹梨さんの管理だけだから、そこまで難しいものでもない。
芹梨さんは、言うことを聞かない子どもではないのだ。
いつの間にか仕事モードに入った芹梨さんが、普段どおりの口調で質問する。
「では――あなたは、いったいどんな解決を望んでいるのですか?」
………………ん?
もしかしてぼく、依頼人の悩みを聞き逃した?
「どうしましょうか…………………………」
客室に、芹梨さんとふたりきり。
芹梨さんはずっと、頭を抱えて悩んでいた。
そしてぼくは、なにも分からないままだ。
「………………………………」
ぼくも、どうしよう。
高校を中退して働いているのに、ぼくは社会人失格だ。
仕事でミスをしてしまった――だけなら、まだよかった。人間なんだから、そういうときだってある。芹梨さんにも、ぼくにも、多分有栖川さんにも、誰にだってある。
でも、これは違う。
これはミスなんかじゃない。
ただの怠慢だ。
「…………スト…………は………………」
あれ、またなにか大事なことを聞き逃した気がする。
確かめる手段はないが、とりあえず気のせいだということにした。
というか、本当にどうしようか。今日のぼくは、なにかが変な気がする。
もしかしたら、ぼくも有栖川さんの美貌にあてられていたのかもしれない――うーん。
芸術をあまり理解できないぼくからして、有栖川さんはただ綺麗で美しいだけという風にしか見れないんだよなあ。だから、多分そういうのではないと思うのだけれど………………。
もしくは、ぼくはこの館の豪華さに小市民心が発動して怖気づいたのかもしれない。
確かに、『明媚館』のスケールは大きいけれど、だからといって恐怖なんて抱かない。だって、ただの建物じゃないか――知らないものには誰だって恐怖を抱くけれど、この館に足を踏み入れてからはすでに一時間以上経っている。とても、『知らない』と言い張ることはできない時間経過だ。
すなわちにわかである――など、再びどうでもいいことに思考を沈めてしまうぼく。
ぼくみたいな奴は、いっぺん東京湾にでも沈められたほうがいいのかもしれない。
「…………………………素直に訊けばいいのに…………」
「ん? 芹梨さん、なんか言った?」
「いえ、なにも」
またなにかを聞き逃した気がする。
しばらくひとりにしてください――とのことで、ぼくは客室から追い出されてしまった。
おそらく、ひとりでないとできないなにかがあるのだろう。さすがに仕事の邪魔はしたくないので、ぼくは黙って言うとおりにした。まあ、ぼくはそもそもその仕事についてなにも把握していないんだけれど。
事前に有栖川さんから『自由に出歩いてかまいません』との許可を得ているので、ぼくは行き先も決めずに館内を徘徊することに決めた。徘徊は得意なのだ。とくに深夜。
「にしても、広いな………………」
なにも考えずにうろついてみれば、五分も経たずに迷子となってしまいそうだ。
そんな醜態を晒したいわけがなかったので、ある程度は経路を記憶しながらぼくは歩を進める。足を動かして、動かして、動かして動かしまくる。すると、階段を発見した。
「ここは二階だから、三階か」
十階くらいありそうな高さの建物だけれど、それはきっと目の錯覚で、実際のところは三階が上限だろう。ふと、屋上があるのかどうか気になったので、ぼくは階段を上ってみることにした。
一応、スマホでこれまでの経路をメモっておく。頭の中の地図を文字にすると、なんだかとても分かりづらくなってしまったけれど…………、まあ、もし迷子になったとしても、芹梨さんが助けてくれるだろう。
醜態を晒す覚悟さえあれば、なにも考えずに全力疾走したってかまわないのだ――なんてことはさすがにしない。醜態を晒したくはないし、そもそもなにも考えずに全力疾走している時点でそれは十分すぎる醜態だった。
そういえば、失態と醜態は失敗状態と醜い状態の略みたいなものだと思っているのだけれど、それじゃあその両方を表す言葉はないのだろうか? 語呂的には醜失態といった感じの。
と、どうでもいいことを考えながらぼくは階段を上りきる。案の定、三階が上限だったらしい。
「………………で、屋上はあるのかな」
そういえば、この館には数人のメイドが働いているんだったか。
なら、すれ違ったときに訊いてみようと思っていたのだけれど――まったく出くわさない。
もはや避けられているのではとすら思う。
「妥当か」
なに、自分の醜さを自覚していないわけではない。
ぼくだって、あんまり芹梨さんに強いことは言えないのだ。
こんなにも良い屋敷に務めているメイドさんが、ぼく程度の本質を見抜けて不思議なことは何ひとつない。
「まあ、とりあえず進もう」
道が無限に続いているわけではない。歩き続ければどこかになにかはあるだろう。建物に、行き止まりが存在しないわけがないのだから――四角い建物であるならばだが。
四分以上歩いたところで、ぼくはついに屋上に続きそうな短い階段とその先にある扉を発見した。
「へえ、本当にあるんだ…………」
なんだか、学校みたいな造りだ――というぼくの感想が、悪口にはならないだろうか。
学校なんかと一緒にするな、と怒られてしまうかもしれない。
………………学校が嫌いだったぼく特有の偏見である。
階段を上って、屋上へと続きそうな扉に手をかける――鍵は開いていた。
がたん、と少し鈍い音を鳴らして開いた扉の先には、確かに屋上があった。だが、学校と同じではなく――落下を防止する柵などの安全性が、軒並み削ぎ落されていた。
「うわ、危な」
屋上自体は広いので、中心にいる限り落ちることはない。
危ないのは、ぼくじゃなかった。
危ないのは――
「………………あら」
屋上の端で美しく黄昏ていた、有栖川叶愛だった。
「確かに、自由にお出かけいただいてかまいませんと申しましたが――まさか、この場所が見つかるとは思いませんでした。疚田英愛さん」
「………………………………危ないよ、そんなところ」
「そうですね」
その返答はただの同意であり、有栖川さんはその場から一歩も足を動かさなかった。
風が吹いているので、その細い体躯じゃ吹っ飛ばされてしまいそうだと怯えているのだけれど。
まあ、他人だから死んでもいいのか。
「綺麗だね」
唐突に、無意識的に口から言葉が零れ出る。
「ありがとうございます」
外見を褒められるのに慣れているのか、有栖川さんは作った笑顔で感謝を述べた。
綺麗で、美しくて、可愛くて、可憐で、端麗で、艶やかで、麗しく、愛おしく、心を惹かれるその外見――どんな類語辞典を用いて言葉を紡いでも、彼女の美しさを表すことなんてできやしない。
一国が潰れてもなんの違和感もない。
髪、顔、胴体、手足、振る舞い、雰囲気、声、その他。
彼女のなにもかもが、戦争の火種になり得る。
「観察ですか?」
「ん」
人間観察を嗜んでると、有栖川さんが口を出してきた。少し露骨すぎたようだ。
「あ、ごめんなさい。癖で」
「かまいませんよ。慣れていますから」
有栖川さんが慣れているものは、観察でなく鑑賞だろう。
その美しさを観賞したい、と欲する人間はけして少なくないはずだ。
「大変だね」
またもや、無意識的に口から漏らしてしまった言葉――だが、有栖川さんは目を見開いた。
「………………えっと?」
「いえ、すみません。意外だったもので。慣れていなかったのです」
慣れていなかった――大変だね、と言われることが?
そんなことあるか?
「そのくらい、よく言われない?」
「人生で初めて言われました」
それはさすがに噓だろう、とぼくは彼女を疑う。が、疑心暗鬼になることの無意味さを知っているぼくはすぐにやめた。
初めて、か。
本当に大変だな。
「お会いした人々はみんな、わたしを褒めてくださいます。また、直接会っていなくとも、わたしを知った人々はみんな同じようにします。同情を頂いたことは、一度もありません」
「同情って………………」
ただの感想だったのだけれど。
誤解されるのは好きじゃないので、ぼくは訂正する。
「同情なんかじゃないよ。ただの感想で、ただの事実」
「その事実を指摘してくださった人間なんて、いませんでしたよ」
まあ、おこがましいもんな。
ぼくは芹梨さんの部下というだけあってかなり図々しい人間だ。だから、事実を伝えることになんの抵抗もない。
人を傷つけるということにも。
大した抵抗は、ない。
「………………………………」
異音異義語。
「芹梨さんなら、なんの遠慮もなく言ってくれると思うよ。事実とか」
「そうかもしれませんね」
でも――有栖川さんは言った。
「でも、初めてわたしにそう指摘してくれたのは、あなたなんです」
どうやら悩みが解決したらしいので、ぼくと芹梨さんはお家に帰ることになった。
「ま、またの依頼をお待ちしています………………」
「機会があれば、ぜひお願いいたします。それでは、お気をつけてお帰りくださいませ――」
仕事を終えて緊張モードに戻ってしまった情けない芹梨さんだけれど、今回の依頼は本当に凄まじかった。
帰り道――というか船で、ぼくはずっと聞き逃していた有栖川さんの『悩み』を話題に出す。
「まさか、大国の大統領からストーカー被害を受けているだなんて相談が、ウチに舞い込んでくるとはね」
「迷い込んできたの間違いでしょう」
それはそうかもしれない。
ただ、芹梨さんがこの依頼を解決したのは事実なのだ――
「お疲れ様」
「…………珍しいですね。英愛くんが、私を労うだなんて………………」
「ぼく、けっこう芹梨さんのことは労ってると思うんだけれど」
今現在、ぼくのいちばん大事な人は芹梨さんなのだ。だから、大切にしないと。
また、失ってしまうかもしれないし。
豪華な船に揺られながら、ぼくは有栖川さんとの会話を思い浮かべる。
『わたしの事実――ありのままのわたしを見てくださる人間は、本当にごくわずかです』
世界一美しい存在の、苦悩。
『みんな、事実から目を背けていらっしゃいます。あるいは、現実からでしょうか』
ぼくには、まったく理解できなかったけれど。
『美しさというものに、ただそうであるということ以上の意味はありません。それなのにみんなは、わたしのすることを見てくれません。美しいともてはやして、それ以外のものは見ない――だなんて』
ぼくはただ、聞いていた。
『だから、ありがとうございます。わたしを見て、なんの動揺もしない人間なんて――初めてです』
有栖川さんの本音を。
『とっても嬉しい』
いつも、仕事で感謝されるのは芹梨さんのほうだった。
なぜなら――依頼人を救うのは、いつも芹梨さんだから。
だから、こうしてふたりきりで、直接ありがとうと言われたのは、これが初めてだった。
だから、なんというか………………。
「…………悪い気はしないね」
「なにがですか?」
なんでもないよ、とぼくは告げる。
とりあえず、これからは仕事を真剣に取り組もう。
依頼人の悩みを聞き逃すだなんて、もってのほかだし。
…………それにしても、『わたしを見て、なんの動揺もしない人間なんて――初めてです』、かあ。
有栖川さんが気付いていないだけで、ぼくもけっこう動揺していたんだけれど。
もしかして、ぼくはポーカーフェイスが得意なのかな。
「いいえ。見え見えですよ」
呆れたような声で、芹梨さんはそう言った。
どの口が。




