リモートお悩み相談室④「殺人鬼」
『自殺したいんだけど、なんか苦しまなくて済むような方法ってない? 刑事さん』
依頼人――助壁隼人は開口一番にそう言った。
自己紹介どころか挨拶すら済ませていなかったぼくたちは、突然のことに面食らい――でも、すぐに芹梨さんが言った。
「なら、知り合いの殺人鬼を紹介しましょうか?」
「殺人鬼の知り合いってなに?」
今日の仕事が終わり、助壁さんの悩みを解決して――ぼくはずっと気になっていたことを質問した。
芹梨さんはのんびりと服を脱ぎながら、ぼくの質問に答えてくれた。
「そのままの意味ですよ。鬼ではありませんけど」
その答えは答えになっていなかったが、おそらくわざとだろう。
つまり、芹梨さんは『殺人鬼』についてぼくに教えたくないと思っているのか――そうなると、ますます気になってくるんだけれど。まあ、関わりたいとは思わないが。
殺人鬼――殺人を犯す鬼のような人間。
人を殺す人。
はっきり言って、意味不明すぎる。
「怒って人を殺しちゃった、とかならまだ分かるんだけれど…………、人を殺すために人を殺すって、いったいどういう感覚なんだろうね」
うっかり口に出してしまったそれは、ぼくが去年のあの事件からずっと疑問に思っていたことだった。
「………………………………」
芹梨さんは、なにも反応してくれない。独り言だったので、そのほうが都合はよかった。
殺人。
人を殺すということ。
ぼくの好きな人を殺した元警察官の彼は、いったいどんな思考回路をしていたのだろうか。
「人が人を殺す理由は」
突然、芹梨さんが口を開いた。
「虐待か、逆襲かの二択です」
「…………………………どういうこと?」
それが正しくない、ということ以外に分かることがなにもなかった。
芹梨さんは補足する。
「上から目線で人を殺すか、下から目線で人を殺すかの二択、ということです」
虐待は弱い者いじめで、逆襲が反逆――そういうことか。
それなら、少しは正鵠を射ているのかもしれない。正しくないのはぼくのほうだった。
でも、二極化は本当に正しいことだろうか?
「そうですね。人には人それぞれの事情がありますから」
ぼくの内心を読み取った芹梨さんが、そういう風に同意してくる。
「ただ、大まかな括りで考えるのであれば、殺人はふたつに分かれます。対等同士なら心中になりますし」
もちろん、無理心中は例外ですよ――と芹梨さんは補足したが、蛇足でないだけでどうでもよかった。
心中、か。
ぼくと芹梨さんの関係に近しい部分がありそうだ。
「………………………………」
そして、芹梨さんにとっては良い具合に話が逸れたのを、ぼくは見逃さなかった。
だからといって、蒸し返す気も起きないが。
殺人鬼――実在するのに、現実的じゃない存在。
…………まあ、どうでもいいか。
だってどうせ、鬼よりも人のほうが怖いんだから。
「昨日の夜に行った風俗店で、煤色くんのお姉さんを見かけましたよ。挨拶したら困っていました」
「当たり前でしょ」
そりゃ、面識のない他人からいきなり挨拶されたら戸惑うし怖いし困るだろう。
通報されていてもおかしくなかった。
「お店の一番人気でしたよ。綺麗な方だったので、納得です」
知りたくもない情報だった。
いったいどうして芹梨さんは、高校三年生|(年齢的には)のぼくに行けない風俗店の情報を教えてくれるのだろうか。ん、いや、もう大丈夫なんだっけ………………? そういえば、自分の年齢が分からない。誕生日が分からないからだ。
ぼくって、十八歳だっけ?
「身分証明書を見れば一発で分かるでしょう」
「いや、持ってないよ。学生証は捨てちゃったし、マイナンバーは紛失したし」
「ちょっと待ってください」
芹梨さんは珍しく慌てた様子でぼくに詰め寄る。女の人に全裸で詰め寄られるのは、さすがのぼくでも少し気まずいのだけれど…………。
「そんなことを気にしている場合じゃないですよ! いつですか?」
「分からないけれど、一昨日に気付いた。財布に入ってなくて、部屋にもなかったから」
「はあ………………」
見せびらかすようにため息をつかれてしまった。
もしかして、マイナンバーカードを紛失するのって元警察的にヤバいのか?
「いえ、悪用されるリスクはありますが、基本的には大丈夫です。他人のマイナンバーなんて、使い道もとくに思い当たりませんし…………。しかし、知能犯の発想は想像を絶するものですから」
道警でもっとも優秀な刑事だった芹梨さんにそう言わせしめるレベルなら、確かに警戒しておいたほうがいいのかもしれない。今すぐ再発行の手続きを進めてもらおう――
「いや、自分でやってくださいよ」
芹梨さんは呆れ顔で言った。
「あなた、もう十八歳なんですから」
「………………あ、そうなんだ」
どうやら、芹梨さんはぼくの年齢を知っていたらしい。誕生日も。
自分の知らない自分の情報を他人に握られているというのは、なんだか、すごく――不思議な気分だ。
癖になりそう。
「もしかして変態ですか?」
「違うよ?」
新鮮な感じの気分が好き、という意味だった。
………………そうか、ぼくは新しいものが好きなのか。
よく分からない変な流れで、ぼくは自分のことについてひとつ詳しくなった。
さて、マイナンバーカードの再発行の手続きを終わらせたあと。
雑談をしていたら、いつの間にか仕事の時間がやってきていた。
今回の依頼人は――愛末那識。高校一年生の女の子。
またもや変わった名前の依頼人がやってきた。
その変な名前|(失礼だ)を口にしてみると、芹梨さんが「え?」と謎の反応を見せた。
「……………………愛末那、識?」
「え、知り合い?」
いかにも驚いています、といった感じの様子だが――
「本当に、識さんが?」
よく分からない表情をしたまま固まった芹梨さんに頑張って服を着せる作業を続ける。
もしかしたら、因縁でもあるのかもしれない。
「因縁――とは少し、違いますね」
なにせ、彼女は殺人鬼なのですから――
伏線もなく、突然の。
まるでこの世界がフィクションの中に反転してしまったような違和がぼくの頭を駆け巡る。
殺人鬼。
確かにそれは、因縁じゃない。
芹梨さんにとってはただの仕事で、殺人鬼なんてものはただの犯罪者だ。
因縁とは、大きく違う。
刑事と犯罪者に因縁なんて概念が成立してはならないのだ。
「あれ、もう通話にいらっしゃいますね………………」
約束の時間より五分も前なのに、もう待ってくれている――殺人鬼が。
笑える話だった。ぼくがいなきゃ基本的に時間を守れなさそうな社会不適合者と、きちんと時間を守る反社会的な鬼。しかし、正しいのはいつでも芹梨さんのほうだった。
「殺人鬼って、時間守るんだね」
「…………殺人鬼は、殺人をするだけですから。それ以外は、普通の人ですよ」
人を殺している時点で普通の人ではないし、殺人にそれ以外もなにもないだろう。
それにしても、なんだか芹梨さんの様子がおかしい気がする。
だって、どちらかといえば芹梨さんは、犯罪を嫌う人間だ。
加害者を憎み、被害者を切り捨てる――そんな人外。
そんな、世の加害者に罪を償わせるために刑事になった彼女が、加害者要素の塊でしかない殺人鬼を庇うような発言をするだなんて――絶対に、なにかが変だ。
「………………………………」
芹梨さんの様子に要警戒ってことで。
『わたし、死にたいんです。死にたくて死にたくて死にたくてしょうがないんです。でも、死んだら家族や友達が悲しむから、死にたいって思わなくしたいんです』
殺人鬼――愛末那識の悩みは、思いのほか真っ当なものだった。
てっきり、殺人鬼ならではのぶっ飛んだ相談が舞い込んでくるかと思っていたのだけれど…………。
「なるほど…………。では、『死にたい』の度合いを教えてください」
『度合い?』
真っ当な悩みだったので、芹梨さんの対応も至極真っ当なものになる。逆に珍しい。
「たとえば、『生きたくない』、『楽になりたい』、『消えたい』のように漠然と死を望む状態を『希死念慮』と呼びます。そこに、具体性が加わることで『自殺念慮』と呼ばれる状態に陥ります」
芹梨さんがまともな説明をしているというだけで、ぼくの頭の中は困惑でいっぱいだった。
まあ、本当に優秀な人なので、意外ではないんだけれど。
「具体的に自殺の方法や時期を頭の中で考えたことはありますか? もしくは、常にそれを考えていますか?」
『………………………………はい』
自殺念慮――なんというか、それはとても。
それはとても、殺人鬼らしく思えた。
自分を殺人することこそが、殺人鬼のゴールなのかもしれないとすら考えてしまえた。
『ずっと、自分の手で死ぬことばかり考えているんです。死体をナイフで解体しているときも、持っているナイフで首や心臓を突き刺す妄想ばかりしてしまいます。誰かの家を燃やせば、自分も燃え盛る炎の中に飛び込もうと考えてしまいます。でも、わたし、実際に行動したことは一度もないんです』
完全に自殺一歩手前の状態だと思うのだけれど、ここから入れる保険ってあるのか?
正直、このまま放置して自殺してくれるのを待ったほうが世のためではある。
死体損壊、放火――そして殺人。
いきなり三つも出てきた。
そして、そんなことより――
「どうして死にたいかについては、訊かないんですか?」
小声で、芹梨さんに確認してみる。まず最初に確認すべきは、それなんじゃないかと思ったからだ。
しかし、
「依頼人にそこまでの干渉はしませんよ」
と否定された。
でもそれなら、ぼくたちはどうやって彼女の自殺志望あるいは死亡を止めるんだ?
死を願う人間を――鬼を。
どうやって止める?
『夏休みが終わる八月三十一日に死のうだとか、どこから飛び降りれば苦痛なく死ねるかなとか、そういったことばかり考えて、でも、実行には移さないんです。だから、このままでいいとも思っていたんですけど――あれは、一週間前のことです』
どうやら、愛末那さんの話はまだ終わっていなかったようだ。
彼女は言う。
『その日は、数人の友達と海水浴に行きました。泳げないけど、わたしは楽しかったです。友達がナンパされてしまった時は、さすがに慌てましたが………………』
あまりにも普遍的な日常を語る殺人鬼に、困惑を隠せないのはぼくだった。
でも、それよりも――それが、どう自殺に関連するのだろうか。
『海水浴場の隣に位置する漁港の足場で、バーベキューをしている最中のことです』
漁港でバーベキューって、禁止されていることが多いんじゃないか…………?
殺人よりかは罪は軽いけれど。
『わたしは、見つけてしまったんです――』
愛末那さんは、少しだけ間を置いてから言った。
『落ちたら絶対に助からないであろう、消波ブロックの隙間を』
なるほど。
具体的で実施可能な方法を、うっかり見つけてしまった――というわけだ。
自殺念慮だけでは、まだ足りなかった最後のひとかけらが、ついに埋まってしまった。
いつだって自分の意思で死ねる状況になってしまった。
………………実際は、今までと変わっていないんだけれども。
いつだって、いつだって死ねたのだから。
「なるほど、そういうことですか」
では、こうすればいいのです――芹梨さんは、すぐに解決策を提示した。
「その消波ブロックの隙間を使って、とりあえず自分以外の人を殺せばいいんですよ。そうすれば、自治体がなんとかしてくれるでしょう」
そのセリフに、言葉を失った人間はぼくだけじゃなかった。
『…………………………そんなの』
「ちょっと芹梨さん、それはダメだって!」
うっかり客の前で芹梨さんを本名で呼んでしまったが、芹梨さんの犯した罪のほうが重い。
「ぼく、この前言ったよね? ぼくたちに責任なんて取れないんだよ」
「しかし、依頼人の悩みを解決することはできるでしょう?」
解決がすべてじゃないことを、芹梨さんはよく知っているはずなのに。
この相談によって、罪のない人が死んでしまうような事態に陥れば――そんなの、ダメだ。
責任を取れないから、償う術もない。
幸せになんて、なれやしない。
「ねぇ、バカなこと言わないでよ。今の芹梨さん、なんか変だよ」
本当に、なにかあったんじゃないかと心配になってきた。頭でも打ったのかもしれない。
普段から頭を打っていないと説明できないレベルの変人ではあるけれど――それでもやっぱり、今日の芹梨さんは一段とおかしいのだ。依頼人のことを、認識した時から。
『…………………………あの』
しばらく沈黙を保っていた依頼人の愛末那さんが、いきなり声を発した。
『高校生。その女刑事を、あまり責めないであげてください』
………………あ?
『女刑事は、まったく悪くありません』
「ちょっと待っ…………!」
芹梨さんの声量の大きさに驚いたぼくだが、しかしそれよりも、ぼくは驚いていた。
慌てている。
あの、芹梨さんが。
そしてぼくの困惑と芹梨さんの動揺をよそに、愛末那さん――殺人鬼は、最後まで言い切った。
『すべて、女刑事の弟を殺した、わたしの両親が悪いんです』
だから――女刑事のことを、責めないであげてください。
殺人鬼は、
殺人鬼の娘は、そう言った。
依頼については、うやむやになった。
愛末那さんが勝手に通話を切ったからだ。
『また後日、お伺いします』
そうは言っていたが、芹梨さんがその『後日』までに調子を取り戻せるかどうかは不明だった。
「………………芹梨さん」
通話が切れても、芹梨さんはパソコンの前にずっと座っていた。
表情は、分からない。
なぜだか、見たくなかった。
「………………………………………………」
三十分以上経過してから、芹梨さんはようやく口を開いた。
「殺人鬼と殺人鬼の娘――は、殺人鬼だと思いますか?」
「え?」
日本人と日本人の子どもが、日本人でないケースなど極めて少ない。というか、ほぼあり得ないだろう。
でも、これはそういう問題じゃない。
要するに――犯罪者の子どもなら、罪を犯してなくとも犯罪者なのかという問題だ。
母が犯罪者であろうが父が犯罪者であろうが両方が犯罪者であろうが、罪を犯していなければ犯罪者ではない――ぼくは、そう思うが。
芹梨さんだって、そう思いそうだが。
「そうですね。私も、そう思っています」
しかし――芹梨さんは続けた。
「私の弟を殺した殺人鬼の子どもであるなら、話は別です」
…………いや、別ではないだろう。
ぼくがそう思えるのは、きっと当事者じゃあないからだ。
もしも当事者だったら、どうだ?
ぼくの、いちばん大事な人を――柏を、殺害した犯人の子どもを。
人間であると、認められるか?
………………もしかしたら、無理かもしれない。
「でしょう? だから、私の失態は見逃してください」
いつもの調子に戻ったのか、調子のいいことを言ってお茶を濁した芹梨さん。
ぼくは、彼女の過去をなにも知らない。
でも――できればだけれど、知っていきたいと思っている。
寄り添うために。
自己満足のために。
ぼくがただ、幸せになるために。
パートナーとの関係を深めたいと思うのは、自然な流れだ。
恋人になりたいわけではなく、家族になりたいわけでもなく――ただただ、特別であるというだけで。
でも。
もしかしたら、ぼくは彼女を理解してあげられないのかもしれなかった。
後日談。
とある日に、とある海水浴場に隣接されたとある漁港で、とある女子高に通う高校一年生が、消波ブロックの隙間に転落し死亡したという事故のニュース記事を見つけた。
記事に掲載されていた写真には――砂浜で高校の友達数人と楽しそうにポーズを取っている女子高生――愛末那識さんの姿が、はっきりと写っていた。




